人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(1)

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 前回までのブログでは、死の欲動について、幼少期の親子関係に遡って検討しました。そして、死の欲動が生まれて増強される過程を、青年期までの対人関係という側面から分析しました。

 今回からのブログでは、壮年期の自殺について検討したいと思います。壮年期の自殺の原因として最も重要だと考えられるのが、うつ病による自殺です。うつ病による自殺を検討するためには、うつ病がどのような病気であるかを理解する必要があります。

 そこで今回のブログでは、うつ病の精神病理について述べることから始めたいと思います。

 

良い人がなるうつ病

 うつ病になるのは、どのような人なのでしょうか。

 うつ病を起こしやすい性格が知られており、これはうつ病病前性格と呼ばれます。うつ病病前性格として、主に次の二つの特徴が挙げられています。

 一つ目は、秩序愛と呼ばれる特徴です。秩序愛とは秩序を愛すること、つまり、自分が属する組織や集団のルールを最も大切にし、順守することをモットーにする人たちです。彼らのような人たちによって、組織や集団の秩序が守られ、円滑な運営が保障されます。学校で校則を破ることに生きがいを感じたり、会社で上司の命令に従わずに自分勝手な仕事をしたり、地域に交わろうとせず周囲に迷惑をかけてばかりいる人の対極にいる人たちだと言えるでしょう。

 もう一つは、対他配慮と呼ばれる特徴です。対他配慮とは、他人への配慮を欠かさないこと、つまり、まず他人のことを考え、自分より他人のことを優先しようとする人たちです。彼らは自分のことは二の次にして、他者に負担をかけないように振舞います。そのため、自分でできることは自分で行い、人に任せたり頼ったりすることができません。それどころか、人から嫌なことを丸投げされたり、押しつけられたりすることが多い人たちです。

 その他にも、真面目で几帳面、物事に一生懸命に取り組み、手を抜けないことなどがうつ病病前性格として挙げられています。いずれにしても、どの特徴も一般的なイメージとは異なり、いわゆる性格の良い人がうつ病になりやすいと言われているのです。

 

うつ状態は喪失に対する反応 

 さて、秩序を愛したり、他者を配慮するような人たちが、どのような状況になるとうつ病を発症するのでしょうか。

 フロイトは、うつ状態は喪失に対する反応であると指摘しています。喪失への反応とは、愛する人を失ったときに生じるうつ状態が、典型的な例であると言えるでしょう。これは悲哀反応と呼ばれるもので、わたしたちの誰もが起こし得る反応です。しかし、悲哀反応は永遠に続くわけではありません。愛する人を失った悲しみは果て無く続くようでも、時が少しずつ苦しむ心を癒してくれるものです。

 それに対して、うつ病うつ状態は時間が経っても軽減しません。むしろ、悪化して行くことさえあります。この違いは、どうして生じるのでしょう。

 フロイトは続けて、うつ病者の場合は「患者自身が何を失ったか意識的にはつかめないでいる」と指摘します。何を失ったかを意識できないために、うつ状態は改善することなく、病者を痛め続けるのです。

 では、うつ病者が意識できていない、失ったものとはいったいどのようなものでしょうか。

 

喜ばしいことも原因になる

 うつ病が発症するときの状況は、離婚、失職、転職、大病、災害、事故、犯罪被害などの悲惨な体験だけではありません。昇進、栄転、結婚、出産、新築などの、一般的には喜ばしい出来事も発症状況になることがあります。

 悲惨な体験がうつ病を起こすのは理解できるとしても、喜ばしいこと、祝福されることがうつ病の発症要因になることこそ、フロイトが指摘した「患者自身が何を失ったか意識的にはつかめないでいる」ことの理解に繋がります。喜ばしいことだからこそ、得るものはあっても失うものなど何もない、喪失感などあろうはずはないと自分では感じているからです。

 

適応し過ぎている人たち

 では、喜ばしいことや祝福されることが、うつ病を発症させる病理を考えてみましょう。そのために、先ほど挙げた病前性格が重要な意味を持ちます。

 秩序愛にしても対他配慮にしても、社会に適応したとても良い性格特徴であることを先に述べました。そのため、この性格特徴が病気を生みやすい性格であるとは、なかなか気づくことができません。さらに、喜ばしいことや祝福されることがうつ病の発症状況になるとは、通常は思いつかないものです。そのため、わたしが学生だった頃は、うつ病は原因不明の脳の病気であり、「目覚まし時計が鳴るように突然発症する」という教科書の記述があったように記憶しています。

