ポリコレはなぜ危険なのか 国家を破壊しようとする人々(2)

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 前回のブログでは、国家という存在を攻撃し、国家を弱体化させたい人々として、まずグローバリストを挙げました。グローバリストは、地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化を進める思想を持つ人々です。この思想は、多国籍企業や国境を越えて地球規模で経済活動を展開する人々の活動を支えており、彼らは国家間の垣根を越えた経済活動を推進するために、国家という概念はなるべく弱体化させたいと考えています。

 グローバリストと並ぶ、アメリカを弱体化させようとするもう一つの勢力が、トランプ前大統領を非難し糾弾し続けたアメリカの主要メディアと、彼らと同様の思想を持つ人たちです。

 今回のブログでは、彼らの正体について検討してみたいと思います。

 

平等を目指す人々

 ニューヨーク・タイムズ紙は、「1619ロジェクト」によって、「奴隷制の結果と黒人アメリカ人の貢献を私たちの国家の物語の中心に置くことによって、国の歴史を再構築することを目指している」と主張しています。つまり、黒人アメリカ人の貢献を国家の物語の中心に置くことで、黒人奴隷制度という負の遺産を乗り越え、白人と黒人の差別を歴史からも消し去ろうとする試みを行っています。

 また、ワシントンやリンカーンから名づけられた公立学校の校名を廃止する運動が展開されたのは、ワシントン大統領が自らの農園で400人にもおよぶ黒人奴隷を所持していたことが、リンカーン大統領がインディアンから文化を奪い農業を強制する「ホームステッド法」を公布したことがその理由でした。この運動で目指されたのは、黒人やインディアンへの差別を非難することでした。

 つまり、アメリカの主要メディアやポリコレを推進する人々の思想の根本には、差別への執拗な攻撃性が存在しています。そして、差別への攻撃が目指す先には、平等への希求があると考えられます。

 

究極の平等を目指す共産主義思想

 究極の平等を目指す思想として、共産主義思想があります。共産主義は、財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって、貧富の差のない社会を実現しようとする思想です。

 マルクスは、プロレタリア革命によって資本主義社会が一掃され、社会主義社会が到来すると予言しました。社会主義はさらに共産主義に発展します。共産主義は人類史の発展の最終段階としての社会体制であり、そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされました。

 まさに共産主義は、究極の平等が達成され、理想の社会が実現されるための思想であると言えるでしょう。

 

社会主義国家では独裁者が誕生

 しかし、共産主義思想を実現しようとした社会主義国家では、社会の平等は実現されませんでした。それどころか、社会主義国家では独裁者が誕生し、社会階層は厳然と存在し、しかも多くの自国民が虐殺されました。その結果、多くの社会主義国家が瓦解しましたが、現在でも中国では習近平国家主席北朝鮮では金正恩総書記が独裁者として君臨しています。

 中国政府は、チベット自治区新疆ウイグル自治区において、文化と宗教を根絶する試みを行っています。チベット亡命政府は、動乱前後の中国によるチベット侵攻および併合政策の過程で、120万人の犠牲者が出たと主張しています。さらに新疆ウイグル自治区では、今も政府の収容所に100万人ものイスラム教徒のウイグル人を投獄し、24時間体制で思想改造を行っています。内モンゴル自治区では、モンゴル語を廃止して漢語を強制しようという政策が明るみに出ています。

 これらの政策は、ナチスユダヤ人絶滅のために行った虐殺に匹敵する、またはそれを超えるのではないかという指摘がなされています。

 こうした現実を目の当たりにして、共産主義国家を理想に掲げる人は、さすがに表向きはいなくなりました。

 では、共産主義思想は根絶されたのでしょうか。

 

自由主義社会の中で生き残った

 共産主義思想は、間違った思想として根絶されたわけではありませんでした。実は、共産主義思想は、自由主義社会の中でしぶとく生き残っていたのです。そこで目指されたのは、階級間の差別ではなく、人種や性別による差別の解消です。

 自由主義社会の中では、共産主義思想は声高に語られることはなくなりました(唯一の例外は、日本にある日本共産党の存在です)。しかし、共産主義思想は共産主義という殻を捨てて、平等を希求する思想として生まれ変わりつつあります。そして、平等を実現させるためには、どのような手段を用いても構わないという、共産主義社会の手法も踏襲されました。

 その結果アメリカでは、ポリコレが生まれ、さらにキャンセル・カルチャーという現象が発生しています。

 

キャンセル・カルチャーとは

 キャンセル・カルチャー (cancel culture)は、コールアウト・カルチャー(call-out culture)から派生しています。コールアウト・カルチャーとは、あるコミュニティの成員が犯した悪事を特定し、その人物を公的に呼び出して、恥じ入らせたり罰したりする行為を指します。

 これに対してキャンセル・カルチャーは、個人や組織、あるいは思想などの一側面や一要素だけを取り上げて問題視し、その存在全てを否定するかのように非難します。さらに、それは多人数で一斉に行われるため、非難を受けた個人や組織は、社会的に抹殺されることすら起こります。

 以前に取り上げた、東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長が女性蔑視発言をしたとして内外から一斉に非難を受け、会長を辞することになったのはまさにキャンセル・カルチャーの典型例でしょう。トランプ前大統領が非難されたのもこの手法ですし、ワシントンやリンカーンといった偉大な大統領ですら、キャンセル・カルチャーによって貶められようとしているのです。

 

 では、共産主義思想はなせ自由主義社会の中で生き残り、ポリコレやキャンセル・カルチャーという現象を生んでいるのでしょうか。

 次回のブログで検討したいと思います。(続く)