ポリコレはなぜ危険なのか 神話の崩壊(3)

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 アメリカでは昨年から今年のはじめにかけて、ポリコレによってワシントンやリンカーンといった歴代の大統領を非難する運動が起きました。前回のブログでは、日本を例に挙げて、こうした運動が歴史から誇りを奪い、さらにそれが子どもたちから自尊心を失わせる事態に繋がることを指摘しました。

 それなのにポリコレの推進者たちは、なぜこのような運動を続けるのでしょうか。

 

差別をなくしたいだけなのか

 ポリコレの推進者たちは、単に社会から差別をなくしたいだけなのでしょうか。彼らの目的は、どうやらそれだけに留まらないように思えてなりません。

 昨年の5月25日に、米ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官から首を圧迫されて亡くなった事件をきっかけに、全米で抗議デモが繰り広げられました。その際のスローガンが、ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切)でした。

 

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 黒人差別をなくすことは、アメリカ社会にとって大切なことでしょう。しかし、この運動に紛れて、アンティファ(Antifa)という組織が、抗議活動を乗っ取り、商店の破壊や放火、略奪などを主導する事件が発生しました。

 アンティファという名称はアンチ・ファシズム(反ファシズム)を意味し、ナチス・ドイツの台頭に立ち向かおうとした社会主義者らのグループに由来しますが、現在はファシズムだけでなく、人種差別、性差別、宗教的差別などに反対し、偏見のない世界を誕生させるために闘うと主張しています。彼らは偏見のない世界を実現させるためには暴力革命も辞さない構えをみせており、昨年の抗議運動が広がるなかで、ワシントン州シアトル市の中心部を武力で占拠し、一時的にアンティファ自治区を宣言しました。

 この運動には、「正しい目的のためにはどのような手段を用いても構わない」という正当化が見て取れます。そして、その隠された本当の目的は、現在の社会体制を攻撃し、破壊することにあるのではないでしょうか。

 

歴史への攻撃が始まった

 ブラック・ライブズ・マターに続いて、アメリカでは昨年から今年のはじめにかけて、ワシントンやリンカーンといった歴代の大統領を非難する運動が起こりました。

 前回のブログで検討したように、この運動はアメリカ合衆国の歴史から誇りを奪い、やがてこの歴史を学ぶ子どもたちから、自尊心を失わせる結果を導くであろうと考えられます。

 ポリコレの推進者は、そうなるとは考えずに運動を行っているのでしょうか。

 わたしは、そうではないと思います。彼らはGHQWGIPによって日本の歴史から誇りを奪い、日本の子どもたちから自尊心を失わせたように、アメリカでも同様の効果を狙っているものと推察しています。

 この推察が正しければ、この運動はやがて「アメリカ合衆国の建国神話」へと向かうことになるでしょう。

 

建国の神話はなぜ必要なのか

 建国の神話は、その国家が存在する理由を説明する物語です。この物語は、その国家に生きる人たちにとっては歴史的真実ですが、他国からみれば都合良く創られた物語にすぎません。なぜなら、その国家が存在する客観的必然性は存在せず、あくまで周辺諸国との攻防の中で、たまたま生き残ったのが人々が成立させたものだからです。消滅させられた国家からみれば、新たに存在した国家は侵略者に他なりません。歴者は勝者が創ると言いますが、勝者が自分の都合のいいように創った歴史がその国の正史であり、その創生期の歴史こそが、建国の物語なのです。そこに絶対的な正義や正しい由来は存在しません。

 しかし、建国の物語の中に国家が成立するための正義が存在しなければ、国家からは正統性が失われ、その国家は存続する意義を失います。そうなれば、国家は存在理由を失って消滅に向かうでしょう。

 そうならないために、建国の物語は、社会が存続するために都合がいいように架空の物語で構成されています。しかも、建国の物語にはそれが作り話であることが明らかにならないように、タブーが設定されています。タブー視されている部分には虚構が存在します。しかし、人々はそれを虚構と思わないばかりか、疑う余地のない真実として確信しています。つまり、物語を成立させるためにタブーが存在し、タブー視されている部分には事実の隠蔽が行われ、しかも人々はその隠蔽には気づかない仕組みが形づくられています。

 こうして建国の物語は、触れてはならない神聖な物語になり、建国の神話として成立します。この神話をもとに、国家には正統性が付与されます。そして、人々は神話を信じることによって、国家に安住することができるのです。

 

ピルグリム・ファーザーズの物語 

  アメリカ建国の理念を支えてきた神話として、ピルグリム・ファーザーズの物語があります。
 ピルグリムたちは、信仰の自由を実現するという崇高な目的を持って、大西洋を渡った宗教的な一団だったと考えられています。彼らは、イギリス本国での宗教的な弾圧にも屈することなくその信仰を貫き、大西洋を渡航するという当時においては命がけの冒険を断行しました。彼らは上陸前に船中で「メイフラワー盟約」を結び、強い宗教的信仰と不屈の精神で新大陸を開拓することを誓い合いました。その冬の厳しい気候に耐えられずメンバーの半数が餓死しましたが、二年目の秋には豊かな収穫に恵まれ、その間に援助を受けたインディアンを招いて感謝の機会を持つことも忘れませんでした。

