いじめはなぜなくならないのか 森会長へのバッシング(3)

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 前回のブログでは、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)が、世界中からバッシングを受けるようになった経緯を振り返り、いじめの構造との類似点を検討しました。

 まず朝日新聞が森会長の発言を切り取り、女性蔑視というレッテルを貼って世界中に発信します。そして、朝日新聞は正義、森会長は悪という立場を恣意的に作り上げ、森会長を攻撃することを正当化します。こうして集団によるいじめの準備が完了します。

 さらに森会長が自らの発言を謝罪したことで、森会長を非難しても自分は安全だという状況が整いました。

 さあ、ここからいじめの大合唱が始まります。

 

正義の立場を表明する

 森会長の発言を受けて、発言同日の2月3日には、お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんが、愛知県犬山市から任命された東京五輪聖火ランナーを辞退すと発表しました。田村さんが聖火ランナーを辞退した理由は、「新型コロナウィルスがどうあろうと、オリンピックは必ずやり抜く」と発言したことに対して、「オリンピックは延期すべきだ」と考えたことにあるようですが、彼の発言は森会長を非難する勢力を勢いづかせました。

 2月4日に森会長が「深く反省し、発言を撤回したい」と謝罪したことで、IOC国際オリンピック委員会)の広報担当者は、「森会長は謝罪した。これでこの問題は終了と考えている」とのコメントを発表しました。

 しかし、問題はこれで終息しませんでした。2月8日には、「森会長の女性をめぐる発言の後に、東京オリンピックパラリンピックのボランティア390人が辞退した」とメデイアが一斉に報じました。ボランティアが8万人いる中での390人であり、しかも辞退の理由は明らかにされていないにも拘わらず(当然コロナが原因で辞退した人も相当数存在したでしょう)、森会長の発言がオリンピックの運営に支障を来しているかのような印象を広めました。この報道は、森発言を謝罪だけでは終わらせないという決意表明のようでした。

 

非難することが正義

 森会長の謝罪による解決、の流れを変えたのが、元陸上選手の為末大さんの発言でした。

 為末さんは2月9日に、「『沈黙していることは賛同と同じようにみられる』と言われて、自分も反対という意見を書くことにした」と話したうえで、「アスリートから声をあげることがとても大事だ。東京大会が開かれたときにはこの話題について『あなたはその時になんと言ったのか』と必ず世界から聞かれるからだ」と述べ、アスリートたちに自分なりの意見を持って声を上げるように求めました。

 ここから、「森会長の発言を非難することが正義である」という流れが作られました。

 

森会長への批判が加速する

 為末さんの発言の後には、アスリートや元アスリートの森会長への非難が続きました。

 リオ五輪金メダルの萩野公介さんは、「“女性蔑視発言”と僕も捉えます。そういうふうな発言をする思考回路に行き着くのが僕は信じられない。(中略)非常に残念、がっかりでした」と音声アプリで表明しました。

 バルセロナ五輪柔道女子銀メダリストでスポーツ社会学者の溝口紀子さんは、「今回の発言はラグビーでいうとレッドカード。柔道では反則負けです。レッドカードを突きつけられたらラグビーの選手はその場でピッチを去りますよね。柔道も畳に上がれないわけです」と述べて森会長の辞職を促しました。

 女子マラソンで五輪2大会連続メダリストの有森裕子さんは、「スポーツという手段を通し、感動と共にメッセージ性を持たせて浸透させるのが五輪の役割。なのに五輪をやろうとしている国の組織のトップが、開催する意味がないくらいのメッセージで全て台無しにした」と非難し、さらに森会長の謝罪会見も「何回訂正しようが信頼、信用してもらうのは難しい」と苦言を呈しました。

 海外からは、為末さんの発言の前から、森会長への非難がみられました。女子アイスホッケーの金メダリストで国際オリンピック委員会IOC)委員のヘイリー・ウィッケンハイザーさんは、自身のTwitterで「朝食会のビュッフェでこの男性を追い詰めます、絶対に。東京で会いましょう!」と発信しました。

