人はなぜ依存症になるのか 移行対象としてのスマホ(1)

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 スマホの出現によって、わたしたちの生活はより便利になり、快感や満足を簡単に得られるようになりました。しかし、スマホが便利であればあるほど、そして簡単に快感や満足を得られれば得られるほど、人は快感や満足を得るための努力をしなくなります。その結果として鳥が飛翔能力を失うように、人は自ら学ぶ力、問題を見つける力、失敗に耐える力、努力を継続する力を失ってゆきます。

 ただし、スマホの問題は、便利さからさまざまな努力を怠って能力を失うことにとどまりません。スマホは、心の成長を妨げる要因にもなるのです。

 今回のブログでは、この問題を検討したいと思います。

 

 なくてはならないスマホ

 スマホが便利であるほど、そして簡単に快感や満足を得られるほど、人はスマホを手放せなくなります。何かを調べるのにも、人と連絡をとるのも、見知らぬ誰かと接するのも、時間を潰すのにも、スマホを通して行われるようになります。多くの人は、毎日数時間以上をスマホに費やし、移動する際にも常にスマホを携帯しています。スマホはこうして、日常生活になくてはならない必需品になりました。

 そうなると、スマホのない生活は考えられなくなります。スマホが身近にないと落ち着かなくなり、スマホが見当たらないと不安でいたたまれなくなります。身近に置いておかないと不安でいられなくなるもの、これは何かと同じ性質を持っていないでしょうか。

 それは、幼児期に現れる「移行対象」です。移行対象とは、イギリスの児童精神科医であるウィニコットが、乳幼児の精神発達を理解するために提唱した概念です。

 ここで移行対象について、もう一度振り返っておきましょう。

 

絶対依存期と錯覚

 人間の赤ちゃんは、自分では何もできないような未熟な状態で生まれてきます。お母さんの世話を全面的に受けなければ、生きることさえままなりません。お母さんの育児が不可欠の生後半年間のこの時期を、ウィニコットは「絶対依存期」と呼びました。

 この時期に赤ちゃんは、お母さんからお乳を与えられ、おむつを替えてもらい、抱っこをして守ってもらわなければ生きていけません。しかし、赤ちゃんはこの状況を、乳房や哺乳瓶を提供し、オムツを新しくしてくれる対象を自らが創り出したと認識しているといいます。

 ウィニコットはこれを、絶対依存期の「錯覚」と呼びました。

 

錯覚が起きるのは

 このような錯覚が起きる要因の一つは、人間の赤ちゃんが未熟な状態で生まれるからです。出生直後には自他の区別はまだ混沌としており、その後もしばらくは、他者は体の一部分(例えば「良い乳房」や「悪い乳房」、「笑った顔」や「怒った顔」など)として認識されます。赤ちゃんの感覚が充分に発達して、他者を一人の人間として見分けられるようになるのは、生後6カ月ほど経ってからだと言われています。

 もう一つの要因は、人間にはイマジネーションを膨らませる能力が備わっていることにあります。この能力によって、赤ちゃんは自分の精神の中に、自分なりの世界を作りあげることができます。

 こうした状態にある赤ちゃんが、泣いたりぐずったり、または笑ったりするとお乳がもらえ、オムツを替えてもらい、あやしてもらえることが繰り返されます。すると赤ちゃんの精神世界の中では、願ったものを提供してくれる部分的な対象を、自分自身で創り出したという錯覚が生じるのです。

 

移行期と移行対象

 ウィニコットは、絶対的依存期から後述する相対的依存期の間の、過渡的な時期である6ヶ月~1歳頃を「移行期」と呼びました。

 移行期になると赤ちゃんは、お母さんを一人の人間として理解し始めるようになります。同時に赤ちゃんはお座りをするようになり、その後はハイハイをして少しずつお母さんから離れるようになります。

 お母さんも、子どもが離れることを成長と捉えます。近代化以降の子育てでは、子どもがお母さんから離れていられることを目指しているからです。子どもがお母さんから離れ、子どもが子ども個人として存在するようになることは、将来の子どもの自立を目的としています。

 移行期で赤ちゃんは、お母さんは自分とは別の存在であり、お母さんがいつも一緒にいてくれるわけではないことを理解し始めます。この時期に赤ちゃんは、お母さんから離れる不安を解消するために、お母さんの代わりになるものを必要とします。一方でお母さんも、一人いられるように赤ちゃんが安心するものを与えます。赤ちゃんは与えられたものの中から、お母さんの代わりになるものを見つけ出します。

 こうして赤ちゃんは、与えられたものを使って、自分の精神世界の中にお母さんの代わりになる対象を創り上げるのです。

 ウィニコットはそれを、「移行対象(transitional object)」と呼びました。

 

