東京五輪はなぜ無観客になったのか 東京五輪を潰そうとした人たち(4)

f:id:akihiko-shibata:20210709013324j:plain

 前回までのブログで指摘したように、東京五輪を潰そうとしたマスコミや政治家、そして医師たちには、国民の健康と命を守るという反論できない正義を唱えながら、行動においては「自分たちのことしか考えていない」という共通点がありました。

 東京五輪を潰そうとした人たちの共通点は、それだけではありません。

 今回のブログでは、彼らに共通する、もう一つの共通点について検討したいと思います。

 

難民選手団に思いを馳せる

 8月1日の『サンデーモーニング』で、姜尚中氏が「多様性を最も阻害するのは商業主義と国家だ」と指摘したうえで、オリンピックの難民選手団に対して次のように発言しました。

 

 「大切なことは今回の難民選手団ですね。これはリオ・オリンピックから始まりました。彼らには国家が無い。だから五輪旗の下にみんなが結集する。これこそが実はオリンピックの精神を一番前衛的に表していると思うんです。

 このことを言うとちょっと難しい感じですけれども、哲学者のカントという人は、外国人がある土地に来た場合には訪問権があると。そこを訪問する権利は、全ての人に在るんだと。

 だから僕はオリンピックのときにどうしてみんな難民にならないのかと。国家を忘れちゃう。だから3週間か分かりませんけども、みんなが国家を忘れて難民になっていく。難民になればいかにいわば難民の人たちの苦しみも分かるし、国家のやはりタガを一回外してみるということですね」

 

 この発言を聞いて、「難民にまで目を向け、難民の立場に立って苦しみを分かち合おうとする姜尚中さんは、なんて優しい人なんだ」と感じる人は、果たしていたでしょうか。

 

正義という偽善

 わたしはこの発言を聞いて、失礼ながら「別荘を持っている金持ちが、路上生活者の立場に立って、彼らの苦しみを分かち合おう」と言っているようにしか聞こえませんでした。

 なぜなら姜尚中氏は、東京大学名誉教授で熊本県立劇場館長であり、さらに2018年4月から長崎県の学校法人鎮西学院学院長・理事に就任しています。そして、サンデーモーニングを始めとした民放の番組に多数出演して、自由に発言しながら多くのギャラを稼いでおられます。つまり彼は、国家と商業主義から最も恩恵を受けて生きている人の代表であると言えるでしょう。

 「金持ちが、路上生活者の気持ちを分かろうとしていけないのか」という反論があるかも知れません。確かに、いけないことではありません。しかし、少なくとも最もふさわしくない立場にいる人の発言であり、そのため、著しく説得力に欠ける発言であることは確かでしょう。

 難民にならざるを得なかった人たちは(そして路上生活者の人たちも)、好き好んで難民(路上生活者)になったわけはありません。彼らはその人生において、筆舌に尽くしがたい苦難をくぐり抜けてきているはずです。「3週間国家を忘れて難民になってみる」などと軽々しく提案することこそ、難民の人たちの立場を分かっていないことの証しであり、この時点で、難民の気持ちを理解することなどできないと表明しているに等しいのです。

 わたしは、姜尚中氏の発言は、正義を気取った偽善以外の何ものでもないと思います。カントがなんと言っていようと、それは何の関係もありません。

 

国家がなければ多様性は生まれない

 オリンピックの開会式を観ていて、地球上には実にたくさんの国家があるのだと改めて感じた人は多かったのではないでしょうか。そして、代表団の民族衣装を観て、実にたくさんの民族や文化が存在することが視覚的にも理解できたと思います。これこそが、人類の多様性を表現しているのだと言えるでしょう。

 もしこれが、「みんなが国家を忘れて」すべて難民選手団になったら、開会式からは多様性はまったく失われます。つまり、「多様性を最も阻害している」のは、皮肉にも姜尚中氏の発言そのものです。

 この例のように、多様性を訴える人は、「多様性が最も大切である」という価値観以外の価値観(ここでは国家や文化など)を排除しようとする傾向があります。その結果として、多様性を阻害するあらゆる価値観が排除され、「多様性という単一の価値観」だけが生き残ることになります。つまり、多様性を強調する人ほど、多様性を排除する結果を招いているのです。

 

五輪の中止が目指すもの

 ところで、姜尚中氏は難民選手団を取り上げましたが、そのことで東京五輪をよりよいものにしようと腐心したわけでは決してありません。彼が目指したのは、あくまで五輪の中止でした。

 5月21日の『AERA』の中で、彼は「世界を分断させる東京五輪 菅首相は正気を取り戻せ」と訴えています。

 

 「豪州は1日の新規感染者40万人を超えるインドからの入国を禁止し、違反者には最大で禁錮5年の刑を科すことを発表しました。選手を日本に送り出せない国、日本に選手を送るべきではないという国も出てくるでしょう。選手団に感染者が出た場合はどうでしょう。今回の五輪は世界を団結させるというよりも、むしろ分断させるセレモニーになりかねません。

 この夏の五輪開催にこだわるという事態が、まともな政治的判断とは思えません。ここは正気を取り戻して、決断を下すべきです

 

 このように姜氏は、「東京五輪は世界を分断させる」と主張し、五輪に突き進む菅首相は「正気を失っている」とまで断言しています。

 しかし、彼が主張するような、日本に選手を送り出さない国は北朝鮮以外にはありませんでした(北朝鮮は経済状況の悪化が、不参加の理由だったと思われます)。また、東京五輪が、世界を分断する兆候は露ほどもみられませんでした。それどころが東京五輪は、コロナ渦で分断していた世界を一つにまとめる成果をもたらしました。

 「菅首相は正気ではない」とまで断じ、「東京五輪は世界を分断させる」と予言した姜氏は、予言が外れた後は次なる策として「難民選手団」を持ち出して、国家と商業主義を非難しようとしたのです。

 

日本を攻撃することが目的

 さて、これまで東京五輪を潰そうとした人たちについて述べてきました。その活動は、五輪組織委員会森喜朗会長を辞任に追い込んだ執拗な非難から始まりました。そして、新型コロナウィルス感染症の拡大を理由に、五輪中止を迫った野党やマスコミ、さらに一部の識者や医師、芸能人らが声を大にして五輪反対を訴え続けました。

 彼らが五輪中止を目指した本当の理由が、姜尚中氏の発言に端的に表現されています。姜氏が難民選手団を取り上げて、国家と商業主義を非難したことには意味があります。彼は国家と商業主義を否定したいのであり、だからこそ国家や商業主義と対極にいる難民を取り上げ、難民に対して重要な価値を付与しようとしたのだと思われます。

 姜氏と同様に五輪を潰そうとした人たちに共通するのは、国家と商業主義の否定を目指していることでしょう。もう少し具体的に言えば、日本という国家と資本主義経済の否定です。つまり彼らは、日本自体を否定したいのであり、日本を解体したあとに訪れるグローバリズムか、または共産主義思想に拠った社会に思いを馳せているのかも知れません。 

 東京五輪の反対は、実は日本を攻撃し、日本という国家を潰そうと目論んでいる人たちが、自らの願望を実現するために起こした運動だったのです。(了)