神谷宗弊は冷酷で不誠実なのか(3)

 前回のブログでは、参政党の内紛が、それまで参政党を支え、周囲から立派な人だと評されてきた秘書の方の生き方を根底から揺るがした可能性について検討しました。そして、早くから秘書の方の異変に気づいた武田邦彦氏の対応は、まったく的外れだっただけでなく、彼女の状態を悪化させた可能性すらあったことを指摘しました。

 今回のブログでは、武田氏が秘書の方が亡くなったことに対して「特攻になれなかった」と訴えたことの意味、そして涙ながらに彼女を追悼したことの意味について考えてみたいと思います。

 

なぜ特攻になることで救われるのか

 武田氏は、『僕は特攻になれなかった』と題した動画の中で、亡くなった公設秘書の方を救うために「特攻になれなかった」と何度も涙ながらに訴えました。しかし、冷静に考えてみれば不思議ではありませんか。なぜ武田氏が「特攻になる」ことが、元公設秘書の方を救うことになるのでしょうか。

 この不思議な理屈が成立する条件が一つだけあります。それは元常設秘書の方が神谷宗弊氏を憎んでおり、参政党を消滅させることを望んでいる場合です。そうであれば、武田氏の「特攻」という行動は彼女の意思を代行したことになり、成果の如何に関わらず、彼女の心を救うことになるからです。

 ここで武田氏は、亡くなった元秘書の方も神谷氏を憎んでいた、参政党を消滅させたがっていた、という刷り込みを動画の視聴者に与えています。しかも「特攻」という表現は、相手が「鬼畜のアメリカ」であることを連想させ、参政党が鬼畜のような悪の存在であることも連想させています。

 このように、武田氏が唐突に「特攻」を持ち出した理由の一つは、自らが善で神谷氏および参政党が巨悪であること、そして、亡くなった公設秘書の方も自分と同じ考えであったことを印象づけるためであったと考えられます。

 

この世で一番大切なこと

 「特攻」を持ち出したもう一つの理由は、自らの行動を正当化するためです。

 武田氏は動画の中で、涙ながらに次のように訴えます。

 

 「私は特攻になれませんでした。この世の中で一番大切なことは、他人の命を救うために自分の命を捨てるという勇気なんです。

 親が子どものために命を捨てることがあります。それが人間にとって、一番重要だからです」

 

 武田氏は、「この世で一番大切な、他人の命を救うために自分の命を捨てるという勇気」を持てなかった、と涙を流して視聴者に訴えかけます。

 この訴えかけは、見方を変えれば、私は「自分の命を捨てる勇気」は持てなかったけれど、「この世で一番大切なこと、人間にとって一番重要なこと」を目指していたということを暗に主張していることになります。つまり武田氏は、自分が目指す方向自体は全く正しかったのだという自己正当化を行っているのです。

 ここから、武田氏の自己正当化がさらに展開されてゆきます。

 

命を救うための行動だった

 わたしが驚いたのは、武田氏が参政党に対して攻撃を仕掛けたのは、亡くなった公設秘書の方を助けるためだったと言い出したことです。

 武田氏は上記の動画の中で、次のように述べています。

 

 「その中で多くの人が泣いて、悔しい思いをして、そして去って行く人も多くありました。私はその中で、この人危ないなと思いました」

 「そこでまず、党を普通にしようと。自分がそんなとこで傍観的ではダメだと思って。赤尾さんとか吉野さんとか、そういう気持ちを持った人と共に、参政党をなんとか非人間的ではない存在にしたいと思って。

 6月28日のボード会議では強く事務方を叱責し、私がなんでこんな風に言わなければいけないかを説明しました」

 「10月の最初から、命を救わないといかんと思いました。あと僕ができることは、ネットで配信し、皆の協力を得ることでした」

 

 赤尾氏や吉野氏と組んで参政党を民主的に改革しようとした(?)のも、6月28日にボード会議で事務方を強く叱責したのも、ネットで神谷氏と参政党を散々非難したのも、元秘書の方の命を救うためだったと武田氏は主張しているのです。

