怨霊になった武田先生

 今回のブログは、予定を変更して「おぞましきもの」の第2弾です。

 

 武田邦彦氏の参政党批判が止まりません。連日のようにSNSに、参政党を非難する動画をアップしています。時には理路整然と、時には微笑みを交えながら、繰り返し繰り返し、繰り返し参政党の執行部(武田先生は「事務方」と呼んでいます)を非難します。その姿が失礼ながら、わたしには「怨霊」のように見えてしまいました。

 それは、わたしが今、出雲大社大国主命を研究していることと無関係ではないのかも知れません。それでも武田先生はご存命なわけですから、少なくとも怨みを残して死んだ怨霊ではありません。

 それでもわたしが、武田先生が生きながら祟りをなす「生き霊」のように感じてしまった理由を、今回のブログでは語ってみたいと思います。

 

それは小さな齟齬から始まった

 以下の分析は、参政党の神谷代表と武田先生のSNSでの発信をもとに、わたしが勝手に構成した物語であることを最初にお断りしておきます。

 昨年の参議院議員選挙で1議席を獲得し、有効投票総数の約3.3%(176万8385票)を獲得して正式に国政政党となった参政党は、来る衆議院議員選挙に向かって邁進していました。地方議員の選挙で闘いながら、来る衆議院議員選挙に向けて100名もの候補者を擁立するのは、かなり大変なことだったでしょう。しかも、秋にも衆議院の解散があるのではとささやかれていましたから、執行部には焦りがあったのかも知れません。一部には、候補者の強引な人選があったことが窺われます。

 こうした状況の中で、神谷事務局長の党運営に、不満の声が聞かれるようになりました。燻っていた声を拾い上げたのが、ゴレンジャーの赤尾さんや武田先生でした。それが不満の表出だけで収まっていれば、今日のような騒動にはならなかったでしょう。

 

減税日本」の存在が猜疑心を生んだ

 武田先生はほとんど語りませんが、今回の騒動で大きな要因になったのが、愛知県の地域政党である「減税日本」の存在です。減税日本の党首である河村名古屋市長と、武田先生は旧知の仲でした。武田先生は、衆議院議員選挙に向けて、減税日本選挙協力をしようと目論みます。もちろんそれは、参政党が選挙に勝つための戦略だったのでしょう。

 しかし、この目論見は実現しませんでした。神谷事務局長によれば、「減税日本の候補者の選挙に、参政党の政治資金を使えない」という理由から、両党の選挙協力はご破算になります。その際に、武田先生と河村市長の存在が、参政党の執行部に微妙な猜疑心を生むことになったのです。

 

猜疑心を最大限利用した工作員

 わたしはここで、参政党内部、または外部の工作員による情報戦がしかけられたと考えています。この工作員は、在野の左翼、または自民党内の左翼によって送り込まれたものと推察されます。

 工作員によるニセ情報によって、ゴレンジャーの中に亀裂が入ります。その影響でゴレンジャーのうち4人は、反神谷の立場を採りました。参政党が、神谷氏の恣意によって運営されているという情報に踊らされたのです。こうして参政党内に、神谷派と反神谷派の対立が生じることになりました。

 反神谷派の代表は、武田先生です。神谷事務局長の党運営は独裁的になっており、参政党が目指す日本的な「大調和の精神」に馴染まないというのです。この時点では武田先生は、反神谷派のゴレンジャーがボードメンバーになり、党運営に影響力を与えられればいいと考えていたと推察されます。武田自身先生が、「参政党を他の政党に売り渡すとか、乗っ取らせるとかは考えていない」と繰り返し訴えているからです。

 

神谷派はクーデターと捉えた

 これに対して、危機感を募らせたのが神谷派です。神谷事務局長を支えるメンバーたちは、武田先生たちの行動を、神谷排除の明確なクーデターと捉えました。クーデターを防ごうとした行動が、8月30日に公開された党代表の交代劇です。この日に、参政党の代表が松田学氏から神谷宗弊氏に変わったことが発表されました。唐突な党代表の交代は、反神谷派を排除することを目的に行われたと考えられます。

 こうして左翼勢力の目論見通り参政党は分断され、神谷派と反神谷派の対立は、白日の元に晒されることになりました。以前のブログでも指摘したように、日本保守党の百田代表が、自身のニコニコ動画のチャンネルに武田先生を呼び、一緒になって参政党と神谷氏を非難したことで、参政党はより大きなダメージを被ることになりました。まさに、左翼の思い描いた通りのシナリオが実現したのです。

 

