出雲大社 御霊信仰とは(2)

 旧約聖書には、唯一神ヤハウェに導かれたイスラエルの民が、「約束の地」カナンを征服し、イスラエル王国を建国する過程が記されています。その過程でイスラエルの民は、数々の国との戦いで、神の命令に従って虐殺と略奪をほしいままにしました。敵の兵士は言うまでもなく、男も女も、若者も老人も剣で打ち殺し、息ある者は一人も残さない徹底ぶりでした。そして、神が許した場合は、侵略した町々の略奪品と家畜はすべて、自分たちのために奪い取ったのでした。

 これと正反対の戦い様が、古事記には記されています。

 今回のブログでは、古事記に記された出雲大社に関わる戦いをもとに、「御霊信仰」の日本的特徴を明らかにしてゆきたいと思います。

 

古事記に記された「ぬるい戦い」

 アマテラスが遣わしたタケミカヅチは、圧倒的な(軍事)力を持って、オオクニヌシに国譲りを迫りまます。オオクニヌシの跡を継いだコトシロヌシは、抵抗することを諦め、逆手(相手を呪うしぐさ)を打ってして入水自殺します。もう一人の息子であるタケミナカタは、国譲りには納得せずにタケミカヅチに戦いを挑みます。しかし、大敗を喫して信濃の国にまで追い詰められ、「どうかおれを殺さないでくれ」と助命を嘆願し、「葦原の中つ国はすべて差しだそう」と国譲りに同意しました。

 二人の息子が降伏したことによってオオクニヌシは、「高天原にも届くような、ひときわ高くそびえ立つ大殿(おおどの)を造ってわが住処とするならば、わが子たちとおなじようにわたしも背くことはない」と答え、国を譲ることに同意したのです。

 旧約聖書に記された徹底した虐殺と略奪の記述に比べ、古事記の戦いは、なんと穏健な「ぬるい」表現で記されているのでしょうか。さらに驚嘆すべきは、戦いに敗れた王であるオオクニヌシが、大国主の神(オオクニヌシノカミ)となって、国作りの神、縁結びの神として、現在に至るまで日本人の信仰を集めていることです。

 これは世界に例を見ない、非常に特異な信仰の形であると言えるのではないでしょうか。

 

怨霊信仰とは

 御霊信仰について検討する前に、その元になっている怨霊信仰について検討してみましょう。

 怨霊とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持って祟りをする、死霊または生き霊のことです。怨霊による現世への影響を信じる怨霊信仰は、近代化以前の日本では自明のこととして存在していました。

 戸矢学氏は、『怨霊の古代史 蘇我・物部の抹殺』1)の中で、怨霊について以下のように指摘します。

 

 「なによりもまず認識しておかなければならないのは、死者が怨霊と化す所以は当人の思いとはほとんど関係ないということだろう。当人の死後、取り巻く人々がその死をどうとらえたかが決め手なのだ。極論すれば、死者当人の意向は無関係である。その人を死にまで追いつめた人たちの『うしろめたさ』が御霊信仰の源である」(『怨霊の古代史 蘇我・物部の抹殺』29頁)

 

 怨霊は死者の思いとは無関係であり、その人を死にまで追いつめた人たちの「うしろめたさ」によって生じるという観点は、古代史の怨霊を検討するうえで重要な視点になります。
 さらに、この「うしろめたさ」が生まれるためには、死者は冤罪でなければならないと戸矢氏は指摘します。

 

 「怨霊と化す者は『冤罪』でなければならないのだ。そして冤罪に陥れた者が『祟られる』ことになる。陥れた者のうしろめたさが『負の原動力』となるからだ」(『怨霊の古代史 蘇我・物部の抹殺』39頁)

 

 もし実際に罪を犯した者がその罪によって殺害されても、それは罰としての死になります。罪の程度にもよるでしょうが、死に追いやった者にはうしろめたさが残らず、したがって殺害された者は怨霊にはなりません。

 逆に大儀のある死は、英霊となります。この場合は、残された者には大儀のために死なせてしまったという「うしろめたさ」が残ります。このうしろめたさは、「正の原動力」となって英霊の誕生に寄与するでしょう。
 以上のように考えると、大儀のない死で、しかも冤罪によって死に追いやられた者だけが怨霊になるのだと言えます。

 

怨霊の背景には対人恐怖が

 さらに、精神分析学的に言えば、怨霊とは対人恐怖の死者への投影です。周囲の者がその人に対して生前に抱いていた恐怖感が、死んだ後に投影されて怨霊が生まれます。つまり、怨霊に対する恐怖感の源泉は、故人に対する生前の恐怖感に他なりません。この対人恐怖がうしろめたさという「負の原動力」によって増強され、人を祟って殺害したり、自然を動かして災害を引き起こすほどの力を有するようになる(と信じられる)のです。

 そのため死者が怨霊になるには、他者に強い対人恐怖を抱かせるほどの権力(または何らかの能力)を持った人物でなければならず、しかも生前のその人物の様を周囲の者が実際に知っていることが必要なのだと考えられます。

