いじめはなぜなくならないのか いじめをする人たちの特徴

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 前回のブログでは、山田広報官へのバッシングは、野党議員にとっては管内閣を貶めるための、一般の人々にとっては緊急事態宣言によって鬱積していた欲求不満を解消させるための、集団によるいじめである可能性を検討しました。

 今回のブログでは、森会長や山田広報官へのバッシングを通して、いじめを行う人たちの特徴を描いてみたいと思います。

 

森会長のバッシングの際には

 2月9日の衆議院本会議で、森会長の発言に対する抗議の意思を示すため、立憲民主党共産党などの女性議員が白い服を着て出席しました。 

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  これは、20世紀はじめにアメリカで起きた女性の参政権運動の象徴が白い服だったことにちなんだもので、昨年の2月にも、トランプ大統領が女性蔑視の発言を繰り返したとして、アメリカ議会で同様の行動が行われたことがありました。
 立憲民主党辻元清美議員は、本会議のあと記者団に対し、「政府与党から誰一人として『森会長は辞めたほうがいい』と声をあげる人がおらず、本質的に女性蔑視の政権だ。男女平等なくして民主主義はないということを、政府与党に投げかけたい」と述べました。

 

 山田広報官へのバッシングでは

 一方で、辻元議員は、山田真貴子内閣広報官へのバッシングでも主導的な役割を果たしました。

 2月22日に、東北新社から接待を受けていた人物のなかに、山田真貴子広報官の名前が挙がり、その飲食単価が74,203円だったことが明らかになりました。辻元議員はすかさず記者団に、「どんなところに行っているんやろね。びっくりしたわ。こんな高いご飯、下心がなかったらおごらないと思う」と述べました。この後に、「7万4千円の接待」に批判が集中してゆきます。

 一部地域の緊急事態宣言解除に伴う総理会見が取りやめになった際には、辻元議員は「急に昨日の山田広報官出席での質疑が終わったあたりから、(総理会見が)なくなったということを聞きましてね、怪しいなと。まさか、山田広報官隠しのために国民に説明をしないというような事態を招いているとすれば、山田広報官が障害になっていることになる」などと暗に山田広報官を非難しました。

 さらに、タレントの松本明子さんが「7万4203円、うちの親子3人の月の食費とあんまり変わらない」と訴えると、辻元議員がこの発言を取り挙げ、「総務省の家計調査によれば、3人家族の月額食費と変わらない」とツイートしました。

 

一貫した主義主張がない

 以上のような言動から、辻元議員が真に求めているのは、男女平等や女性の地位向上ではないことが分かります。もし、本当に女性の地位向上を追求するなら、女性初の内閣広報官になった山田真貴子さんを貶めるようなことはしなかったでしょう。むしろ、山田広報官が女性であるが故に不当なバッシングを受けているのではないかと、彼女を守ろうとする言動をしたはずです。

 辻元議員には、一貫した主義主張があるようにはみえません。彼女の言動に一貫したものがあるとすれば、それは政府を攻撃しようとする姿勢だけです。政府の行っていることはすべて批判の対象にして攻撃する。そのためには、あるときには女性蔑視発言をしたとして森会長を徹底して非難し、またあるときには高額の接待を受けたことを問題視して、女性広報官に世間の非難が向くように誘導するのです。

 

屁元から騒ぎ出す

 特筆すべきは、辻元議員が山田広報官へのバッシングを主導したことにほっかむりをしていることです。

 一斉バッシングを受けて山田広報官が入院したことに対して、辻元議員は記者団に「問題が発覚したときに最初に総理も(山田広報官の)辞任を認めていれば、入院ということにも至らなかったのではないか」と指摘しました。

 さらに、菅義偉首相の長男が勤める会社からら7万4千円超の接待を受けたことについて、「間違っていると思うが、複雑な思い。結局は総理大臣の身内に振り回されたというか。安倍政権のときは、森友(学園の問題)で財務省が振り回されて自殺者まで出したけど、菅政権でも、今度は息子さんで優秀な女性官僚が潰されたという側面もあるんじゃないか」と述べ、菅政権の姿勢を批判しています。

 これらの発言は、「屁は屁元から騒ぎ出す」の典型でしょう。

 

他人に責任転嫁する

 辻元議員は、自分自身でさんざん山田広報官を責め、世論のバッシングを誘導して入院にまで追い込んでおきながら、その責任を管首相と息子になすりつけています。しかも安倍内閣のときに、追及を繰り返して財務官僚を追い詰め、そのことが自殺者を出す要因の一つになった責任を、改めて安倍政権に押しつけています。