 さらに、入植後に起こった数々の困難をも乗り越えながら、彼らは信仰の自由を守り抜きました。そのため、彼らが造ったプリマス植民地には、市民的自由と信仰の自由の原点があると考えられています。そして、彼らは自由を愛するアメリカ人の起源であり、メイフラワー盟約は近代社会を形成する市民契約の原点だと信じられているのです。

 

建国神話の形成
 この物語によって、ピルグリムたちはアメリカ人の始祖であると捉えられるようになりました。この物語は、アメリカ合衆国の建国神話となりました。この建国神話を信じる人々は、アメリカ人としての自己像を次のように描くようになったと考えられます。

 

 アメリカ人は、市民的自由と信仰・信条の自由を実現するためには、どのような困難にも敢えて挑戦する人々である。われわれは、自由を守るためには、命を懸けることすら厭わないであろう。それはわれわれが神によって選ばれ、神にそのように生きることを定められた者たちだからである。われわれは、同じ志を持つ者と堅い信頼関係で結ばれており、その志に協力する者への感謝も決して忘れないであろう。われわれは、その志を実現するために市民契約を結び、新しい近代的国家アメリカを創り上げた。われわれこそ、自由と民主主義が実現された理想的な社会を構築するという崇高な目的を持って、絶え間ない実践を続けて行く使命を自覚する者たちである。


 このような「アメリカ人の自己像」は、アメリカ人の自我理想となり、さらにはアメリカ合衆国という多民族国家を成立させるための求心力となって、アメリカ社会を根底から支える役割を果たしていると考えられます。

 

ポリコレの視点でピルグリム・ファーザーズを見れば

 しかし、現実は違いました。メイフラワー号に乗船した102名のうち、実際には聖徒と呼ばれるべき人々は乗船者の半数もいませんでした。残りの乗船者には宗教的な目的はなく、新天地で一攫千金をもくろむ人たちでした。

 さらに重要なのは、インディアンとの関係です。インディアンはピルグリムたちに友好的であり、彼らを歓迎しました。それにも拘わらず、1622年にはプリマス植民地の兵士らが、マサチューセッツ族の族長ら4人を謀殺する事件を起こしました。

 1675年には、移民たちはインディアンと全面戦争を起こしました。この戦争は、ウォンパノアッグ族の族長の英名にちなんで「キング・フィリップ戦争」と呼ばれています。当時の植民地世界全体を巻き込んだこの戦争において、もっとも深い関わりを持ったのがプリマス植民地でした。

 かろうじて白人側の勝利に終わったこの戦争の後で、族長フィリップは無残にも身体をバラバラにされ、他のインディアン捕虜は西インド諸島に奴隷として売られました。その後、フィリップの首は、プリマス植民地にさらし首となって24年間も放置されたのです。

 こうした歴史的事実をポリコレの視点からみれば、ピルグリムたちは決して聖人などではなく、インディアンへの侵略者であり、差別主義者であったと言えるでしょう。

 

神話に迫るニューヨーク・タイムズ

 ピルグリムたちが聖人ではなくインディアンへの侵略者であり、差別主義者だっと非難されるようなことになれば、アメリカ建国の神話は大きく揺らぐことになるでしょう。そして、アメリカ合衆国は成立の正統性を失い、国家成立の正義を失ったアメリカ国民は、自尊心を失ってゆくことになるでしょう。

 しかし、このような事態を望む人々が、アメリカに存在するのでしょうか。

 実は、ピルグリム・ファーザーズの神話に迫る動きがあります。その動きが、ニューヨーク・タイムズ紙の「1619プロジェクト」です。

 「1619ロジェクト」の1619とは、アフリカ黒人奴隷がはじめて独立前のバージニア植民地に連れてこられた年を指しています。それからちょうど400年に当たる2019年8月に、ニーヨーク・タイムズ紙は、アメリカ合衆国の「真の建国」は1619年だと主張しました。そして、アメリカ合衆国史は黒人迫害を軸に展開してきたという視点をとり、1776年の米国独立の主要な動機のひとつは、奴隷制維持だったとまで断じました。

 ニューヨーク・タイムズ紙は、「奴隷制の結果と黒人アメリカ人の貢献を私たちの国家の物語の中心に置くことによって、国の歴史を再構築することを目指している」と述べていますが、そんな物語が建国の神話になるとは到底考えられません。ニューヨーク・タイムズ紙の「真の目的」は、アメリカ建国の神話を否定し、アメリカ合衆国を弱体化させることにあるのではないでしょうか。

 

 アメリカ合衆国を弱体化させる意味は、いったいどこにあるのでしょうか。次回からのブログでは、テーマを改めてこの問題を検討したいと思います。(了)