ポリコレはなぜ危険なのか 国家を破壊しようとする人々(3)

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 前回のブログでは、ポリコレやキャンセル・カルチャーの背景には、共産主義思想が存在していることを指摘しました。

 では、なぜ共産主義思想は自由主義社会の中で生き残り、さまざまな運動や政治活動を生んでいるのでしょうか。今回のブログでは、共産主義思想の根源に遡って検討を行いたいと思います。

 

共産主義は独裁者を生む

 マルクスの唱えた社会科学的な分析と予測にもかかわらず、現実の社会では共産主義思想によって、平等な社会は実現されませんでした。

 20世紀にはソ連に続く形で、共産主義を標榜する国々が誕生しました。これらの国々では、社会の平等が実現されるどころか、例外なく独裁者が誕生しました。ソ連スターリン、中国の毛沢東ユーゴスラビアのチトー、ルーマニアチャウシェスクキューバカストロカンボジアポル・ポト北朝鮮金日成金正日などです。独裁者は継承され、現在の中国では習近平北朝鮮では金正恩が独裁者の地位にあります。

 なぜ共産主義は、例外なく独裁者を生むことになるのでしょうか。

 

マルクス主義ユダヤ教 

 この理由を探るためには、共産主義を生んだマルクスの思想を遡ることが必要です。

 マルクス主義の根幹には、次のような思想が存在しています。それは、人間の社会は歴史的必然性によって支配されているという歴史観と、資本家から搾取を受けている労働者階級は本来は選ばれた者たちであり、将来において必ずや正しい社会を樹立する役割を担うことになるという強い信念です。この思想は、何かによく似ていないでしょうか。

 それは、ユダヤ教における選民思想です。ユダヤ教は、苦難の途を歩まねばならなかったユダヤ民族が、自らの自尊心を保つために創り上げた宗教でした。

 旧約聖書によれば、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、エジプトで使役されていた奴隷でした。エジプトを脱出した後も、40年にも及ぶ荒野での放浪生活を余儀なくされます。さらにイスラエルの民は、荒れ野での慢性的な食料と水不足に悩まされ、様々な試練を受けることになりました。試練はイスラエルの民が約束の地カナンに入った後にも課せられます。王国の分裂と滅亡、バビロン捕囚などによって、彼らは苦難の生活を強いられ続けました。
 イスラエルの民はこうした苦難の歴史の中で、民族意識を強めて団結を固め、民族の自尊心を保つために唯一、全能の人格神であるヤハウェを戴くユダヤ教を創り上げました。

 ユダヤイスラエル)民族はローマ帝国によっても支配を受けることになり、果てしない民族的苦難の連続は、メシア(救世主)の出現によって異教徒は滅び、ユダヤ民族が世界の支配者になるという強い信念に発展しました。こうして、ユダヤ民族は神から選ばれた特別の民族であるという選民思想が完成されたのです。

 

選民思想プロレタリアート独裁
 この選民思想の「ユダヤ民族」の部分を「プロレタリアート」に置き換えると、マルクスの革命理論の骨子が出来上がります。ユダヤ民族が常に大国から支配を受け、苦難の生活を強いられ続けたことと同様に、プロレタリアートは資本家から搾取され、劣悪を極めた生活を送ることを余儀なくされていました。

 マルクスの父親は、ユダヤ教の学者・指導者であるラビの家系にありました。マルクス自身は無神論者でしたが、そうとは意識しないままに、プロレタリアートの姿にユダヤ民族の姿を重ね合わせたのではないでしょうか。そして、ユダヤ民族と彼らを苦しめ続ける周囲の大国(それは、エジプトから始まってアッシリアバビロニアペルシャ帝国からローマ帝国に至る)との関係を、プロレタリアートと彼らを搾取する資本家との関係に移し替えたのではないかと考えられます。
 このように仮定すると、神から選ばれたユダヤ民族が世界の支配者になるという選民思想に従って、プロレタリアート階級闘争によって資本主義社会を一掃し、プロレタリアートが支配する社会が到来するという構図が作られます。マルクスはこれを、プロレタリアート独裁と呼びました。

 

神の消失と唯物史観

 ところで、マルクスの思想とユダヤ教選民思想との間には、決定的に異なる部分も存在しています。それは、神の存在です。ユダヤ教選民思想では、ユダヤ民族を世界の支配者にするのは、全能の神ヤハウェでした。神から与えられた契約を忠実に守ることによってユダヤ民族からは救世主が現れ、その救世主によって民族が救済されるのです。
 一方、マルクスの思想においては、彼が無神論者であり、彼の思想が唯物史観と呼ばれているように、思想の基本には神の概念を排除した唯物論が据えられています。マルクスは、唯物史観に基づいて、政治や社会の仕組みといった上部構造はそれ自体で変化するのではなく、経済構造や生産手段といった下部構造によって規定されるのだと説明しました。さらに、『資本論』によって資本主義経済の矛盾を分析し、社会主義への移行を理論的に裏づけました。マルクスの思想は、これらの理論によって、宗教とは異なる新しい時代の社会科学として位置づけられました。
 しかし、マルクスの思想を社会科学たらしめている唯物史観は、成熟した資本主義社会から革命が起こらなかったことからも分かるように、現実の社会の行方を正しく予測できませんでした。マルクスの思想が世界に影響を与えたのは、ユダヤ教から引き継いだ宗教的な側面でした。何よりもまずマルクス主義は、現実の生活にあえぎ将来に希望を抱けない民衆にとって、夢と希望を与える新たな神話として受け取られました。

 つまりマルクスは、民衆を輝かしい未来へと導いてくれるメシアであり、イスラエルの民を導いたモーセの後継者だったのです。

 