 こうした国内外からの非難は一般人に広まり、さらにオリンピック・パラリンピックの協賛企業にも及んだため、「問題は終了した」と発表していたIOCまでが手のひらを返して森会長を非難する側にまわりました。

 

いじめないといじめられる

 森会長への非難は、同調圧力となって女性アスリートたちを襲います。

 写真週刊誌のFLASHは2月16日に、「森氏の “女性蔑視発言” は、主婦も女子大生もOLはおろか、世界中の女性から猛烈な批判を浴びた。当事者でもあるはずの女性アスリートたちは、どう考えているのか」と銘打った記事を載せました。

 その中で、マラソン金メダリストでJOC理事の高橋尚子さん、柔道金メダリストで東海大学講師の塚田真希さん、レスリング女子で史上初の五輪4連覇を果たした伊調馨さん、バドミントン女子ダブルス金メダリストの高橋礼華さんと松友美佐紀さん、柔道金メダリストの惠本裕子さんらが森会長の発言を非難しないことを指摘しました。

 さらにレスリング女子で五輪3連覇の吉田沙保里さんや、フィギュアスケート金メダリストの荒川静香さんからは、FLASHからの問い合わせに回答がなかったとしています。

 そして、「最高の栄誉に輝いた彼女たちこそ、“森発言” に怒ってほしいものだ」と記事を結んでいます。

 こうして、森会長を非難しない女性アスリートたちが、逆に批判される状況が生まれました。これはまさに、いじめられっ子をいじめないと、今度は自分がいじめを受けるぞという宣言になっていないでしょうか。

 

いじめはなぜなくならないのか

 さて、これまでの検討から、なぜ子どもたちの間でいじめがなくならないのかが明らかになったと思います。それは、大人たちが立派な「いじめの見本」を示しているからです。

 最初にいじめのターゲットを定め、次に自分が正義になるように、非難する問題点を特定します。いじめの対象が反撃できないことを確認すると、仲間を集めていじめを始めます。さらに、いじめの対象をかばったり、いじめを傍観する者に対して、いじめる側に回らなければいじめる対象にするぞと圧力をかけます。こうして一人の人間を大勢で一斉にいじめるという、いじめの構造が出来上がるのです。

 今回の森会長へのバッシングは、いじめはこのように行えばよいという見本になるような事例でした。たちが悪いのは、バッシングする側に回った朝日新聞などのメディアや政治家、アスリートや芸能人、一般の人たちが、このバッシングは正義のためだと認識していることです。つまり、正しいことを行っているつもりで、無抵抗の人間を集中攻撃しているのです。

 子どもたちにも、この構造はそのまま伝わるでしょう。

 

ウィグルの人権問題は対象にならない

 前回のブログで、新疆ウイグル自治区の収容施設では、ウイグル族などの少数民族100万人以上が拘束されていると推測されており、イギリスBBCが、収容施設で警官や警備員らから、組織的にレイプや性的虐待をされた女性収容者たちの生の証言を報じたことを取り上げました。

 これに対してジャーナリストの櫻井よしこさんが、 「東京五輪の半年後に北京冬季五輪がある。森氏を非難している人達は中国のウイグル人に対するジェノサイド、民族集団虐殺に対して森氏より何十万倍も激しい批判をすると信じたい。『沈黙は同調』と為末大さんも言ったが中国の虐殺に対して北京五輪も反対してくれるだろう」とツイートしました。

 残念ながら、その可能性は限りなくゼロに近いでしょう。それは、この問題をいじめに置き換えてみると分かりやすいと思います。もし、腕力の強い子どもが力任せに暴力をふるい、傍若無人に振る舞っていたとしたら、いったい誰が彼をいじめの対象にするでしょうか。

 中国のジェノサイドへの批判を行ったら、どのような報復が待っているのか分かりませんし、オリンピックをボイコットでもすれば、アスリート自身にも大きな被害が及ぶことになります。そうした危険を承知のうえで、彼らが北京オリンピックに反対するとはとても考えられません。

 いじめは、反撃してこない人間だけを対象にし、安全な立場から集団で行う卑劣な行為だということを忘れてはなりません。(了)