人はなぜ死にたくなるのか うつ病の自殺(4)

 

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 前回までのブログで、うつ病の発症者は、良い人として生きられなくなって自分の生き方そのものを喪失し、生きるための意欲を失って、生きることに絶望している人たちであることを検討しました。そして、絶望しか見えなくなった状況で生じるのが自殺企図であり、自殺を回避するための手段が、うつ病の発症であることを指摘しました。

 うつ病を発症すると、気分が滅入って意欲が減退し、何ごとにも興味がなくなり、人と接することが嫌になって引きこもります。うつ病の症状はつらく苦しいものですが、その一方で、これらの症状によって人や社会から遠ざかり、様々な問題から逃れることができます。苦しさに直面せずに、うつ状態という病的な世界の中で、絶望とは異質の苦しみを感じながら生きられるという側面があります。

 うつ病が回復する段階になると、彼らは病的世界から現実世界に戻り、再び絶望に直面しなければならなくなります。実はこのときに、自殺は最も起こりやすいのです。

 今回のブログでは、回復期の自殺を防ぐにはどうしたらいいのかを検討してみたいと思います。

 

回復は嬉しいことではない

 一般的な病気と違って、うつ病が回復に向かうことは、うつ病者にとって嬉しいことであるとは限りません。これはうつ病だけでなく精神疾患全般で言えることですが、病気の回復は新たな不安を生むからです。

 例えば身体疾患で入院を余儀なくされた人にとって、病気が回復して退院することは非常に嬉しいことでしょう。苦しい病気の症状やつらい治療から解放され、慣れない病院生活から慣れ親しんだ家庭に帰れるのは、本当に喜ばしいことであるに違いありません。

 一方、精神疾患で入院している人が、退院して家庭に帰ることにも、同様の喜びはあるでしょう。しかし、精神疾患の場合には、別の要因が存在しています。それは、家庭に帰ることへの不安であり、恐怖です。

 なぜなら、入院が必要になったのは、家で精神を休めることができなかったためであり、家で休めなかった要因の多くは、家族との関係が上手くゆかなくなったからです。退院は、上手くいっていない家族との生活を再開することであり、家庭との問題に直面しなければならなくなることを意味しています。退院を意識して外泊を開始すると、回復していた精神症状が再び悪化することが起こるのはそのためです。

 

社会復帰にも不安と恐怖が

 同じことは、社会復帰の際にもみられます。

 身体の病気が回復して、学校なり会社に復帰することは喜ばしいことでしょう。しかし、精神疾患の場合はそうとは限りません。なぜなら、精神疾患が発症する要因の多くが、学校なり会社での様々な問題や、そこでの対人関係にあるからです。

 学校なり会社に復帰することは、病気の原因になったつらく苦しかった現場に戻ることに他なりません。社会復帰は、嬉しいどころか、不安や恐怖に満ちた再出発なのです。

 精神疾患の回復には、以上で指摘したような不安感や恐怖感が伴います。そのことを家族を始め周囲の人たちが理解しておくことが、病気の回復に何よりも大切なのだと言えるでしょう。

 

絶望との再会

 うつ病の場合は、うつ状態の回復は絶望との再会を意味します。抑うつ感が減って、元気が出てきたように見えても、心の中では社会に戻る不安と恐怖が渦巻いています。

 一方で、家族や周囲の者は、元気そうになった本人の姿を見て安どの気持ちが湧いてきます。一緒に悩んで苦しんだ時期が、ようやく終わりを告げたように感じられます。ほっとした家族は、患者本人から意識を移し、自分のことや他の家族に目を向けるようになります。

 わたしたち治療者も例外ではありません。回復の初期が危険な時期であることを胸に刻んでいるのですが、それでも大勢の患者さんの診療を行っていると、状態の改善している患者さんからは注意がそがれることがあります。ついつい、激しい行動化を起こしている人や、苦しさを訴えたり人に意識が向かってしまいます。

 すると、絶望感に再会しているうつ病者は、周囲の他者からの関心を失い、ひとり孤立した状態に陥ります。その結果、誰にも相談できず、誰にも理解されないと感じたうつ病者は、絶望から自殺を引き起こしてしまうのです。

 

絶望を理解する

 回復初期の自殺の危険を回避するためには、この時期にうつ病者が経験する、絶望との再会を理解しておく必要があります。まさに、この時期が正念場であると肝に銘じておくことが大切です。

