幼児期の心の成長に必要なもの(3)

 赤ちゃんは1歳を過ぎると、母親は自分とは別の存在であると理解するようになります。

 この時期に赤ちゃんは、人生で最初の、そして最大級の危機を迎えます。人はこの危機に、どのように対処するのでしょうか。

 

人生最大級の危機

 赤ちゃんは1歳を過ぎると、感覚器の発達と相まって、母親は自分とは別の存在であることに気づくようになります。母親は自分自身の意志と欲望を持ち、必ずしも自分の欲望に応えてくるとは限らない存在であることを理解します。それは、自分は万能であるという錯覚から覚めることを意味しています。

 生後半年までの絶対的依存期の赤ちゃんは、おっぱいを与えてくれる乳房も、おむつを替えてくれたり服を着替えさせてくれたりする対象も、自分自身で創りだしたと錯覚していました。しかし、今やそれは、お母さん(やお父さん)がしてくれることであると分かるようになります。

 ウィニコットはこれを錯覚から脱すること、すなわち「脱錯覚」と呼びました。そして、赤ちゃんが親から世話を受けていることを理解しながら成長する1歳から3歳までの時期を、ウィニコットは「相対的依存期」と呼びました。

 赤ちゃんが錯覚から目覚めて現実を理解し、お母さんが自分とは別の意志を持つ存在であることに気づくこの時期は、赤ちゃんにとっては人生の最初で、そして最大級の危機であると考えられます。なにせそれは、万能であると思っていた自分が、実は何もできない無能の存在であると気づくことを意味するのですから。

 赤ちゃんはこの絶体絶命の危機に、どのように対処するのでしょうか。

 

無能であることを認められない

 絶体絶命の危機に際して、人が用いる最も原初的な対応は、自分が無能であることを認めないことです。自分は母親の世話を全面的に受けているのではなく、あくまで自分自身の力によって生きていると思い込むことです。つまり、自分は決して無能などではなく、相変わらず全能のままであると認識し続けるのです。

 これは現実を認識しながらもそれを認めないことであり、この心理機制を精神分析では「否認」と呼びます。否認によって、人には「自分は万能である」という感覚が残存します。この感覚を万能感と呼びますが、残存した万能感は、人生の様々な場面に顔を出して現実への適応を妨げたり、極端な場合は精神病の誇大妄想となって現れることもあります。

 

自分が母親の立場になる

 万能感を残す試みの一つが、「自分自身が母親になる」ことです。自分が母親の立場になることで、万能感を維持しようとする試みです。

 そんなことができるのかと思われるでしょうが、自分が母親の立場になる試みであると考えられるのが、ぬいぐるみなどの移行対象を作ることです。

 

 

  これらの写真は、ぬいぐるみを抱く子どもたちです。写真で子どもたちは、ぬいぐるみを愛おしそうに抱っこしています。子どもたちは、母親に抱っこされる立場から、ぬいぐるみを抱っこする立場に替わっています。つまりここでは、子どもたちは母親の立場になり、ぬいぐるみは子どもたちの立場に変換されています。このように立場を変換することで、母親の立場に立った自分は何でもできるという万能感を保持しつつ、子ども自身であるぬいぐるみは優しく抱っこされて安心するという二重構造が形成されています。

 つまり、ぬいぐるみを抱っこする子どもは、万能感を保持しつつ、自らの安心感を得るという試みに成功しているのです。この巧妙な戦略に利用されるぬいぐるみなどの移行対象を、ウィニコットは「二次移行対象」と呼びました。

 

万能感を投影する

 次に現れるのは、「投影性同一視」と呼ばれる防衛機制です。

 自分が無能であると悟った子どもは、自分の万能感を他者に「投影」します。その他者とは、万能感を持つ存在、例えばテレビやアニメの世界に登場するヒーローやヒロインです。わたしたちの年代で言えば、ウルトラマン仮面ライダー、そしてガッチャマンといった、怪獣や悪の組織を倒す正義のヒーローでした。もう少し人間に近い例で言えば、「大リーグボール」を生み出して「巨人の星」に登り詰める星飛雄馬でしょうか(「大リーグボール」は「消える魔球」に見られるように、現実とはかけ離れた魔球でしたが、当時のわたしには、本当に実現するかのような高揚感がありました)。

 彼らは、子どもたちから失われた万能感を、仮想空間で実現してくれる存在です。その存在に万能感を投影することで、子どもたちは万能感を失う危機を脱することができます。万能感は、確かに存在すると実感できるからです。

 そして、第二の心理機制が働きます。万能感を投影した対象に、「同一化」するのです。子どもたちは、万能感を投影したヒーローを真似たり、仮装したり、同じ行動をとることで、ヒーローに成りきる試みをします。これが同一化です。ヒーローに同一化することで、子どもたちは投影した万能感の一部を取り戻すことができます。ヒーローに成りきることで、子どもたちは万能感を再認識することができるのです。

 こうした一連の心理機制を、精神分析では「投影性同一視」と呼びます。

 

投影性同一視は大人になっても続く

 投影性同一視の心理機制は、幼少時にだけ発揮されるものではありません。大人になっても、この心理機制は働き続けます。

 成長するにつれ、万能感を投影する対象は空想上のヒーローから、実在の人物になって行きます。それは歴史上の人物から現存する偉人、スポーツ選手からアーティスト、芸能人まで様々な分野に及びます。万能感を投影される対象に共通することは、人にはできないような超人的な能力を有しており、投影する人物がその能力を発揮したいと望んでいることです。

 その代表例が、現在メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手です。大谷選手の成績だけでなく、彼の一挙手一投足にこれほど多くの人々が関心を寄せるのには、以下のような理由があります。

 

大谷翔平に同一化する大人たち

 日本人はペリーによって無理矢理開国させられたうえに、屈辱的な不平等条約を結ばされました。先の大戦ではアメリカによって全国の都市が無差別爆撃を受け、さらに原爆を2発も落とされて日本中が破壊し尽くされました。戦後はGHQによって占領統治されて、現在でもアメリカ軍が駐留するなど実質的には独立を果たせない状態が続いています。経済的な復興を遂げたものの、バブル崩壊後は新自由主義やグローバルスタンダードといった新たなルールの下で、アメリカに経済的な覇権を握られています。岸田政権は、日本が独立国ではないことを証明するかのような、恥辱的なまでの対米隷属政策を採り続けています。

 このような屈辱的な状況において、大谷選手はベーブルース以来の投手と打者の二刀流で成績を残し、MVPを二度獲得するなどメジャーリーグの歴史を塗り替える活躍をしています。日本の首相がアメリカに隷属するという恥辱の中で、大谷選手は堂々とアメリカに対して打ち勝っているのです。

 大谷選手のこうした活躍に、多くの日本人は自らの万能感を投影しています。そして、熱狂的に応援することで大谷選手に同一化し、失われた万能感の一部を取り戻そうとしているのです。

 アメリカに隷属する岸田首相とアメリカで活躍する大谷選手。大谷選手の活躍に熱狂する大人たちの心性の背後には、アメリカに依存しなければならない日本人の屈辱感が渦巻いているのです。(続く)