祖国を貶める人々 共産主義の信奉者(3)

f:id:akihiko-shibata:20200630011538j:plain

 前回までのブログでは、共産主義を掲げる国の人々が、独裁者を信奉し、支える理由について検討しました。

 今回のブログでは、自由主義国家である日本において、共産主義を信奉する人々が存在する理由を検討したいと思います。

 そこには、反米と反日という二つの理由があります。

 

日本人の無意識にある反米

 以前のブログでも指摘しましたが、近代のアメリカとの歴史は、屈辱の歴史でもありました。

 アメリカの東インド隊司令官であったペリーに開国を迫られた江戸幕府は、黒船によって示された技術力と軍事力に圧倒され、200年以上に渡って続けてきた鎖国政策を解き、アメリカとの間に屈辱的な不平等条約を結びました。

 この屈辱感を晴らす目的もあった対米戦争では、緒戦こそ善戦したものの、その後は無残な惨敗を繰り返したあげく、本土は空襲を受けて廃墟と化しました。さらに広島と長崎に人類初の原爆を2発も投下され、対米戦だけで200万人以上の犠牲者を出して敗戦に追い込まれました。

 敗戦後は、GHQから6年8ヵ月にわたる占領政策を受けました。これは、日本人が史上初めて受けた占領でした。軍事機構、国家警察、財閥資本が解体され、農地改革が行われるなど、日本社会の根本的な構造が変更されました。GHQの原案をもとに日本国憲法が制定され、政治の仕組みも抜本的に変革されました。内政は日本政府が担ったもののGHQの影響下に置かれ、日本政府は外交権すら持てない状態が続きました。

 以上のような歴史に根差したアメリカへの屈辱感は、日本人の無意識の中に伝承されてきました。

 

反米感情の行方

 アメリカへの屈辱感を意識し、反米感情を認めることができれば、アメリカとの関係で現実的な行動を採ることができます。

 しかし、アメリカへの屈辱感を抑圧し、反米感情を否認すると、アメリカと現実的な関係を結ぶことができなくなり、次のような両極端な対応に走ることになります。

 すなわち、反米感情を感じまいとして無理やり親米的な振舞いをするか、反米感情を他に投影して、反米的な振る舞いをする対象に同一化するかです。前者は極端な親米となってアメリカに追従する態度を示し、後者は反米を表明するものに親近感を抱き、アメリカに敵対するものを支援する態度を採ることになります。

 後者の人々は、アメリカに対する態度は直接表明しませんが、アメリカに敵対する勢力を礼賛し、その勢力に追従しようとします。その勢力とは、具体的には旧ソ連、中国、北朝鮮といった共産主義勢力です。

 

共産主義の礼賛

 彼らは、共産主義こそ人類史上もっとも進歩した社会思想であると主張しました。北朝鮮を「地上の楽園」と礼賛し、在日朝鮮人北朝鮮帰国事業を推進したこともありました。

 ソ連が崩壊し、北朝鮮の悲惨な現実が明らかになった後にも、親中派と呼ばれる人々が、経済界にも、政界のなかにも存在します。しかも親中派は、野党だけでなく、自民党の国会議員にも多数存在しています。

 共産主義の国々を礼賛する人々には、共産主義国の現実が見えていません。共産主義国家では、平等な社会という理念とは裏腹に、例外なく独裁者が存在し、歴然とした社会階層が構築され、膨大な数の人民が虐殺されています。

 彼らになぜ、こうした現実が見えないのでしょうか。それは彼らが、はなから共産主義の現実を見ようとしていないからです。彼らが見ているのは、共産主義が掲げる理想の部分だけです。共産主義の理想しか見えないのは、共産主義が反米の象徴であるからです。

 アメリカへの屈辱感と反米感情を意識できていない人々は、アメリカと敵対するものに共感し、アメリカと正反対のものに理想を見出そうとします。そのため、彼らには共産主義国家の現実が、いっさい見えなくなっているのです。

 

反日の象徴としての共産主義 

 共産主義を礼賛する人々にみられるもう一つの特徴は、反日です。

 日本が自由主義、資本主義の体制を採っているため、共産主義とは相容れないのは当然のことです。しかし、共産主義を礼賛する人たちが敵対し、攻撃するのは、社会の体制に留まりません。彼らは、日本に根付いてきた文化や伝統を否定し、これらを消滅させようとしています。

 たとえば、千八百年以上続いてきた皇室の伝統を断絶させるために、女系天皇の容認や女性宮家の創設を画策し、夫婦別姓同性婚の推進によって日本の家族制度を解体しようとします。日本の歴史の意義を失わせようとし、特に明治以降の日本政府の行動をアジアへの侵略として非難します。

 要するに、日本の伝統、文化、制度のすべてを非合理なもの、遅れたもの、意味のないものとして否定し、これらを改善し、改革し、合理的なものに作り替えようとします。彼らにとって共産主義とは、旧態然とした日本の文化、伝統を打ち破る象徴として掲げられています。つまり、共産主義は究極の理想でありスローガンに過ぎないのであって、本当の目的は、日本そのものを攻撃し、貶めることにあるのです。