社会主義国家と独裁者

 マルクス理論の宗教的な側面は、マルクス主義革命が実現したソ連の社会構造に引き継がれることになりました。政治や社会の仕組み(上部構造)は、経済や生産手段(下部構造)によって規定されるというマルクスの図式は、ソ連の社会には当てはまりませんでした。そればかりか、ソ連の社会においては、ユダヤ教の描く世界が社会構造としてそのまま実現することになりました。

 国家の頂点に君臨したスターリンは、全能の神ヤハウェのごとき存在となりました。彼は、マルクス主義の思想を独自に解釈し直し、政治権力によって経済構造を改革しても構わないと主張して工業化を押し進めました。その結果ソ連は、農業国から工業国へと転換しました。

 その後もスターリンは、経済の発展と軍事力の強化を推し進め、やがてソ連アメリカと並ぶ世界の大国になりました。このように社会主義国ソ連は、技術の発達や経済の発展が政治や社会の仕組みを規定したのではなく、神の代替者であるスターリンによって恣意的に創り上げられたのです。

 

神に倣った大虐殺
 スターリン民族主義者を弾圧し、何百万人もの農民を餓死させ、共産党員を一掃するほどの大粛正を行ったことも、ユダヤ教の神の行動様式をそのまま踏襲したものと捉えることができます。
 旧約聖書には、神が何度も「大虐殺」を行ったことが記されています。『創世記』には、人間が堕落したことを嘆いた神が、ノアと彼の家族を除く人類を大洪水によってすべて死滅させたというノアの洪水の物語(『創世記』6・5-7・24)と、頽廃と享楽の町として知られるソドムとゴモラに、神が天から硫黄と火を降らせ、町々と全窪地および全住人と地の植物を滅ぼしてしまった物語(『創世記』19・1-29)が記されています。また、『出エジプト記』には、神の掟を守らずに偶像を崇拝したイスラエルの民を滅ぼそうとした神を、モーセが必死になってなだめる様が描かれています。神はイスラエルの民を滅ぼすことは思いとどまりましたが、モーセの命によって三千人もの犠牲を出すことになりました(『出エジプト記』31・18-32・35)。

 このように、掟を遵守しない人間に対して、神は容赦のない「大虐殺」を厭わないのでした。
 この行動様式は、スターリンにそのまま引き継がれます。彼は、自らの立場を危うくする者、自らの掲げる方針に敵対する者を、社会主義の実現に反目する人民の敵と見なしました。そして神の行いに倣い、社会主義を実現する正当な手段として大粛正を断行しました。共産主義研究者のステファヌ・クルトワの『共産主義黒書〈ソ連篇〉』1)によれば、スターリン体制下で殺害された自国民の数は2000万人(!)にも上ると指摘されています。

 スターリンがこれ程までの大粛正を断行できたのは、この行動様式が、旧約聖書の神にならって行われたからです。スターリンによる大虐殺は、人類を一度はほとんど死滅させた神には及びませんが、過去のどのような暴君の行為も児戯に見えるほどすさまじいものでした。彼の行為はもちろん非難に値する暴挙であることには変わりませんが、その一方で、神と同様の全能性を有する存在者であることを立証した点に限れば、彼の試みは成功したと言えるでしょう。

 

社会主義国家に引き継がれた独裁者

 ソ連以外で誕生した社会主義国家においても、事情はまったく同じでした。ソ連と同じ路線を歩んだ国もソ連と対立した国も、マルクス・レーニン主義を掲げた諸国には、スターリンのようなカリスマ性を有する指導者が誕生しました。中国の毛沢東ユーゴスラビアのチトー、ルーマニアチャウシェスクキューバカストロカンボジアポル・ポト北朝鮮金日成などです。

 彼らの多くは、反対勢力の虐殺を断行して権力を握る一方で、人民からは神のように崇拝されました。このように社会主義国家には、神を擬した絶対権力者の存在が不可欠でした。
 その一方で、マルクス・レーニン主義を掲げた各国の指導者たちに、マルクスの理論をそのまま踏襲した者は誰一人としていませんでした。「一国社会主義」を掲げたスターリンも、「新民主主義」や「継続革命論」を掲げた毛沢東も、「原始共産制」を目指したポル・ポトも、「社会主義非同盟中立路線」を歩んだチトーも、「主体思想」を掲げた金日成も、マルクスの革命理論とはほど遠い内容をスローガンにしていました。

 それは理論における論理的な部分は、自国の社会状況に合わせて、または自らの立場を守るためにいかようにも改変することができるからです。しかし、無意識に伝承された記憶は変更されることなく、新たに誕生した社会主義各国に、ユダヤ教の示す世界観をそのまま実現させました。

 

共産主義というピラミッド型社会

 こうして共産主義思想では、社会の中心に神の代替者が位置するようになりました。そして、神の代替者が神のように振舞ったため、人民を抑圧したり反体制者を虐殺したりすることが常習化するようになりました。

 その社会構造をシェーマ化したのが、以下の図です。

 

 

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                  図1

 

 図1のように、共産主義社会は、一神教の社会と同様のピラミッド型構造を呈するようになりました。

 こうして共産主義国家では、人民の平等が実現されるどころか、より不平等性が増した、強固な階級社会が形成されるという皮肉な結果を生んだのです。民衆を輝かしい未来へと導いてくれるという共産主義思想への夢は覚め、ヨーロッパでは社会主義体制が瓦解しました。

 

 そのため共産主義思想に心酔する人々は、生き残りをかけて新たな戦略に望みを託すことになります。その戦略とは、自由主義社会の中で共産主義思想を実現することでした。(続く)

 

文献

1)ステファヌ・クルトア.二コラ・ヴェルト.(外川継男 訳):共産主義黒書〈ソ連篇〉.筑摩書房,東京,2016.