ポリコレはなぜ危険なのか 神話の崩壊(1)

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 最近、ポリコレという言葉をよく耳にするようになりました。ポリコレとはポリティカル・コレクトネス(political correctness)の略称で、差別・偏見をなくす目的で1980年代のアメリカ合衆国で始まった、政治的な観点から正しい用語を使うことを目指す運動です。

 今日ではその意味が拡張され、社会的正義が実現されるために、弱者やマイノリティに対する差別や偏見、およびそれに立脚した表現や制度までが是正されなければならないとする政治的な運動に発展しています。一見正しいようにみえるこの運動は、実は社会を破壊しかねない非常に危険な側面を内包しています。

 今回からのブログでは、この危険で恐ろしい側面について検討したいと思います。

 

正義の名の下に

 ポリコレでは、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見をなくすことが叫ばれます。それはそれで、正しいことでしょう。しかし、考えてみて下さい。なぜこれまでの世界に、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見が存在してきたのでしょうか。差別・偏見は、単に道徳心のない人たちが、人々を貶めようとしたために生じてきたのでしょうか。

 そうではないはずです。ポリコレを目指す人たちが、差別・偏見と呼んでいるものの中には、歴史や伝統に支えられた重要な文化も含まれています。ポリコレは、正義の名の下にこうした重要な文化さえ価値のないものとして非難し、一緒くたにして排除しようとしています。

 そのなかで最も深刻なのが、神話を破壊しようとする運動です。

 

ワシントンやリンカーンまで非難の対象に

 今年の1月27日に、カリフォルニア州サンフランシスコの教育委員会は、人種差別や先住民族の抑圧などに関係したとされる歴史的な人物から名づけられた公立学校について、校名を廃止することを決めました。その中には、「アメリカ建国の父」と呼ばれる初代大統領ジョージ・ワシントンや、奴隷を解放し、しばしば「最も偉大な大統領」と称えられる第16代大統領エイブラハム・リンカーンに由来する学校名も含まれていました。対象校は市内の3分の1にあたる44校に上り、各校は4月までに新しい学校名を決定する予定だといいます。

 それとは別に、昨年の12月には、ボストンで直立するリンカーン銅像が撤去されています。この銅像は、黒人男性がリンカーンの前に半裸でひざまずいており、この構図が黒人差別に当たるとして非難されたのです。

 

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 この銅像は、それまで奴隷として扱われてきた黒人をリンカーンが解放したしたことを表眼しているのであり、なぜこの構図が黒人差別を現していると非難するのか理解に苦しみます。

 

建国の歴史を否定する

  では、なぜワシントンやリンカーンといった偉大な大統領までが、非難の対象にされるのでしょうか。

 ワシントンは自らが所有する農園で400人にもおよぶ黒人奴隷を所持していたことが、リンカーンはインディアンから文化を奪い農業を強制する「ホームステッド法」を公布したことがその理由のようです。

 確かに、それは歴史的事実でしょう。しかし、当時のアメリカ社会では、当たり前に行われていたことでした。そうした社会状況のなかで、ワシントンは独立戦争を指揮してアメリカを独立へと導き、さらにアメリカ建国の基盤を創った人物です。リンカーン南北戦争による国家分裂の危機を乗り越え、さらに奴隷を解放し、アメリカの発展に殉じた人物でした。両氏は現在のアメリカ合衆国が存在するために多大な貢献を果たした、いわばアメリカの歴史になくてはならない人物だと言えるでしょう。

 それを差別・偏見は悪であるという現在の価値基準で判断し、彼らを改めて糾弾することは、アメリカ建国の歴史を否定することに他なりません。それは、国家という概念の破壊へと繋がってゆきます。

 

ピルグリム・ファーザーズも非難の対象に?

 リンカーンやワシントンまでが差別主義者と捉えられるならば、ポリコレの対象はピルグリム・ファーザーズにまで及びかねません。

 ピルグリム・ファーザーズとは、イギリス絶対王政の宗教的圧迫を逃れて、1620年にメイフラワー号で北米のプリマスに上陸した102人の清教徒を指します。彼らは、船中で有名な「メイフラワー盟約」を結び、強い宗教的信仰と不屈の精神で新大陸を開拓することを誓い合いました。その後彼らは、イギリス人によるアメリカ植民の先駆けとなり、ニューイングランド建設の基礎を作ったとされています。そして、巡礼の父として、またはアメリカ人の始祖として、長らくアメリカ人の精神を支え続けています。

 しかし、ピルグリム・ファーザーズも、現代の基準からすれば決して聖人と呼べる人たちではありませんでした。

 

ピルグリム・ファーザーズはインディアンを虐殺した

 そもそも、メイフラワー号に乗船した102名のうち、実際には聖徒と呼ばれるべき人々は乗船者の半数もいませんでした。残りの乗船者には宗教的な目的はなく、新天地で一攫千金をもくろむ人たちでした。

 さらに重要なのは、インディアンとの関係です。インディアンはピルグリムたちに友好的であり、彼らを歓迎しました。それにも拘わらず、1622年にはプリマス植民地の兵士らが、マサチューセッツ族の族長ら4人を謀殺する事件を起こしました。

 1675年には、移民たちはインディアンと全面戦争を起こしました。この戦争は、ウォンパノアッグ族の族長の英名にちなんで「キング・フィリップ戦争」と呼ばれています。当時の植民地世界全体を巻き込んだこの戦争において、もっとも深い関わりを持ったのがプリマス植民地でした。

 かろうじて白人側の勝利に終わったこの戦争の後で、族長フィリップは無残にも身体をバラバラにされ、他のインディアン捕虜は西インド諸島に奴隷として売られました。その後、フィリップの首は、プリマス植民地にさらし首となって24年間も放置されたのです。

 

 こうした歴史的事実を鑑みれば、ポリコレの非難がピルグリム・ファーザーズに及ぶのは時間の問題ではないでしょうか。もし、アメリカ建国の神話と呼べるような「ピルグリム・ファーザーズの物語」にまで非難が及ぶようなことになれば、アメリカ社会は深刻な打撃を受けることになるでしょう。

 その理由については、次回のブログで検討したいと思います。(続く)