日本を貶めようとする人々 まとめ(2)

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  前回のブログでは、日本を貶めようとする人たちの心理を、乳幼児期の成育歴まで遡って検討しました。

 これはあくまで仮説ですが、日本を貶めようとする人たちは、エリクソンのいう基本的信頼感や基本的不信感が獲得されていないと考えられます。そのため、誰が信頼できるのか、誰を信頼してはいけないかを適切に判断することができません。その結果、身近な他者を信じることができない一方で、甘言を弄して近づいて来る人を簡単に信じてしまいます。つまり彼らは、本来は信頼できるはずの日本人を信用せず、日本を貶めようと近づいてくる外国人を容易に信用するのです。

 さらに今回のブログでは、対人不信感と全能感の関係を検討し、最後に日本人と日本への攻撃性の問題についても触れたいと思います。

 

究極の理想を語る人々

 日本を貶めようとする人たちの特徴として、究極の理想を掲げていることがあります。

 究極の理想として挙げられるのが、共産主義です。共産主義とは、財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって、貧富の差のない社会を実現しようとする思想です。

 マルクスは、プロレタリア革命によって資本主義社会が一掃され、社会主義社会が到来すると予言しました。社会主義はさらに共産主義に発展します。共産主義は人類史の発展の最終段階としての社会体制であり、そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされました。

 共産主義者はその理想を実現するために、皇室や家族制度といった日本の文化や伝統を破壊する活動を続けています。

 その一方で、究極の保守思想を語る人たちも、結果として日本を貶めることがあります。たとえば、先のブログで取り上げた適菜収氏の保守思想は、「保守思想の根幹にあるのは愛であり、『人間を愛せ』ということ」「大地に根差したものを愛するのが、反イデオロギーたる保守の本質」という純粋で理想的なものです。

 彼の思想に合わない日本の文化や伝統はそこかしこに存在するでしょう。そして、日本社会に存在する適菜氏の思想に反する部分は、「安倍的なもの」などとして、徹底的な批判を受けることになるのです。

 

究極の理想を求める心理

 では、人はなぜ究極の理想を抱き、そしてその理想を求め続けるのでしょうか。この心理を、乳幼児期の精神発達という側面から検討してみましょう。

 人は、非常に未熟な状態で出生します。生まれたばかりの赤ちゃんができるのは、おっぱいを吸うことと泣くことくらいです。つまり、客観的には人は、ほぼ無能の状態で生まれてきます。

 一方、主観的にはまったく正反対です。感覚器の発達も不充分な赤ちゃんは、周囲の世界を充分に認識できていません。母親から庇護を受け、おっぱいを与えられ、おむつを替えてもらい、お風呂に入れてもらっているとは理解できていません。そこで赤ちゃんは、自分の望むことがすべて自分の力によって叶えられると認識します。つまり、他者からしてもらっていることを、自分が行っていると錯覚しています。自分の望むことがすべて叶えられると感じているのですから、この錯覚には全能感が伴われています。

 児童精神科医ウィニコットは、この現象を絶対的な依存期(出生から6か月までの時期)における錯覚と呼びました。この全能感を伴った錯覚が、究極の理想世界の原型になると考えられます。

 

脱錯覚の苦痛

 人は成長するにつれ、現実を理解するようになります。そして、自分で行っていると認識していたことが、実は母親にしてもらっていたことに気づきます。自分の認識が錯覚であったと理解できるようになることを、ウィニコットは脱錯覚と呼びました。錯覚から脱するという意味です。

 脱錯覚は、苦痛を伴います。全能だと思っていた自分が、実は無能だったことを認めることになるからです。それは人が最初に感じる、耐えがたい苦痛であると言えるでしょう。

 この苦痛に耐えられるのは、人が現実の世界でできることが少しずつ増えるからです。無能であった赤ちゃんが、感覚器が発達し、周囲の状況を理解し始め、ハイハイができるようになり、喋れるようになり、立って歩けるようになります。客観的にできることが増えていく喜びによって、全能ではないことを主観的に受け入れられるようになります。

 さらに、人は対人関係を広げることによって、現実の世界に参入して行きます。幼児には幼児の世界、児童には児童の世界、青年には青年の世界、成人には成人の世界があります。人は対人関係を通して、そして、対人関係を広げながら現実の世界に参加して行きます。対人関係が広がることによって現実の世界に安住の地を得られた人は、より一層の脱錯覚が可能になるのです。

 