 さて、社会に適応した良い性格特徴が病前性格として挙げられましたが、実は、問題はこの良い性格特徴自体にはあるのではありません。彼らがこの性格特徴に執着し、過剰に適応していることにあるのです。

 

過剰適応が喪失を生む

 ここに一人の会社員がいるとします。彼は係長で、会社のルールを遵守し、真面目で几帳面に仕事を行っています。人に頼ることなく、与えられた仕事は自分の責任で誠心誠意こなします。まさに係長としての役割を、理想的にこなしていると言えるでしょう。

 その仕事ぶりが評価され、彼は課長に昇進します。すると、彼には新たな役割が求められます。課全体を見渡し、部下の働きぶりに目を配らなければなりません。さらに、自分の仕事だけでなく、部下に仕事を任せたり、部下を教育することも必要になります。さらに、部下が失敗した際にはそのカバーをしたり、部下を叱責する場面も生じるでしょう。

 このように、自分の仕事を自分のペースで、自分のやり方でこなしていた係長時代と比べて、課長の仕事は大きく変わります。必ずしも良い人でいることはできません。時には、嫌な役回りを引き受けざるを得なくなることもあります。さらに、部長が独善的であったりすると、部下との間の板挟みになることもあるでしょう。その際には、どちらにも良い顔をするすることは不可能で、一方の肩を持てば他方には悪役を演じなければならなくなります。

 こうなると、係長時代の会社のルールを遵守し、人に配慮しながら、自分の仕事を真面目に一生懸命こなすというライフスタイルを継続することが困難になります。課長としての新たなスタイルを構築して行かなければなりません。しかし、係長時代にその役割に過剰に適応していた人たちは、適応し過ぎていたがゆえに、課長としての新たなライフスタイルを作り上げることができません。彼はどのように振る舞っていいかわからず、これまで築いてきた仕事のスタイルや対人関係のスタイルを喪失して、うつ状態に陥ることになるのです。

 

役割の喪失

 以上のような発症状況は、昇進による「役割の喪失」と呼ばれます。係長という役割にあまりに適応していた人が、課長に昇進した途端に、新たな役割に適応不全を起こし、会社の中での役割を喪失してしまいます。この役割の喪失に対する反応が、うつ状態であるということなのです。

 このうつ状態うつ病に繋がるのは、フロイトの言葉を借りれば、彼が「何を失ったか意識的にはつかめないでいる」からです。昇進という成功を勝ち取ったために、失ったものなどあろうはずがないと周囲も本人も思い込んでいます。そのため、喪失感は回復されることはなく、うつ状態も改善しないまま彼の心をむしばみ続けます。

 同様に、結婚、出産、新築などの喜ばしいことにも同じ病理が存在しています。結婚することによって失われること、出産することによって失われること、新築の家を持つことによって失われることは確実に存在しているでしょう。ここで敢えて指摘しませんが、思い当たることはたくさんあるはずです。その喪失に対する反応が、うつ状態を生じさせているのであり、喪失に気づかなければ、うつ状態が改善することがないのです。

 

生き方そのものの喪失

 ただし、うつ病者が「何を失ったか意識的にはつかめないでいる」のは、発症状況が喜ばしいこと、祝福されることだからだけではありません。うつ病の発症状況が悲惨な体験のことも多く、その場合は失ったものを意識することは容易にできるはずです。

 実は、うつ病者が意識できずにいるものは、さらに深いところに存在しています。それは、生き方そのものの喪失です。課長に昇進した彼が失ったものは、会社の中での役割に留まりません。所属する集団のルールを順守し、他者のことを優先して考え、何事も一生懸命に行って手を抜くことない彼の生き方そのものが、課長になることによって通用しなくなり、社会での不適応を招いたのでした。

 会社での役割を失っただけなら、生活の場所を変えれば、失われたものを再び獲得することはできるでしょう。しかし、生き方が否定され、通用しなくなったとすれば、彼は会社だけでなく生活のすべての場面で喪失感を感じないわけにはいかなくなります。

 愛する人を失った際に、それが悲哀体験になるかうつ病に繋がるかの分かれ途はここにあります。愛する人の存在がその人の生き方そのものに関わっていなければ、愛する人の喪失は悲哀体験で終わるでしょう。それに対して、愛する人の存在がその人の生き方そのものに欠くことのできない位置を占めていれば、愛する人の喪失はうつ病の発症に繋がってしまうのです。(続く)