 彼らはなぜ、日本の伝統、文化、そして日本そのものを攻撃し、貶めようとするのでしょうか。

 

日本に帰属集団を持てない人々

 日本は、いずれの国も比肩できないスピードで、近代化を達成しました。それは、世界史の奇跡と呼べるものでした。しかし、その一方で、近代化に伴う急激な変化によって、日本の伝統や文化は分断されました。近代化という社会の激変の中で、伝統的に受け継がれてきた古くからの帰属集団が失われる事態が生じました。

 社会の変革は、伝統的な宗教や文化の軽視として、身分制度の廃止として、家という制度の衰退として、そして村落共同体の消失といった現象として現れました。これらは古いもの、遅れたものとして認識されましたが、一方では安定した揺るぎない帰属集団を形成する機能を有していました。

 新たな時代になり、人々は変革された社会構造の中に新たな帰属集団を見つけようとしました。この新たな帰属集団は、戦前は大日本帝国という欧米諸国に倣った強大な軍事力を有する近代帝国の中に、戦後は自由と民主主義、そして資本主義を原理に据えた経済大国としての日本の中に生まれました。

 ところが、新たな帰属集団には、歴史や伝統に裏打ちされた安定した基盤が存在しません。そのため、新たな帰属集団に入りきれない者や、新たな帰属集団に属しても、居心地の悪さを覚える者が少なからず存在しました。

 

日本を非難する集団

 共産主義を信奉する人々は、伝統的な日本の帰属集団はもちろん、近代化に伴って新たに誕生した日本の帰属集団にも属せなかったために、日本文化の対極に位置する集団を形成しました。

 そのため彼らは、自らを受け入れてくれなかった日本の伝統的な集団や、近代化以降に誕生した新たな帰属集団に対して、執拗な敵意を抱くことになりました。彼らが日本の伝統、文化をはじめとした日本的なものを否定し、これらを消滅させようと躍起になっているのはそのためです。

 彼らが共産主義を信奉し、共産主義革命を訴えるのは、日本を否定するための方便に過ぎません。共産主義が単なる理想に過ぎないからこそ、彼らには共産主義を掲げる国々の現実がいっさい見えないのであり、共産主義の問題点を検討したり改良させようという現実的な対応がなされないのです。

 

日本に対する不信感  

 彼らが日本の伝統的な帰属集団に属さず、さらに近代化以降の新たな帰属集団にすら属さないのはどうしてでしょうか。

 それは、彼らには、そもそも日本社会に対する不信感が存在しているからだと考えられます。日本の伝統や文化に対する不信感があるからこそ、彼らは日本的な集団には拒否的になるのであり、日本の伝統を感じさせる集団には溶けこむことができないのです。 

  では、彼らの日本の文化や伝統に対する不信感は、どこにその源泉があるのでしょうか。

 

不信感は成育環境で育まれる

 アイデンティティという概念を提唱したことで知られる、アメリカの発達心理学者のエリク・ホーンブルガー・エリクソンは、人の発達段階の最初に獲得されるものは、基本的信頼感であると指摘しました。

 エリクソンによれば、0歳から2歳の乳幼児期に人が獲得するものは、基本的信頼感と基本的不信感であるとされます。基本的信頼感とは、世界や自分が信ずるに足るものであるという感覚であり、基本的不信感はこれが信じられないものであるという感覚です。

 基本的信頼感は、社会や地域の価値観に裏打ちされた親の対応によって育まれると、エリクソンは指摘しています。つまり、社会で是認され、一般的あるとされる価値観を信頼している親が、子どもを大切な存在として慈しむことによって、子どもは社会が信頼できるものであると感じると同時に、自分がこの世に存在する意味があると信じられるようになるのです。

 この時期に、基本的信頼感を育めず、基本的不信感を身に付けてしまうとどうなるでしょう。不信感が勝った子どもは、他人や社会が信じられないだけでなく、自分が存在する意味にさえ疑念を抱くことになります。

 

社会への不信感が反日を生む

 自分の存在する意味が信じられない子どもたちは、自己否定感を育んでいきます。自己否定感は精神疾患を引き起こす要因の一つになりますが、ここではその詳細は割愛します。

 一方、社会の価値観に信頼を置けない子どもたちは、やがて社会に対する敵意を育んでいきます。それは社会への反抗や、反社会的な行動を促します。反社会的な行動は非行や犯罪に結びつくこともありますが、社会の矛盾が頂点に達した際には、社会を変革する原動力になることもあります。

 反日を叫ぶ人々には、幼少期から育まれた、日本社会に対する不信感が存在しているのでしょう。彼らの心の奥底に、日本の社会や文化に対する不信感が存在しているからこそ、日本を否定しようとするのであり、日本を攻撃し、日本を貶めようと躍起になっているのです。

 しかし、彼らが本当に攻撃し、否定したいのは、社会や他者に対する基本的不信感を与えた親や家族、またはそれらを取り囲む地域に他なりません。反日は、その代替に過ぎないのだと考えられます。

 このことが意識化されない限り、彼らの反日はとどまることはなく、延々と繰り返されることになるでしょう。(了)