現実の世界の制約を受けない

 ところが、エリクソンのいう基本的信頼感や基本的不信感が獲得されていない人は、誰が信頼できるのか、誰を信頼してはいけないかを適切に判断することができません。そのため、彼らは信頼できる対人関係を広げられず、現実の世界の中で確固たる基盤を作ることができません。現実の世界の中で確固たる基盤を作ることができなければ、彼らは錯覚から脱することが困難になり、全能感を伴った錯覚の世界に逆戻りします。

 全能感を伴った錯覚の世界を求める心理が、究極の理想世界を創り上げます。その世界は、全能感によって何でも可能であり、どんな理想でも叶えることができ、現実の制約を一切受けることがありません。

 その世界では、貧富の差はなく、すべての財産は共有されます。階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けることができます。また、人間を愛し、大地に根差したものを愛することが何よりも尊重される社会になります。こうして究極の理想である共産主義思想や、究極の保守思想は生まれるのだと考えられます。

 それはすべてが与えられ、何の不満も生じることのない、究極の理想が具現化された世界であると言えるでしょう。しかし、それはあくまで錯覚によって誕生した、幻想の世界なのです。

 

理想主義者の革命とは

 究極の理想を追求する人たちは、理想が具現化された世界を実現するために、現実の社会を変革しようとします。これが、いわゆる革命と呼ばれる現象です。

 革命はわたしたちの社会を発展させてきましたが、良い側面ばかりではありません。究極の理想を追求する革命は、全能感を伴った錯覚の世界を求める心理が原動力になっています。その世界では、全能感によって何でも可能であり、どんな理想でも叶えることができ、現実の制約を一切受けることがありません。こんな理想を、現実の世界で実現させようとしたらどうなるでしょうか。現実の世界と激しい対立が生まれ、理想にそぐわない現実社会の破壊が起こります。

 そのため共産主義革命では、激烈な社会の破壊がもたらされました。それを現わす指標の一つが、共産主義革命に伴って起きた自国民の虐殺です。

 共産主義研究者のステファヌ・クルトワの『共産主義黒書〈ソ連篇〉』1)によれば、その数は次のようでした。

 

 ソ連       死者 2000万

 中国       死者 6500万

 ヴェトナム    死者 100万

 北朝鮮              死者 200万

 カンボジア    死者 200万

 東欧       死者 100万

 ラテンアメリカ  死者 15万

 アフリカ     死者 170万

 アフガニスタン  死者 150万

                   (『共産主義黒書〈ソ連篇〉』19頁)

 

 究極の理想社会を実現するための犠牲と呼ぶには、あまりにも膨大な命が失われてしまったと言えるのではないでしょうか。

 

根本は日本人への敵意

 これまで日本を貶める人たちの乳幼児期の対人不信感、そして全能感の問題について検討してきました。しかし、これら問題の検討だけでは、なぜ彼らが執拗に日本を貶めようとするのかは分かりません。問題の根本にあるのは、日本人への敵意です。

 人が全能感を伴った錯覚の時代に逆戻りするのは、現実の世界の中で確固とした居場所が見つけられないからでした。現実の世界の中で確固とした居場所が見つけられないのは、人間関係で信頼できる対人関係を育めないからでした。そして、信頼できる対人関係を育めなかったのは、最初期の対人関係が不信感に満ちたものだったからです。こうして原因を遡って行くと、日本を貶めようとする人たちには、最初期の対人関係、つまり両親や家族への不信感に行き着きます。

 乳幼児期における両親や家族のへの不信感は、人への信頼感を与えてくれなかった両親や家族への敵意に繋がります。

 乳幼児期に形成された根源的な敵意に、後の対人関係で経験した周囲の人への敵意が加えられます。こうして年月を重ねて積み重ねられた敵意は、やがて日本人へ、さらに日本へと向けられて行くのです。

 

 以上のように考えると、人にとって最初期の対人関係が、いかに重要であるかが分かります。乳幼児にとって家族という成育環境は、子どもの人格が形成される揺りかごであるだけでなく、日本を愛する日本人の揺りかごでもあるのです。

 近代化や進歩という名の下で、明治から現代に至るまで、日本の伝統的な家族制度は解体され続けて来ました。そのことが、日本を解体することに繋がりかねないことを、わたしたちは今こそ肝に銘じておくべきではないでしょうか。(了)

 

 

文献

1)ステファヌ・クルトア.二コラ・ヴェルト.(外川継男 訳):共産主義黒書〈ソ連篇〉.筑摩書房,東京,2016.