人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(2)

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 前回のブログでは、うつ病の精神病理について検討しました。うつ病は、秩序を愛したり他者への配慮を欠かさない人が、良い人でいられなくなるような状況に直面した際に、自分の生き方を維持できなくなって発症します。つまり、うつ病は、自分の生き方を喪失した人に起こる病です。しかも、発症した本人は、何を喪失したかを意識できていないために、うつ病は癒やされることなく症状が続いてゆくのです。

 今回のブログでは、うつ病者が「生き方を喪失する」とはどういうことなのかを検討したいと思います。

 

人は本能では生きられない 

 動物と違って、人間は本能では生きることができません。それは、人が自然の摂理から離反した文化を創造し、文化によって導かれた人工の環境の中で生きるようになったからです。この人工の環境の中では、生物として長い年月をかけ、自然に沿うように設定されてきた本能は、役に立たなくなっていると考えられます。

  そこで人間は、文化が作った人工の環境に適するような生き方を、本能に代わって創らなければならなくなりました。本能に代わる人の生き方に重要な役割を果たしてきたのが、宗教です(日本人は無宗教だと思っている人が多いようですが、日本には「日本教」とも呼ぶべき和の文化が存在しています。その詳細は、2018年4月のブログ『日本人は無宗教なのか』をご参照下さい)。

 近代以前の社会では、宗教によって支えられた伝統的な生き方が、集団の単位で代々継承されていました。しかし、近代以降に宗教的、伝統的な価値観が消退して個人主義が台頭すると、個々人が自分の生き方を、個別に創らなければならない必要に迫られました。そのため現代人は、個性的な生き方を選択できる反面、生き方の構築に失敗して、精神を崩壊させる危険もはらむようになったのです。

 

個人宗教の時代

 宗教的、伝統的な価値観が主流だった時代には、人々の生き方は代々受け継がれていました。性格による個別性はあるにせよ、人々がどのように生きるかは概ね決まっていました。社会で決められた生き方に馴染まない人もいたでしょうが、生き方自体をどのように創り上げるかを悩む必要はありませんでした。

 ところが、近代以降に個人と社会のつながりが希薄になり、しかも社会が刻々と変化するようになると、個人の生き方は個人ごとで自由に選び取ることができるようになりました。職業の選択が自由になり、どこで生活するかを自由に選ぶことができ、結婚相手を自由に選べるだけでなく、結婚するかどうかも自分で選択できるようになりました。社会との関わりをどのように持つかが個人の自由に任せられるという、自由を謳歌できる時代にわたしたちは生きています。

 生き方を半ば強制的に決められていた時代の人々からは、今の時代は究極の自由を勝ち取った、理想的な社会に映るかも知れません。しかし、自由は不自由な存在があってこそ意味を持ちます。不自由という桎梏から解放されるからこそ自由は輝くのであり、最初から与えられる自由は混沌でしかありません。

 わたしたちは与えられた自由の中で、生き方を選び取らなければなりません。自分自身で自分の生き方を創造することは、社会から宗教が失われた現代では、個人が自分なりの宗教を創らなければならなくなったことに喩えられるでしょう。

 

良い人で生きるという宗教

 この意味でうつ病病前性格を有する人たちは、社会のルールを尊重し、自分よりも他者に配慮をし、何事にも手を抜かずに一生懸命になるという宗教の教義を創り上げた人たちであると言えます。そして、実際にうつ病を発症する人は、この教義を厳格に遵守する原理主義者のような人たちです。

 宗教の原理主義者が社会とさまざまな軋轢を起こすように、良い人で生きるという教義の原理主義者にも、社会の中で生きることに多くの困難が生じます。人は必ずしも社会のルール通りには生きられませんし、他人のことばかり考えていたら自分の生活は破綻してしまいます。自分だけで抱え込めば仕事は滞りますし、真面目で一生懸命に生きるだけでは面白く生きることができません。そのため、彼らは早晩行き詰まり、社会の中で生きてゆくことができなくなるのです。

 

生きる意欲を失う

 自分の生き方に行き詰まっても、彼らは生き方を簡単に変えることができません。それは、良い人であるという生き方に、彼らが宗教の原理主義者のように執着しているからです。

  良い人であるという生き方に行き詰まり、かといって自分の生き方を変えられない彼らは、自らの生きる指針を失います。生きる指針を失った彼らは、どのように生きたらいいかが分からなくなり、生きるための意欲を失い、そして生きることに絶望してしまうのです。

 つまり、うつ病とは、どうやって生きていったらいいかが分からなくなり、生きるための意欲を失い、生きることに絶望する病であると言えるでしょう。

 

自責の念を抱く

 さらに、うつ病を発症する人は、秩序を愛したり他者への配慮を欠かないような病前性格であるため、上手くいかなくなったときにそれを会社のせいにしたり、他者を責めるようなことをしません。たとえ問題が本当は会社や他者にあったとしても、彼らにはそれを責めることができないのです。

 そのため、彼らはいつも自分自身を責めます。手を抜かず一生懸命に仕事をしているにもかかわらず、上手くいかないのは自分の頑張りが足りないからだ、怠けているからだと自分自身を責めます。自分自身を責めることで彼らは良い人であるという体裁を保つことができますが、一方で彼らはより一層つらくなり、さらにうつ状態を悪化させます。うつ状態を悪化させた彼らは、自分自身を責めるという負のスパイラルに陥ります。

 こうして彼らは、ますます自責の念を募らせてゆきます。生きるための意欲を失ったこと、生きることに絶望したこと、そして自責の念を募らせたことが、彼らを自殺へと導いてゆくのです。(続く)