前回のブログでは、神谷宗弊氏の元公設秘書が亡くなった問題を取り上げました。武田邦彦氏は、1月27日付けの『僕は特攻になれなかった』と題した YouTube の動画で、神谷宗弊氏を神谷と呼び捨てにして断罪し、涙ながらに元秘書の方を追悼しました。
今回のブログでは、武田氏が主張するように神谷氏が一方的に悪いのか、武田氏には本当に責任はないのかを考察したいと思います。
悪いことが勝ち、正しいことが命を絶つ
武田氏は、元秘書の方が自ら命を絶った件について、『僕は特攻になれなかった』と題したの動画の中で次のように述べました。
「悪いことが勝ち、正しいことが命を絶つ。その現実は何なんでしょうか。
私は性格も知り、参政党の中で行われたことも知って、今や神谷さんなどという名前を呼ぶことができません。神谷と、それも言うことすらはばかられるくらいの状態。耐えられない方が正しいですよ。耐えられない方の方が日本人でした」
こう話して武田氏は、神谷氏および神谷氏と歩みを共にする人たちを悪と断定しました。そして、自分たちこそが正しい存在であり、神谷氏側の酷い仕打ちに耐えられなくなって、元秘書の方は命を絶つことになったのだと断罪しています。
一方的に相手を悪とし、自らを善と位置づける善悪二元論は、為政者が戦争を正当化する際によく使う手法です。直近の例としては、アメリカのブッシュ大統領の「悪の枢軸(axis of evil)」発言が思い出されます。しかし、現実の世界は、武田氏やブッシュ大統領がいうような、善と悪の二つに分けられないことは言うまでもありません。そして、秘書の方が亡くなったことに対する責任は、一方的に神谷氏にあるわけではないでしょう。元秘書の方と少なからず関わりを持っていた武田氏にも、当然責任があると思われます。
この人危ないなと思いました
わたしが武田氏に責任があると考えるのは、武田氏が言うような「特攻になれなかった」からではありません。武田氏が非常に早い時期に秘書の方の異変に気づき、それにも拘わらず、そのことに対して適切な対応をとってこなかったからです。
「去年の3月くらいには、参政党は通常の党とはまったくかけ離れた、人間性のない内容に変わっていったわけです。
その中で多くの人が泣いて、悔しい思いをして、そして去って行く人も多くありました。私はその中で、この人危ないなと思いました」
武田氏が、元秘書の方のことを「危ない」と感じた時期は明確に述べられていませんが、文脈からは、昨年の3月から6月の間であろうと推察できます。つまり、彼女が亡くなる6ヶ月以上前に、彼女の精神状態が危険であることに気づいていたことになります。
このときに武田氏がとった行動は、次のようでした。
「そこでまず、党を普通にしようと。自分がそんなとこで傍観的ではダメだと思って。赤尾さんとか吉野さんとか、そういう気持ちを持った人と共に、参政党をなんとか非人間的ではない存在にしたいと思って。
6月28日のボード会議では強く事務方を叱責し、私がなんでこんな風に言わなければいけないかを説明しました」
武田氏のこの行動は、参政党を「人間的な」党に変えることにならなかったばかりか、むしろ党内の分断を悪化させました。そして、この結果は当然のごとく、秘書の方の心を癒やし、安心させることには繋がりませんでした。
命を救わなければ
秘書の方の心の状態はさらに悪化します。娘さんのFacebookには「9月まで参政党の事務の仕事をしていた」と書かれていますので、この頃には心身の状態が悪化し、仕事を続けられない状態になっていたことが窺われます。
この時期のことを、武田氏は次のように説明します。
「10月の最初から、命を救わないといかんと思いました。あと僕ができることは、ネットで配信し、皆の協力を得ることでした」
武田氏によれば、元秘書の方は、10月の最初には「命を救わなければいけない」状態になっていたというのです。
「命を救う」という表現が何を意味するのかは判然としませんが、もし彼女が文字通り「命の危機」にあったとするなら、この時点で医療の介入は必須だったでしょう。できることなら、仕事を続けることが難しくなった時には、専門の医療機関を訪れることが必要であったと思われます。
ところが、武田氏が「命を救うため」に採った行動は、ネットで神谷氏及び参政党の事務方を連日非難することでした。
前回のブログでも指摘しましたが、参政党の幹部で神谷氏の公設秘書だった方にとって、長年携わってきた参政党や自らが支えてきた神谷氏が散々非難される様子を見聞きして、気持ちが癒やされたり明るくなったりするとは考えらません。むしろ武田氏の行動は、彼女の精神状態を悪化させた可能性すらあったとわたしは思います。
連絡をとり、励ました
元秘書の方の精神状態はさらに悪化しました。
「親しい人が毎日のように連絡を取り、家に行き、励ましてくれました。しかし、ダメだったんです。もう12月になって、傷は元に戻りませんでした」
彼女の状態を心配する周囲の人たちは、「毎日のように連絡を取り、家に行き、励まし」ました。しかし、この時期に必要な対応は、会いに行ったり励ましたりすることではありません。むしろ、毎日連絡をとったり励ましたりすることが、ご本人を追い詰めることになりかねないからです。
このときに必要だったのは、しっかりとした治療、場合によっては入院による治療であったとわたしは思います。武田氏の周囲には、吉野敏明氏という病院を経営する医療関係者がいたというのに、いったい彼らは何をやっていたのでしょうか。
元秘書の方はうつ病だった?
