前回のブログでは、移行対象の前段階であるイリュージョンについて検討しました。母親が赤ちゃんから離れる時間が増えると、それを補うように赤ちゃんの精神世界には母親のイリュージョンが形成されます。
母親の不在が比較的短時間であれば、母親のイリュージョンには現実的な感覚が多く含まれます。一方で、母親の不在が長時間に及べば、母親のイリュージョンには現実的な感覚は乏しくなります。わたしは、前者を錯覚、後者を幻想と呼んで区別することにしています。
では、錯覚や幻想と訳されるイリュージョンは、どのような移行対象に変化してゆくのでしょうか。
近代的な子育てと「何も存在しない間隙」
近代以降の西洋的な子育てでは、地域や大家族ではなく、核家族化した家庭で、主にお母さんが子育てをするようになりました。子どもは一人で過ごし、お母さんとの関わりを持てない時間が多くなりました。こうして赤ちゃんは、お母さんとの間で、一人でいる時間と、一人でいる空間が生じることになります。赤ちゃんとお母さんは、連続した一体の存在ではなくなりました。
その結果、赤ちゃんの精神世界の中では、お母さんとの間に、時間的にも空間的にも何も存在しない空虚な間隙が出現することになりました。
図1 図2
図1は、赤ちゃんが一人で過ごすことが多くなったため、赤ちゃんの精神世界の中に生じた、お母さんとの間に存在する空虚な間隙を現わしています。
時間と空間の存在しないこの空虚な間隙を埋めるために、赤ちゃんは図2のように、お母さんとの間の空虚な間隙を埋め、お母さんの乳房は自分で創造したというイリュージョン(錯覚)が必要になります。
空虚な間隙を埋めるための移行対象
赤ちゃんが成長してお母さんの存在を認識し始めると、この空虚な間隙は錯覚では埋めきれなくなり、お母さんの存在を連想させるものが必要になります。これが移行対象です。
図3 図4
図3にあるような、 赤ちゃんとお母さんの間に存在する空虚な時間と空間を埋めるために、図4のような移行対象の存在が必要になるのです。
死の不安や恐怖を感じる状況では
他者に頼らなければ生きていけない絶対的依存期の赤ちゃんは、お母さんの不在によって現実の死に直面します。もし、このとき何の助けもなければ、赤ちゃんは死の不安と恐怖に苛まれます。
この不安と恐怖から逃れるために、赤ちゃんは必死で泣き叫びます。それでもお母さんや家族が対応してくれないときは、赤ちゃんは自分の精神世界の中に、お乳を与えてくれ、危険から身を守ってくれる対象を創り上げなければなりません。この対象を夢想することによって、赤ちゃんは死の不安や恐怖からようやく解放されます。
図5 図6
赤ちゃんが一人でいる時間が長く、死の不安と恐怖を感じる状況では、赤ちゃんの精神世界の中に生じた空虚な間隙と時間は、果てしなく広がり永遠に続くかのように感じられます。そして、母親の乳房の存在には実感がなく、おぼろげにしか感じられません。この状態を現したのが図5です。
そこでお母さんとの間の空虚な間隙を埋め、お母さんの乳房は自分で創造するイリュージョンが必要になります。しかし図6のように、お母さんやお母さんの乳房に出会えることの乏しい赤ちゃんは、空虚な間隙や乳房を夢想することしか出来ません、そのためこのイリュージョンは、幻想と呼ぶことがふさわしいのです。
移行対象によっても埋め切れない間隙
赤ちゃんが成長してお母さんの存在を認識し始めると、この空虚な間隙は幻想では埋めきれなくなり、お母さんの存在を連想させるものが必要になります。
図7 図8
図7にあるような、 赤ちゃんとお母さんの間に存在する空虚な時間と空間を埋めるために、図8のような移行対象の存在が必要になります。しかし、果てしなく広がり永遠に続くかのように感じられる間隙を埋めきることが出来ず、おぼろげにしか感じれれない母親やその乳房は、移行対象によっても実感できない部分が残されることになると考えられます。
児童期の移行対象
さて、赤ちゃんが成長して児童期になると、イリュージョンと移行対象の関係は新ただ段階に達します。児童期になって対象世界が広がると、毛布やタオルケット、ぬいぐるみなどの移行対象では、対象との間隙に存在する時間と空間を埋めることが難しくなります。そこで子どもは、移行対象に代わる「新たな移行対象」を創らなければなりません。
子どもの成長に伴って、子どもと母親の関係は、自己と対象世界との関係に置き換えられます。その時に自己と対象世界の間に存在する空虚な時間と空間を埋めるために、移行対象に代わる存在が求められます。それは移行対象の性質を引き継いでおり、子どもの精神世界の中で、万能感を伴った錯覚と現実のものが混在して創られます。例えば、本や音楽やゲームやスポーツに没頭すること、ごっこ遊びやヒーローもの遊びなどを通して世界と関わることです。さらに遊びを通じて、友人ができたり、好きな人ができたりして、現実の対人関係が育まれます。
ここではこれらを、「児童期の移行対象」と呼ぶことにしましょう。
図9
図9のように、「児童期の移行対象」は、自己と対象世界の間に存在する間隙を埋め、自己と対象世界とを繋げ、自己と対象世界との関係を保つ働きをします。
スマホは、この児童期の移行対象の新たな要素になりつつあります。児童期からスマホを使うようになれば、子どもはスマホで遊び、スマホを通して他者と関わりを持ちます。その際にスマホは、十全に発達した機能によって子どもの万能感を満たしてくれるでしょうし、文字通り世界との繋がりを可能にしてくれるでしょう。
こうしてスマホは、「万能感を伴った錯覚と現実のものが混在して創られる」という移行対象の機能を十二分に果たすことになります。
児童期の精神世界に存在する間隙
絶対依存期に死の不安と恐怖を感じた場合でも、子どもは幻想によって埋められていた空虚な間隙を、児童期の移行対象によって埋めようとします。
図10
児童期においても、自己と対象の関係は、乳幼児期の対象関係を引き継いでいます。すなわち、自己と対象の間には、果てしなく広がり永遠に続くかのように感じられる間隙が存在し、対象自体はおぼろげにしかその存在を感じられません。
先ほど挙げたような、本や音楽やゲームやスポーツに没頭すること、ごっこ遊びやヒーローもの遊びなどではこの間隙を埋められない場合があります。この場合には、相変わらずタオルケットやぬいぐるみに執着したり、イマジナリーコンパニオン(imaginary companion )が生じることもあります。イマジナリーコンパニオンとは、現実には存在しない想像上の友達や仲間のことですが、これは乳幼児期の幻想が発展して生まれると考えられます。他者と現実的な関係を結べない子どもは、自分の精神世界のなかに幻想によって創られた友達や仲間を存在させて、自己を支えざるを得なくなるのです。
スマホが移行対象であれば、このイマジナリーコンパニオンの役割を果たすことが可能になるでしょう。スマホを使えば、未知の人たちと無限にコミュニケーションを取ることができます。一方で、このコミュニケーションには現実感が乏しく、想像上の友達や仲間と大きな違いはありません。さらに、人工知能(AI)を使った音声認識によるバーチャルアシスタント機能を備えるスマホの出現は、スマホ自体がイマジナリーコンパニオンとしての役割を果たすようになる可能性を示唆します。
スマホは、想像上の友達や仲間を欲する子どもにとっては、まさに最適なアイテムになっているのです。(続く)