 武田氏はこれまでにも、反参政党の言動を繰り返してきたのは、参政党の民主主義、ひいては日本の民主主義を守るためだと公言してきました。今回はそれに加えて、元公設秘書の方の命を守るためだったと付け加えました。これらが共に、本当の目的でないことは明らかです。なぜなら、武田氏は今回の動画の中で「自分が特攻になるべきだった、事務方の人を殴り倒してでも参政党を変えるべきだった」と訴えていますが、この発言は民主主義とは対極をなすものだからです。

 要するに武田氏は、自分にとって都合のいい理想論をその都度持ち出して、自己正当化を行っているのだと考えられます。

 

本当に命を助けたいなら

 もし、本当に秘書の方の命を救おうと思うのなら、参政党批判を直ちに止めて、参政党から除名された人や自ら参政党を去った人の受け皿作り、彼らを助けることに奔走することであったとわたしは思います。そうすれば、秘書の方は自分を責める必要がなくなり、場合によっては、使命感をもって武田氏の援助を行えたかも知れません。それでも秘書の方の精神状態が悪化したのなら、迷わず医療機関への受診を勧め、しかるべき治療を受けてもらうためにできる限りの援助を行うべきでした。

 そもそも、武田氏はこれまでにも、「私のことはどうでもいいんです」「私はどうなったって構わないんです」と繰り返し訴えてきました。今回の動画でも「私は特攻になるべきだったんです。人の命を救うために、自分の命を捨てた方が良かったんです」と語っています。本当に自分を捨てることのできる人間は、このように何度も自分はどうなってもいいとは訴えません。何度も訴える必要があるのは、そうなりたいと願っているのに勇気がなくてできないか、または自分を崇高な人間に見せたいという自己顕示欲が強いかです。どちらであるのかは、その人の言動ではなく、行動を見極めてゆけばいずれ明らかになるでしょう。

 いずれにしても、今回の動画での自己正当化は、亡くなった方をも利用した非常に悪質なものだとわたしは感じました。

 

自分の責任をどう回避するか

 亡くなった元公設秘書の方は神谷氏の秘書だったのですから、責任の一端は神谷氏自身や参政党側にあることは明らかです。しかし、秘書の方が内紛の前後から調子を崩し、参政党批判がピークであった12月末に亡くなられていることから推察して、参政党の内紛騒動を先導していた武田氏にも当然責任はあると思われます。

 その責任追及を回避するために、武田氏は実に老獪な対応をしました。これまでに検討してきたように、まず、自分は秘書の方を救うために反参政党の行動を起こしてきたと自己正当化したこと、次に、神谷氏と参政党は巨悪であり、元秘書の方は彼らに修復できない心の傷を負わされて亡くなったのだという理屈を信じ込ませたこと、そして、娘さんが母親の死を公表した翌日に動画を上げ、世論が懐疑的になる前にすかさず自らの主張を世間に広めたことです。

 

泣いて謝れば許してもらえる

 それだけではありません。武田氏は映像の効果を実に巧妙に利用して、自らの正しさを強調することに成功しています。

 

 

 この動画の写真のように、武田氏は声を詰まらせ、涙ながらに次のように繰り返します。

 

 「可哀想なことをしました。もう今から悔やんでも悔やみきれないことであります。元に戻って欲しいと僕は思いました。本当に思いました。可哀想なことをしましたよ。本当に可哀想なことをしました」

 「申し訳ありませんでした。ご遺族の方、皆立派な方でした。済みませんでした。もっと僕が身を捨てるべきでした」

 「特攻が、あんな若い特攻が今から70年前に命を捨てて日本を助けてくれたのに、自分ができないというのは、残念で仕方がありません。いくらここで申し訳ないと言っても、命は帰って来ないです」

 「僕は特攻になれなかった。済まなかったという気持ちであります」

 

