2021-01-01から1年間の記事一覧

人はなぜ依存症になるのか 移行対象としてのスマホ(1)

スマホの出現によって、わたしたちの生活はより便利になり、快感や満足を簡単に得られるようになりました。しかし、スマホが便利であればあるほど、そして簡単に快感や満足を得られれば得られるほど、人は快感や満足を得るための努力をしなくなります。その…

人はなぜ依存症になるのか 脳を支配される人々(2)

前回のブログでは、スマホが社会の隅々まで普及し、人々が多くの時間をスマホに費やすようになった問題を採り上げました。スマホは人々の生活に入り込み、生活を一変させ、さらには人々の行動を支配するようになりました。 なぜスマホは、これほど人々を魅了…

人はなぜ依存症になるのか 脳を支配される人々(1)

現代は依存症の時代だと言われます。近代社会と共に誕生したアルコール依存症に始まり、われわれの世代ではシンナー依存症がありました。また、非合法の麻薬や覚醒剤の依存症は、人々を社会生活から脱落させてきました。依存症は、こうした物質の依存に留ま…

ポリコレはなぜ危険なのか 国家を破壊しようとする人々(4)

前回のブログでは、共産主義国家では例外なく独裁者が誕生し、人民の平等が実現されるどころか、より不平等性が増した強固な階級社会が形成されることを指摘しました。 そのため共産主義思想に心酔する人々は、生き残りをかけて新たな戦略に望みを託すことに…

ポリコレはなぜ危険なのか 国家を破壊しようとする人々(3)

前回のブログでは、ポリコレやキャンセル・カルチャーの背景には、共産主義思想が存在していることを指摘しました。 では、なぜ共産主義思想は自由主義社会の中で生き残り、さまざまな運動や政治活動を生んでいるのでしょうか。今回のブログでは、共産主義思…

ポリコレはなぜ危険なのか 国家を破壊しようとする人々(2)

前回のブログでは、国家という存在を攻撃し、国家を弱体化させたい人々として、まずグローバリストを挙げました。グローバリストは、地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想を持つ人々です。この思想は、多国籍企業や国境を越えて地球規模…

ポリコレはなぜ危険なのか 国家を破壊しようとする人々(1)

アメリカでは昨年から今年のはじめにかけて、ポリコレによってワシントンやリンカーンといった歴代の大統領を非難する運動が起きました。こうした運動は歴史から誇りを奪い、さらにそれが子どもたちから自尊心を失わせる事態に繋がります。さらにポリコレは…

ポリコレはなぜ危険なのか 神話の崩壊(3)

アメリカでは昨年から今年のはじめにかけて、ポリコレによってワシントンやリンカーンといった歴代の大統領を非難する運動が起きました。前回のブログでは、日本を例に挙げて、こうした運動が歴史から誇りを奪い、さらにそれが子どもたちから自尊心を失わせ…

ポリコレはなぜ危険なのか 神話の崩壊(2)

ポリコレは、社会的正義を実現するために、弱者やマイノリティに対する差別や偏見、およびそれに立脚した表現や制度までが是正されなければならないとする政治的な運動です。今回のブログでは、一見正しいようにみえるこの運動が、実は社会に深刻な影響を与…

ポリコレはなぜ危険なのか 神話の崩壊(1)

最近、ポリコレという言葉をよく耳にするようになりました。ポリコレとはポリティカル・コレクトネス(political correctness)の略称で、差別・偏見をなくす目的で1980年代のアメリカ合衆国で始まった、政治的な観点から正しい用語を使うことを目指す運動で…

いじめはなぜなくならないのか いじめをする人たちの特徴

前回のブログでは、山田広報官へのバッシングは、野党議員にとっては管内閣を貶めるための、一般の人々にとっては緊急事態宣言によって鬱積していた欲求不満を解消させるための、集団によるいじめである可能性を検討しました。 今回のブログでは、森会長や山…

いじめはなぜなくならないのか 山田広報官の辞任

オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)へのバッシングに続いて、またもいじめの見本になるような事例が発生しました。それが、山田真貴子内閣広報官へのバッシングです。 女性の地位向上を叫んで森会長をバッシングした人たちは、今度はな…

いじめはなぜなくならないのか 森会長へのバッシング(3)

前回のブログでは、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)が、世界中からバッシングを受けるようになった経緯を振り返り、いじめの構造との類似点を検討しました。 まず朝日新聞が森会長の発言を切り取り、女性蔑視というレッテルを貼って…

いじめはなぜなくならないのか 森会長へのバッシング(2)

前回のブログでは、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)が、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議会で行ったあいさつに、本当に女性蔑視発言があったのかを検討しました。 今回のブログでは、このあいさつが世界中からバッシングを…

いじめはなぜなくならないのか 森会長へのバッシング(1)

「女性蔑視的な発言」をしてマスコミや一部の識者やアスリート、そしてネット民からの総攻撃を受けて、2月12日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任しました。 森会長の発言が本当に女性蔑視なのかは別として、森会長へのバッシ…

人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(4)

前回までのブログで、うつ病の発症者は、良い人として生きられなくなって自分の生き方そのものを喪失し、生きるための意欲を失って、生きることに絶望している人たちであることを検討しました。そして、絶望しか見えなくなった状況で生じるのが自殺企図であ…

人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(3)

前回のブログでは、うつ病の病前性格を有する人たちは、社会のルールを尊重し、自分よりも他者に配慮をし、何事にも手を抜かずに一生懸命になるという「教義」を創り上げた人たちであることを指摘しました。そして、実際にうつ病を発症する人は、この教義を…

人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(2)

前回のブログでは、うつ病の精神病理について検討しました。うつ病は、秩序を愛したり他者への配慮を欠かさない人が、良い人でいられなくなるような状況に直面した際に、自分の生き方を維持できなくなって発症します。つまり、うつ病は、自分の生き方を喪失…

人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(1)

前回までのブログでは、死の欲動について、幼少期の親子関係に遡って検討しました。そして、死の欲動が生まれて増強される過程を、青年期までの対人関係という側面から分析しました。 今回からのブログでは、壮年期の自殺について検討したいと思います。壮年…

人はなぜ死にたくなるのか 死の欲動(4)

前回のブログでは、反抗期なのに反抗できない子どもたちの、対人不信感について検討しました。 反抗期のみられない子どもたちが、反発するなら世話しないぞ、さらには見捨ててしまうぞと匂わされて育った経験を遡ると、乳幼児期に「一切の理由なく、無条件に…

人はなぜ死にたくなるのか 死の欲動(3)

前回のブログでは、反抗期に生じる問題について検討しました。 人間は、文化で決められた規範を与えられて、社会の中で生きるルールを身につけてゆきます。しかし、その規範は人間が本来持っている性質ではないため、規範を与える際には強制力が伴います。規…

人はなぜ死にたくなるのか 死の欲動(2)

前回のブログでは、人を自傷や自殺へと誘う死の欲動を、文化への敵意という観点から検討しました。 人間は、文化を持つことによって、自然の脅威から守られて生活して行くことが可能になりました。その一方で、文化からの規制によって、広範な領域における欲…