一連の経過から、わたしは元秘書の方が、うつ病に罹患していた可能性があると考えています。もちろん診察をせずに、診断をつけることはできません。したがって、ご家族には大変失礼で恐縮ですが、以下で述べることは、わたしが自分の臨床経験に照らして導いた、あくまで類推にすぎないことを先に申し述べておきます。
武田氏は、元秘書の方を次のように評しています。
「人物としては、極めて立派な方でした」
「人物も非常に立派なんです。ご家族も立派なんです。だけどご本人の魂がもたなかった」
このような「立派な人物」がうつ病になる可能性があると聞くと、意外に思われる方が多いでしょう。
うつ病には、病前性格があるとされます。病前性格とは、その病気にかかりやすとされる性格です。うつ病の病前性格の特徴として、真面目で几帳面、物事に熱中しやすいことに加えて、「秩序愛」と「対他配慮」という特徴が挙げられています。
秩序愛とは、自らが属する共同体、具体的には学校や会社や地域社会の秩序を愛すること、すなわちこれら共同体に存在する規則やルールを尊重し、これらをしっかりと守ることです。したがって、秩序愛を持つ人は、共同体の中で模範的な行動をし、共同体に属する人たちから認められたり尊敬を受けたりします。
対他配慮とは、他者への配慮を怠らないこと、場合によっては自分のことよりも人のことを優先し、対処しようとします。他人のことばかりを考え、自分のことは後回しにする行動を採りがちです。この行動も、周囲の人から信頼され、愛されることに繋がることが多いでしょう。
このように、うつ病の病前性格を典型的に有する人は、人から信頼され、愛され、尊敬される人物であると言えます。
では、なぜこのような好人物が、うつ病に罹患することになるのでしょうか。
生き方を喪失する
うつ病には、病前性・発病状況論と呼ばれる理論があります。うつ病の病前性格を有する人が、ある状況に陥ったときにうつ病を発症するという理論です。
その発病状況とは、秩序愛や対他配慮といった行動原理が継続できなくなる状況です。具体的には、組織のルールや規則をしっかり守り、常に他者への配慮を欠かさず行動するといった、その人が守り抜き、続けてきた生き方を継続できなくなる状況です。
うつ病の発病状況としてよく挙げられるのが、就職、昇進、結婚、出産、家の新築などです。これら喜ばしい出来事が状況因になるのは、状況が変わることによって、今までの生き方が続けられなくなるからです。たとえば係長から課長に昇進することで、上司と部下の間に挟まれて両者にいい顔ができなくなったり、部下に仕事を任せなければならなかったり、時には汚れた仕事をしなければならない状況が生じます。結婚や出産が自分から自由になる時間を奪い、今までの生活を激変させることは容易に想像がつくでしょう。こうしたときに、今までいい人として生きてきた人、なかでもそれまでの状況に過度に適応してきた人は、これまでの生き方を柔軟に変えることができません。
うつ状態は、喪失に対する反応であると言われています。今までの生き方を維持することができず、生き方そのものを喪失した人は、どのように振舞っていいのかすら分からなくなり、うつ状態に陥ってゆくのです。
自責の念を抱く
さらに、うつ病を発症する人は、秩序を遵守したり他者への配慮を欠かさないような病前性格であるため、上手くいかなくなったときにそれを組織のせいにしたり、他者を責めるようなことをしません。たとえ問題が本当は組織や他者にあったとしても、彼らには組織や他者を責めることができないのです。
そのため、彼らはいつも自分自身を責めます。手を抜かず一生懸命に仕事をしているにも拘わらず、上手くいかないのは自分の頑張りが足りないからだ、怠けているからだと自分自身を責めます。自分自身を責めることで彼らは良い人であるという体裁を保つことができますが、一方で彼らはより一層つらくなってうつ状態を悪化させます。うつ状態を悪化させた彼らは、さらに自分自身を責めるという負のスパイラルに陥ります。
こうして彼らは、ますます自責の念を募らせてゆきます。生き方を喪失して生きることに絶望すること、そして自責の念を募らることが、彼らを自殺へと導くのです。
参政党の内紛は、それまで参政党を支え、周囲から立派な人だと評されきた秘書の方の、生き方を根底から揺るがしたのではないでしょうか。(続く)