憤懣やるかたない反神谷派

 代表の交代劇に憤懣やるかたない思いを募らせたのは、反神谷派のメンバーでした。ゴレンジャーたちは、参政党の躍進のために、これまでに粉骨砕身してきたという自負があります。グローバル勢力から日本を守りたい、そして日本を本来の姿に生まれ変わらせたいという思いは、誰よりも強かったでしょう。その思いが、何のねぎらいもなく、ここで断ち切られてしまったのです。彼らの悔しさや怒りは、察するに余りあります。

 特に、その中心的な役割を果たした武田先生の憤懣は、いかばかりだったでしょうか。武田先生は、ご自身でも述べられているように、ご老体に鞭打って、参政党の候補者を応援するために全国を行脚しておられたのですから。

 ただ、その憤懣やるかたない思いが正当に表出されていないことに、武田先生が「怨霊」になった原因があります。

 

自分はどうなってもいいという欺瞞

 参政党から離党勧告された武田先生は、参政党批判を展開します。それは、連日連夜に及びました。つい先日まで同じ志を共有していた同志を、これほどまであからさまに糾弾することができるのか。それは凄まじいばかりの執念であり、恐ろしいほどの怒りの表出でした。

 しかし、武田先生は、その批判は決して自分のためのものではないことを強調します。「僕は自分を守ろうとしているんじゃないんです」「武田がいなくなったっていいんです」「自分のことはどうでもいいんです」と繰り返します。そして、ポスターの色が違うからと公認を取り消された候補者や、何の説明もなしに一方的に公認を取り消された候補者の実例を挙げて、彼らのような人のために闘うのだと宣言しています。

 自分はどうなってもいい、可哀想な人たちのために闘うのだと宣言するとき、人は自分の行動が分からなくなります。それは、自分の行動を突き動かしている本当の欲望が見えなくなるからです。

 

人は自分の欲望によって行動する生き物

 人は自らの欲望に従って、自分のために行動します。これは精神分析が、つとに強調してきたことです。もちろん、他者のための行動も起こしますが、それは他者のための行動が、巡り巡って自分の欲望を満足させるからです。つまり、100%他者だけのために行動することなど、神様でもない限りできないのです。

 武田先生は、参政党批判を続ける自らの行動は、酷い目に遭った参政党員のため、地域で頑張っている参政党支部のため、そして日本のために行っていると強調します。確かに、そうした意図も存在しているでしょう。しかし、「自分のことはどうなってもいい」はずはありません。武田先生の心の中には、粉骨砕身してきた努力が認められないばかりか否定された、反逆者扱いされた、そして自分の崇高な目的の達成を邪魔された怒りが渦巻いているはずです。

 わたしは、武田先生の参政党批判の原動力は、この怒りに端を発していると思います。つまり、武田先生は、本当は復讐がしたいのです。

 

怒りはさらなる怒りを生んだ

 武田先生がこの怒り、それは憤怒と呼べるほどの怒りの存在に気づいていないとしたら、怒りが解消されることはありません。なぜなら、他者が思うような反応を示してくれないからです。

 武田先生の参政党批判は、自覚的には100%他者のために行われています。しかし、それを聞く人々には、武田先生が怒りにまかせて参政党を批判していることがなんとなく伝わります。そのため武田先生の批判は、思いのほか賛同を得られません。武田先生としては、参政党員やその支持者のために行動しているのに、彼らから支持を得られないばかりか、非難されることすら起こります。

 正しい行動をしているのにそれが受け入れられないのは、参政党の執行部が、参政党員を騙しているからだという認識に至ります。武田先生は自らのYouTubeチャンネルで、「神谷さんがウソをついている」「謎の女帝が参政党を牛耳っている」と発信するようになりました。そして、

 「嘘つきとかペテンとかいじわるとか、そういうのに影響されて自分の人生を壊すのが、一番惨めなことになるんですね」(『謎の指針』より)

 とまで言って、神谷代表を非難するようになりました。

 

こうして武田先生は怨霊になった

 ここまでの発言に対しては、さすがに眉をひそめる人が増えてきました。その反応に、武田先生はさらなる怒りを募らせます。

 しかし、武田先生は、自覚的には私憤で行動を起こしているのではないと認識しています。ご自身では、正しく、冷静に、そして論理的に参政党の問題を発信しているつもりでおられるでしょう。動画の視聴者に、笑顔を交えて、やさしく丁寧に話しかけます。ところが、笑顔の合間に、憤怒の表情が垣間見られる瞬間があります。笑顔でいればいるほど、こぼれ出る憤怒が強調されます。この姿を見てわたしは、武田先生に「怨霊」を感じたのです。

 

                 『武田先生 ファンチャンネル』より

 

 怨霊と化した武田先生は、反感を買えば買うほど、ますます強大な怨霊になってゆきます。参政党への批判は、収まるどころか永遠に続くでしょう。

 

 果たして参政党の支持者は、怨霊になった武田先生を丁重に奉って、「御霊」に昇華させることができるのでしょうか。(了)