一次的移行対象

 移行対象は、「一次的移行対象」と「二次的移行対象」に分けられます。

 一次的移行対象は、1歳までに出現します。具体的には、お母さんの身体の感触が置き換えられられたタオルケットや毛布などがその対象になります。

 

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                    出典:https://conobie.jp/article/4818

 

 タオルケットや毛布は、子どもを包み、暖かく保護するという意味で母性を象徴するものです。チャーリー・ブラウンのピーナッツ・シリーズに登場するライナスが執着しているブランケットも、一次的移行対象であると言えるでしょう。

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  ライナスの毛布

 

二次的移行対象

 ウィニコットは、1歳から3歳までの時期を「相対的依存期」と呼びました。この時期に子どもは、母親と自分は別の存在であると気づきます。まだまだお母さんに依存しなければいけない状態にありますが、子どもが自分でできることも増えるため、お母さんに依存する割合は相対的に減って行きます。

 この時期に子どもは、自分が何でもできるのではなく、お母さんに頼らなければ生きていけないことを理解します。ウィニコットはこれを錯覚から脱する、つまり「脱錯覚」と呼んでいます。

 そして、相対的依存期の1歳から2歳の間に現れる柔らかいおもちゃであるぬいぐるみを、二次的移行対象と呼びます。

 

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                  出典:https://chaccari-mama.net/?p=2170

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              出典:https://kosodate-march.jp/rainasu5566

 

 二次的移行対象であるぬいぐるみは、人格的な対象として取り扱われ、人間的な感情が投影されます。すなわち、ぬいぐるみはお母さんの代わりになったり、自分の代わりになったり、友達の代わりになったりするのです。

 

乳幼児と母親をつなぐ移行対象

 ここで、ウィニコット自身が描いたシェーマをお示ししましょう。

 

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          図1           図2

 

 図1は、絶対依存期の錯覚を表したものです。子どもとお母さんの間には、泣いたりお乳をあげたりするといった相互の交流があります。しかし、まだ母親が自分と別の存在であると認識できない子どもは、母親の乳房は自分が創り上げたと錯覚(illusion)しています。

 図2は、移行期における子どもとお母さんの関係を示しています。移行期になると子どもは、母親は自分と別の存在であると気付き始めます。そして、母親が離れることによって、一人でいる時間と一人の空間が存在していることを認識するようになります。

 この時に生じる不安と恐怖感を解消するために、絶対依存期に生じた、母親の乳房は自分で創り上げたという錯覚が頭をもたげてきます。この錯覚を支え、自分と母親の間に存在する時間と空間を埋めるものが、移行対象(transitional oboject)です。

 ところで、なぜ毛布やタオルケットなどが母親の代わりになるのでしょうか。それは子どもが万能感を育んでおり、母親を連想させる毛布やタオルを使って母親を創造できると錯覚しているからです。そして、移行対象となった毛布やタオルに母親の属性を投影し、この属性によって母親があたかも存在しているかのようなイメージを膨らませることができるからです。

 こうして、子どもの錯覚と母親を感じさせるものとで創造された移行対象は、母親の不在を埋め、母親との一体感を蘇らせる役割を果たすのです。

 

移行対象は自己と対象世界を繋ぐ

 ところで、乳幼児にとって母親は世界を代表する存在であり、対象世界そのものでもあります。したがって、乳幼児と母親の間に存在する時間と空間を埋める移行対象は、自己と対象世界の間に存在する時間と空間を埋め、そして自己と対象世界を繋ぐ働きをすると考えられます。

 もし図1のように、乳幼児と母親の関係が錯覚で結ばれ、以後もその関係が続くとしたらどうなるでしょう。自己と対象世界との関係は錯覚で結びつけられたままになり、対象と現実的な関係が作れない状態が継続することになります。

 一方で図2のように、乳幼児が母親との間で移行対象を創ることができた場合は、自己と対象世界は、かろうじて関係を保つことができます。しかし、それは錯覚と現実の間に存在する、錯覚と現実の入り混じった関係です。

 

色あせる移行対象

 錯覚と現実が入り混じった関係ですから、移行対象が介在する関係は、決して安定したものだとは言えません。さらに、移行対象はやがて色あせて、その効力を失ってゆきます。

 そもそも子どもの精神世界の中で、母親との間に時間と空間が存在していると認識されるのは、子どもが一人でいることが多い育児のためでした。子どもが成長するにしたがって、子どもが一人でいる時間はさらに多くなります。それは、自己と対象が出会うことのない時間が長くなり、自己と対象との間に存在する空間が広がって行くことを意味します。

 幼児期に創られた毛布やタオルケット、ぬいぐるみなどでは、自己と対象の間隙に存在する時間と空間を埋めることが難しくなって行きます。そこで子どもは、移行対象に代わる「新たな移行対象」を創らなければならなくなります。

 その新たな移行対象として現代に登場してきたのが、 スマホなのです。(続く)