 なぜ武田氏は、泣きながら繰り返し謝ったのでしょうか。

 それは日本には、泣いて謝る人を責めることはしない、という文化があるからです。つまり武田氏は、泣いて謝ることで自分に対する攻撃がこないように、映像を観た人の心情に訴えかけているのです。

 

大の大人が人前で泣いて謝るということ

 大人でも泣いて謝ることはありますが、公衆の面前で大人の男性が泣いて謝ることは稀です。わたしが記憶しているのは、山一証券が破綻したときの社長の記者会見です。

 1997年に山一証券が破綻した際の記者会見で、野澤正平社長は、記者の質問に対して次のように答えました。

 「これだけは言いたいのは、私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから」と話し、さらに立ち上がって「どうか社員のみなさんに応援をしてやってください。お願いします。私らが悪いんです」と涙ながらに訴えました。

 当時36歳だったわたしは、大の大人でも公衆の面前で泣くことがあるんだ、と一種の感銘を受けました。記者会見を行った野澤社長は、山一証券が破綻する直前に社長に昇進した(昇進させられた?)のであり、つまり破綻処理を任されて社長になったことを後に知りました。その野澤社長が、「悪いのは私らであって、社員は悪くありません」「社員のみなさんを応援してやってください」と涙ながらに訴えたのです。

 国民の前にさらされ、破綻の責任を一身に背負い、自分が悪いのだと謝りながら、さらに社員のことを責めないで欲しいと懇願する。社長の涙は、あまりに重い責任に耐え、それでも自分の責任を全うすることの苦しさからあふれ出た涙であったと思います。野澤社長は、その後に破綻処理を行っただけでなく、残された社員の就職先の面倒をみるなど、本当に有言実行の男でした。

 野澤社長の涙と、武田氏の涙はまったく違う性質のものです。

 武田氏は、悪いのは神谷と参政党だと断罪した上で、元秘書の方を救おうとする努力もせず、「特攻になれなかった」などという愚にも付かないことに対して謝罪しているのです。そして、参政党から離党せざるを得なかった人たちの受け皿を作ろうとする気配すらありません。なんという自分本位な涙なのでしょうか。

 わたしは、武田氏の造反に対して、参政党の党員の多くが武田氏に従わなかった理由がここにあると思います。

 

神谷宗弊は冷酷で不誠実なのか

 長々とブログを綴ってきましたが、表題の「神谷宗弊は冷酷で不誠実なのか」という疑問には一言も触れてきませんでした。

 神谷宗弊氏が冷酷で不誠実なのか、それとも温和で誠実なのかは、本当はわたしにはわかりません。なんでこんな表題をつけたのだというお叱りを受けそうですが、それには訳があります。

 武田氏の計算し尽くされた、しかも泣きながら心情に訴えかける動画を見て、神谷氏が冷酷で不誠実な人間であると勘違いし、「命を守るために早く参政党から逃げ出さないといけない」という誤ったメッセージに踊らされて欲しくないために、この表題を選んだのです。

 わたしは参政党員ではありません。外から参政党の活動を応援している一市民です。神谷氏側にも武田氏側にも属していない、参政党応援者の意見が、参政党に携わる方々に少しでも参考になればという思いでこのブログを綴りました。

 神谷宗弊氏が冷酷で不誠実なのか、それとも温和で誠実なのかは、今後の彼の行動を見続けてゆけばやがて明らかになるでしょう。その人の本心は、その行動によってのみ判断ができるというのは、精神分析から導かれる重要な教えの一つです。武田氏の動画を観れば分かるように、人の本心は、言葉や感情だけでは推し量れません。言葉や感情は、いかようにでも操り、改変することができるからです。

 老婆心ながら、最後に一言だけ付け加えます。武田氏が「特攻になれない」ことは当たり前ですが、わたしは神谷氏こそが「特攻になる」のではないかと心配です。神谷宗弊氏には、日本を再興させるための、息の長い政治家になって欲しいと願っています。(了)