 オオクニヌシは、地上で大いに繁栄した葦原の中つ国の王であり、アマテラスが「わが子が治めるべき国である」と勝手に宣言して彼の国を奪ったのですから、この条件に当てはまるのではないでしょうか。

 

オオクニヌシは怨霊になった

 一般的には、怨霊信仰は平安時代以降に現れたと言われています。しかし、戸谷氏は前掲書の中で、「怨霊神」の起源はオオクニヌシだと指摘しています。

 

 「深読みをするならば、国土を略奪した上に、殺されているということになる。百歩譲っても、オオクニヌシは国を取り上げられて自決したということだろう。『国譲りして神上がる』とは、そういう意味なのである。

古事記』にあるように、

『この世のことは、わが子孫が治めるから、おまえはあの世を治めよ』とアマテラスに命じられたのだ。(中略)

 そしてそのゆえに、オオクニヌシは怨霊になったはずだと考えたのは、国を奪い、死をもたらした者-すなわちアマテラスということになる。

 怨霊となることが確信できるほどの仕打ちをおこない、しかし怨霊となって祟ることをこの上なく恐れて、これより前にはもちろんのこと、これより後にも二度と見ることもないような巨大な社を杵築(出雲)に建設して、手厚く祀ったのである(『怨霊の古代史 蘇我・物部の抹殺』201頁)

 

 国土を略奪した上に殺害した(または自死した)オオクニヌシが怨霊になったとアマテラスは考えたのではないか。そして、オオクニヌシの怨霊が祟ることを恐れて、アマテラスは巨大な社を建設して手厚く祀ったのだ、と戸谷氏は指摘しています。

 

                   古代出雲歴史博物館にある本殿の模型

 

 そう考えて出雲大社の本殿を眺めると、オオクニヌシの怨霊の力がとてつもなく強大であり、アマテラスがその祟りをいかに恐れたかが分かります。

 ところで、オオクニヌシが「高天原にも届くような、ひときわ高くそびえ立つ大殿(おおどの)を造ってわが住処とするならば、わが子たちとおなじようにわたしも背くことはない」と答え、国を譲ることに同意したという古事記の話は、アマテラス側が自らを正当化するための後付けの物語だということになります。

 古事記天武天皇が編纂を命じたことからも分かるように、天皇家の、つまりアマテラス側の正史ですから、戸谷氏の推察は充分にあり得る話しだとわたしは思います。

 

一神教では怨霊は生じない

 一方で、旧約聖書に記された敵対する幾多の王の虐殺に対して、イスラエルの民は恐れを抱くことはないのでしょうか。たとえば、「五人の王は、兵士たちに首を踏みつけられたうえで打ち殺され、五本の木にさらされた」とあるように、虐殺されたうえに木にさらされた王たちが、怨霊となって祟りをなすとは思わないのでしょうか。

 イスラエルの民には、こうした恐れはまったく存在しなかったでしょう。なぜなら、旧約聖書に記されたヤハウェは唯一、全能の神だからです。唯一、全能の神を戴く宗教では、全ての霊的な力は全能の神が有しており、人や死者に霊が宿っているというようなアニミズム的な要素は排除されてしまっています。

 イスラエルの民が恐れるのは、唯一、全能の神ヤハウェだけです。彼らが恐れるのは、神の救いを得られないことであり、神から罰を与えられることです。

 そのためイスラエルの民は、神の命令に従うならばどのような虐殺を行うことも厭わないのであり、その後に罪の意識を感じたり、後悔や恐れの感情を抱くこともないのだと考えられるのです。

 

日本文化と御霊信仰

 戸谷氏は、怨霊を手厚く祀れば守護の神に転化して却って幸いをもたらすという御霊信仰について、「このような心性は、韓国朝鮮にも中国にもあまり見られない。日本という風土が育んだ気質ではないだろうか」(同上29頁)と指摘しています。

 怨霊が対人恐怖の死者への投影であるとすれば、怨霊の存在は、対人恐怖を文化の根底に持つ日本社会に特有の現象であると捉えることができるでしょう。ちなみに、日本文化に対人恐怖が存在するのは、日本人が戦いに敗れ続けて日本列島に流れ着いた人々の集合体であることが重要な要因になっているのではないかとわたしは考えていますが、その詳細は別の機会に論じたいと思います。
 それはともかく、日本社会では、恐怖の対象である他者が共同体に受け入れられると、やがて助け合う身内へと変貌を遂げるという驚くべき特徴があります。この変貌には、和の文化が重要な役割を果たしています。

 これと同様のことが怨霊信仰でも起こります。日本社会においては、怨霊も心を込めて祀れば、やがてわれわれを助けてくれる守護神へと転化して行くのです。

 この信じられない思想の源泉については、次回以降のブログで検討したいと思います。(続く)

 

 

文献

1)戸矢 学:怨霊の古代史 蘇我・物部の抹殺.河出書房新社,東京,2010.