 最後に山田広報官を「優秀な女性官僚」だと持ち上げて、自分は女性の味方だと匂わせているところは、森会長への批判との整合性を無理やり付けているのでしょうか。

  まさに、開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

 それはともかく、辻元議員の言動からは、いじめを行う人物の特徴を見いだすことが出来ます。それは非難することがそもそもの目的であり、非難を行うための理屈はばらばらで、理由は何であっても構わないことです。そして、本人にはいじめを行っているという自覚がなく、いじめの責任を他者に転嫁することに何の躊躇もありません。

 

いじめを誘導したことに気づかない 

 辻元議員と同じように、いじめを誘導したことに気づいていない人に、元陸上選手の為末大氏がいます。

 森会長の発言に対して為末氏は、「『沈黙していることは賛同と同じようにみられる』と言われて、自分も反対という意見を書くことにした」と話したうえで、「アスリートから声をあげることがとても大事だ。東京大会が開かれたときにはこの話題について『あなたはその時になんと言ったのか』と必ず世界から聞かれるからだ」と述べ、アスリートたちに自分なりの意見を持って声を上げるように求めました。

 ここから、「森会長の発言を非難することが正義である」という流れが作られました。そして、この発言の後に、アスリートたちが相次いで森会長へのバッシングを始めました。為末氏はまさに、森会長へのバッシングを誘導した人物であると言えるでしょう。

 森会長へのバッシングは、抵抗できない人間に対して、大勢で一斉に攻撃するといういじめと同じ構造をとっています。

 

韓国アスリートのいじめに反応する

 為末氏は、「一斉バッシングといういじめ」に加担したことは意識できていないようです。しかし、そのことに何となくひかかっているのでしょう。同時期に起きた韓国でのアスリートのいじめ問題に、素早く反応しています。

 2月15日に、韓国プロバレーリーグに所属する李在英(イ・ジェヨン=24)と李多英(イ・ダヨン=24)の双子の姉妹が、中学時代のいじめを告発され、代表チームから無期限の追放処分を受けたことが報じられました。

 為末氏は16日に、このニュースを引用し、「過去のいじめの告発を受けて。日本でも起きそうです」とツイートし、さらに「日本のスポーツで同じような事例が出てきたとき、どのような判断をし、どのようなメッセージを出すかの用意は各協会しておいた方がよさそうです」と述べました。

 

いじめと無関係を装う

 この素早い対応によって、自分はいじめにはどのように対応したらいいのかを語る立場であることを表明し、自らはこうした問題とは無関係であることを強調しているかのようです。さらに、「いじめの告発を受けたときにどのように対応したらいいかを用意しておいた方がよい」という彼の発言は、自分が告発された場合の不安を解消させようとしているようにも見えます。

 為末氏には、辻元議員と共通する点が認められます。それは、いじめを行っているのにそれに気づいていないか、または気づいていないかのように振る舞うことによって、いじめを他人事のように語っていることです。さらに、いじめを対処する側に回ろうとすることなどは、辻元議員が責任転嫁を行っていることと同様に、無責任で卑怯な態度だと言えるでしょう。

 

いじめはいじめる側が悪い

 辻元議員や為末氏の言動は、図らずも、いじめはこのように行えば自分の身は安全であるという見本になっています。

 まず、反論や反撃の出来ない立場の人間を選びます。次に、彼らの非難できるところを探し出し、それを誇張します。そして、自らは正義の立場に立って、相手を悪として非難します。さらに、仲間を作って寄ってたかって一人を攻撃します。攻撃に参加しない人や、かばおうとする人がいると、彼らも攻撃の対象にします。いじめを行う中心人物は、こうして自己を正当化し、いじめられる人間が悪であるという幻想を作り上げるのです。

 この幻想が集団の中で共有されると、実に奇妙なことが起こります。いじめは、いじめる側が悪いのは当たり前なのですが、なぜかいじめられる側が悪いという間違った認識が生まれます。それはいじめられる側にも共有され、その結果としていじめを受けた子どもは、自分が悪い、さらには自分はダメな人間だという認識を植え込まれることになります。

 

正義の名の下で行われるいじめ

 いじめは、子どもたちが独自で創造するものではありません。いじめには必ず、いじめのモデルが存在しています。そして、そのモデルを提供しているのは、間違いなく大人たちです。

 大人たちがいじめの見本を示している限り、いじめをする子どもはいなくならないでしょう。辻元議員や為末氏が社会から正義として認識されるならば、彼らを手本にしたいじめっ子たちは、罪の意識を持たないまま多くの子どもたちを追い詰めてゆくでしょう。この悪循環を断つためにも、正義の名の下で行われるいじめの存在に、わたしたちは目を向けなければならないのです。(了)