幼児期の心の成長に必要なもの(4)

 1歳頃に赤ちゃんは、自分が万能であると思っていたのに実は無能であったと気づきます。前回のブログでは、この人生で最初の、そして最大級の危機に対して、赤ちゃんがとるさまざまな心的防衛機制について説明しました。

 今回のブログでは、そうした防衛機制ではなく、赤ちゃんが現実世界の中で、実際に無能感を克服して行く過程を検討したいと思います。

 

赤ちゃんは成長する

 自分が万能であったと思っていたのに、実は無能であることに気づいた赤ちゃんのショックはいかばかりでしょうか。このショックを緩和するために、人は様々な心的防衛機制を働かせるのですが、その一方で、防衛機制に頼らなくても済むという側面があります。なぜなら、この時期に赤ちゃんは猛烈に成長するからです。

 何もできない状態で生まれた赤ちゃんは、2ヶ月過ぎから寝返りをし、5ヶ月からお座りをして喃語を話し、6ヶ月過ぎからハイハイやつかまり立ちを始めます。10ヶ月で独り立ちをして単語を話し出し、そして11ヶ月過ぎから一人歩きを始めます。

 このように、1歳前後の赤ちゃんは、もちろん万能ではないものの、まったくの無能ではなくなっています。このことが、自分は万能ではなかったことを多少でも受け入れる素地になるのです。

 

イヤイヤ期が始まる

 1歳から1歳2ヶ月になると、「マンマ」「ちょうだい」など意味のある言葉を話し始めます。1歳3ヶ月から5ヶ月には、小走りや後ずさりができるようになります。1歳6ヶ月から8ヶ月には、離乳食を卒業して幼児食を食べるようになります。1歳9ヶ月から11ヶ月には音楽に合わせて体を動かしたりジャンプするようになり、ままごとや電車遊びなどを始め、「ママ きて」など二語文で話すようになります。そして2歳になると、好奇心が旺盛になって何でも自分でしたがるようになり、いたずらや遊びが旺盛になります。言葉はさらに発達し、「これなに?」と質問をし始めるようになります。

 2歳前後には、もう一つ特徴的な現象が現れます。それが「イヤイヤ期」です。なんでも「イヤイヤ」と反抗し、親が手を貸そうとすると「自分で」と言って手を遮ります。買ってほしいものを「だめよ」と諭すと、床に寝転がって泣き叫んだり、嫌いなものを出されると、皿を投げて泣き叫んだりします。

 このイヤイヤ期は2歳頃がピークで、3歳頃まで続きます。「第一次反抗期」とも呼ばれ、自我が芽生える時期です。この時期に子供は、自分というものを意識し始め、自分の意志を主張し始めるのです。同時にそれは、無能であった自分と決別し、無能さを克服してゆくことを表明する「無能克服宣言」でもあると言えるでしょう。

 

押しつぶしてもいけないし、すべて聞いてもいけない

 イヤイヤ期に始まる子どもの言動は、本当に親を困らせます。それは「わがまま」や「しつけ不足」に映るため、親はいっそう厳しく子どもに対処しようとします。

 しかし、この時期の子どもの「反抗」は、子どもの成長にとってなくてはならないものです。なぜならそれは、自分は無能ではない、自分でできることがあるはずだという悲壮な叫びでもあるからです。この叫びを単なるわがままと捉え、強引に押しつぶすことは、「お前は自分では何もできない」と伝え続けるようなものです。親の言うとおりにしていればいいと教え込むことは、子どもが無能であり続けるよう強制することに他ならないのです。

 ただし、子どもの自己主張を、そのまますべて聞けばいいわけではありません。子どもの自己主張は、現実には通用しないことの方が圧倒的に多いからです。子どもの訴えをそのまますべて聞くことは、自分の望むことは何でも叶うという万能感を抱き続けることに繋がりかねません。そのため、子どもの訴えにも、現実的にはできることとできないことがあることを示すことが必要になります。現実にできないことはできないと示し、逆にできることはできると示すことこそ、子どもの無能感を克服するために必要な対応になると考えられます。

 

果てしなく続く無能感克服への途

 子どもの成長はその後も続きます。3歳を過ぎると、子どもは母親への依存心が少しづつ薄れ、母親から離れて行動することが増えます。そして、外の世界の対象や友達と関わるようになります。ウィニコットはこの時期を「自立期」と呼びました。

 もちろんそれは本当の自立ではなく、自立に向けた準備の期間です。外の世界で不安なことがあると、子どもは一目散に母親の元に戻ってきます。そして「安心の基地」である母親に癒やされて不安を解消するのです。

 外の世界に出ては、母親の元に戻ってくる。この過程を繰り返しながら、子どもは少しずつ外的な世界との関わりを広げて行きます。そして、保育園や小学校といった、家庭とは別の世界の中で生きる術を学んで行きます。こうして世界が広がることは、子どもがさまざまなことを学んでそれを習得することであり、無能を克服するために果てなく続く試みであると言えるでしょう。

 

それでも頭をもたげる万能感

 子どもは青年期を経て、やがて大人になって社会に参加してます。この間に人はできることが飛躍的に増え、幼児期に感じた無能感は払拭されて行きます。しかし、乳幼児期に味わった万能感は、無意識の中に確実に残されています。わたしたちは、この万能感を再び味わうことができないのかと願い続けています。

 地道に毎日を生きていては、着実な達成感は得られても、めくるめくような万能感は得られません。そこで人々は、手っ取り早く万能感を得ようとしてアルコールを使ったり、違法な覚醒剤や麻薬を使うことすらします。一攫千金をねらうギャンブルも、万能感を感じるための試みの一つでしょう。これらの手段は、地道な努力を一切省いていきなり快感を得る行為ですから、「願ったものは何でも叶う」という乳幼児期の万能感に近い感覚をもたらすでしょう。

 大谷翔平選手の専属通訳である水原一平氏が、大谷選手の口座から巨額の資金を流用して違法賭博に興じていたことが、驚きを持って報じられています。特別捜査官の調査によれば、2021年12月から2024年1月までの間に水原容疑者が勝った賭けは、合計で1億4225万6769ドル(217億6000万円)、負けた賭けは合計で1億8293万5206ドル(279億8000万円)で、合計残高はマイナス4067万8436ドル(62億2000万円)だったといいます。

 これほど巨額のお金を動かすことができたのですから、水原容疑者は賭けに勝つたびに万能感に浸ることができたでしょう。たとえ負けが巨額になろうとも、勝ったときの快感は何ものにも代えがたいものだったのだと思われます。万能感の希求は、順風満帆だった彼の人生を狂わせてしまったのです。(続く)