出雲大社に行ってきました

 10月7日から11日までの5日間、遅い夏休みをとって島根県を旅行してきました。旅の目的は、島根県に点在する古式ゆかしい神社を巡ることです。なかでもその中心は、日出ずる伊勢神宮と対比される、日没するところにある出雲大社です。

 神宮と言えば伊勢神宮を指し、大社と言えば出雲大社を指すことからも分かるように、両者は日本を代表する神社です。しかも、出雲大社が成立する過程には、日本文化の根幹を成す神話の痕跡を辿るとがことができます。日本人と日本文化を語る際には、出雲大社とその神話を避けて通ることはできないのです。

 その点についてはおいおい述べてゆくこととして、まずは、旅の道中を振り返ることから始めましょう。

 

新型コロナ肺炎の後遺症が癒えぬまま

 わたしは今年の8月3日に新型コロナ感染症を発症し、肺炎も合併して12日から約2週間の入院生活を送りました。肺炎は良くなったものの、右足の座骨神経領域に軽い麻痺が生じ、歩行障害が残りました。当初はまっすぐ歩くことさえままならない状態でしたが、ジムで水中ウオーキングなどのリハビリを行い、日常生活に支障がない程度には回復しました。それでも右臀部の痛みと、右足背から向こうずねにかけての軽い麻痺は残ったままの状態でした。

 このように後遺症がまだ癒えていない状態でしたが、病気平癒を祈願する目的も兼ねて、今回の旅に出ることにしました。しかし、それは楽観的で甘い目論見であることが直ぐに分かりました。

 

前に後ろに転倒する

 それは本格的に神社巡りを始めた、旅の二日目に起こりました。わたしと妻は、島根半島の東端に位置する美保神社から参詣を始めました。参詣前に手や口を清めるための手水舎(ちょうずしゃ)にさしかかったときです。右足を何かに取られ、いきなり前のめりに倒れて頭から地面に突っ込んだのです。

 当初は何が起こったのか分かりませんでした。凄い勢いで頭から倒れたので、必死で手をついて顔を守りました。突っ込んだ場所が玉砂利だったため、額の軽い傷と両手の擦過傷で済んだのは不幸中の幸いでした。ただ、前にダイビングするように倒れた姿を見て、妻はとても驚いたようです。

 惨事はそれだけで済みませんでした。神魂(かもす)神社の参詣を終えて、駐車場に戻ったときです。レンタカーの後部座席に荷物を置いて後ずさりしようとした際に、やはり右足を何かに取られて、後ろ向きに転倒しました。駐車場のコンクリートに、背部と右肘を強打しました。このときも、一瞬何が起こったのか分かりませんでした。強烈な痛みを感じて思わず声を上げましたが、幸いにも背中の打撲と右肘の擦過傷で済みました。

 思わぬ転倒が相次いだことに、妻は先行きの不安を感じずにはいられなかったようです。わたしは比較的楽観的だったのですが、旅の試練はこの後も続きました。

 

須我神社の夫婦岩にたどり着く

 旅の3日目には、和歌発祥と日本初の宮として知られる須我神社を参詣しました。

 

                         須我神社の本社

 

 須我神社には本社と奥宮があり、両宮を参拝する「二宮詣り」の習わしがあるといいます。そこで、本社で祈願の札に「病気平癒」と書いて祈念し、奥宮で納札することにしました。

 奥宮に参詣することを、わたしたちは安易に考えていました。皆が訪れる場所ですから、直ぐに到着できると思っていました。

 ところが、奥宮に到達するのは、簡単ではありませんでした。奥宮は登山口から400メートルほどの山中にあるのですが、そこに至る参道が角材や土でできた急勾配の坂道だったからです。

 

 

 このよう参道ですから、登山口には、竹の杖が常備されていました。参道は登っても登っても、まだまだ続きます。

 

 

 前日に2回転倒していた身体で、この山道を登ることはさすがに大変でした。妻は私の身体を気遣って、何度も引き返すことを提案してくれましたが、「病気平癒」のお札を納札しなければならないと決意し、麻痺の残る足を引きずって登り続けました。

 そして、ついに奥宮にある夫婦岩に辿り着きました。

 

                    須我神社 奥宮の夫婦岩

 

 夫婦岩で「病気平癒」のお札を納め、改めて病気が完治することをお祈りしました。そして、登ってきた急勾配の道を、足の置き場に細心の注意を払いながら、今度は竹の杖を頼りに降り続けました。

 この行程を無事にやり終えたことで、何とか旅を続けられるのではないかという、微かな手応えを得ることができました。もしかしたら、山道を上り下りすることが、麻痺した足のリハビリになったかも知れません。

 

いよいよ出雲の地に

 4日目には、今回の旅の目的である出雲大社に向かいました。

 出雲大社は国譲りの神話を伝える古社で、縁結びや開運の神社として知られています。しかし、その歴史を紐解くと、激しい戦いの痕跡を見て取ることができます。奉られている大国主命(おおくにぬしのみこと)は、縁結びや開運どころか、無念の思いを残して殺された国王だったかも知れないのです。この問題は、次回以降のブログで改めて検討したいと思います。

 出雲大社に到着すると、びっくりするほど大きな日の丸がわたしたちを迎えてくれました。勢溜(せいだまり)の大鳥居をくぐり、日本の名松100選に選ばれている参道をゆっくりと歩きます。

 参道の途中では、古事記に記された「因幡の素兎(しろうさぎ)」のかわいい石像が迎えてくれます。

 

                  「因幡のしろうさぎ」の石像と妻

 

 さらに参道を進み、手水舎(ちょうずしゃ)で身を清めて銅鳥居をくぐると、拝殿に到着します。

 

                          出雲大社 拝殿

 

 拝殿のさらに奥には、出雲大社の本殿がそびえ立ちます。

 

                         出雲大社 本殿

 

 わたしたちは拝殿とご本殿でお参りを済ませた後に、ご祈祷を申し込みました。わたしは「病気平癒」を祈願し、拝殿でご祈祷をあげていただきました。

 

                       出雲大社 本殿前の八足門

 

 上の写真は、本殿の八足門(やつあしもん)の遠景です。ご祈祷をあげた後は、八足門をくぐって、直接本殿に参拝することができました。

 こうして、今回の旅の目的の一つを果たすことができたのです。

 

大しめ縄が意外と小さかった

 ただ、意外だったのが、出雲大社の大しめ縄が想像していたものよりも小さかったことです。銅鳥居をくぐると、拝殿には大きなしめ縄がかかっています。他の神社のしめ縄に比べれば確かに大きいのですが、想像していた巨大なしめ縄と比べると、意外に小さいなという印象でした。

 

                        拝殿のしめ縄と筆者

 

 人と比べればそれでも大きいとか、島根県の他の神社で大きなしめ縄を見たので感覚が麻痺したのかとか考えて、この印象の違いを納得させようとしました。

 ところが、岐阜に帰ってから調べてみて愕然としましまた。わたしが出雲大社の大しめ縄だと思っていたものは拝殿のしめ縄で、本当の大しめ縄は神楽殿のしめ縄でした。神楽殿は境内から少し離れた場所にあるため、ただ単に参詣していなかったのでした。

 わたしたちは、本物の大しめ縄を見ることができませんでした。かえすがえすも残念です。皆さんもわたしたちと同じ轍を踏まないように、出雲大社に訪れた際にはくれぐれも注意してください(涙)。(続く)