 同時にこの時期には、社会復帰を意識して不安感と共に焦燥感が強くなります。状態は完全に戻っておらず、社会復帰にはまだほど遠い状態にあるにもかかわらず、焦りから職場復帰を希望することがよくみられます。

 この焦燥感は、早く社会に戻りたいことから生じるのではありません。むしろ、絶望から逃れたいために生じている焦燥感です。絶望を感じたくないがために、一刻でも早く今の状況を改善させたいと焦っているのです。

 しかし、この焦燥感は状況を改善させません。それどころか、焦燥感にしたがって行動を起こせば、必ず失敗を招きます。この時期には、心身の状態はまだ整っていないからです。焦って行動を起こして失敗すれば、絶望感に逆戻りします。再度感じた絶望感は、今度こそ自殺を誘発しかねません。

 焦燥感が増すこの時期には、本人の背景にある絶望感を理解し、もう一休みして充電に専念することが必要になります。

 

生き方を変える

 回復初期の危機を回避し、充分に休養がとれ、本格的に充電が終わった回復後期には、いよいよ本格的な社会復帰が始まります。

 その際に問題になることは、長期休養による体力や作業能力の衰えではありません。壮年期までの人であれば、体力や作業能力の衰えは、時間さえかければ問題なく元に戻るでしょう。

 本当の問題はそこにはありません。問題はその人の生き方そのものにあります、彼らが相変わらず社会のルールを尊重し、自分よりも他者に配慮をし、何事にも手を抜かずに一生懸命になるという生き方をつらぬけば、復職した後で同じように行き詰まるでしょう。うつ病を発症する前と同様の問題が生じ、職場でも家でもうまくゆかなくなります。そうなれば、せっかく回復した精神状態は再び悪化し、うつ病が再発してしまいます。

 そうならないためには、生き方そのものを変えなければなりません。

 

少し変える勇気を持つ

 とはいえ、長年慣れ親しんできた自分の生き方を変えることは容易ではありません。生き方が身についてしまっているだけでなく、うつ病が発症するまでは、その生き方で上手くやれてきたからです。むしろうつ病者の場合は、過適応と言われているように、成功し過ぎているている場合があるくらいです。

 それほど上手くいっていた生き方を変える勇気は、簡単に持つことはできないでしょう。それまでの生き方を変えてしまったら、もっと大きな失敗が待っているような気がして、どうしても足が前に進まないのが普通です。

 しかし、生き方を変えるということは、何も生き方自体を180度変えることではありません。生き方の細部を、ほんの少し変えるだけでいいのです。

 

方向性はそのままで

 うつ病者の、社会のルールを尊重し、自分よりも他者に配慮をし、何事にも手を抜かずに一生懸命になるという生き方自体は間違っていません。それどころか、好ましい生き方であり、他者の見本になる生き方です。つまり、生き方の方向性はそのままでいいのです。

 問題は、この生き方にこだわるあまりに融通が利かなくなり、返って社会との間で軋轢を起こし、自分自身が消耗してしまうことにあります。

 方向性を保ちながら生き方を少し変えるとは、例えば次のようです。社会のルールは尊重しながらも、時にはルールから外れることも良しとする。余裕のないときには自分を優先し、余裕が出来たら他者への配慮を大切にする。時には手を抜いたり、人に任せながら頑張ってみる、といった感じです。

 こうした「生き方の改革」は、一言で言えば、少しだけゆとりをもって生きることです。四角四面に正しい方向に邁進するのではなく、少しゆとりをもって生活をすることが、うつ病の再発を防ぐ鍵となるのです。

 

少しのゆとりをもって生きる

 ただし、このような生き方の改革は、言うは易く行うは難しの典型例です。実際に行動を起こすには、大きな勇気が必要になるでしょう。

 そのため生き方を変える試みには時間をかけ、試行錯誤を行いながら少しずつ進めることが肝要です。また、状況を理解してくれる伴走者をもつことも、うつ病者に勇気を与え、改革からの逆行を防ぐ有効な手立てになると思われます。

 こうした努力を積み重ね、成功や失敗を繰り返しながら、少しずつゆとりをもって生きられるようになると、それがうつ病の再発を防ぐ大きな原動力になります。そして、この生き方の変化こそが、うつ病の自殺を防ぐ根本的な解決に繋がるのです。(了)