祖国を貶める人々 憲法九条の信奉者(1)

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 前回までのブログでは、共産主義という究極の理想を掲げる人々が、現実の社会では独裁者を信奉し、その独裁者が大量の人民を虐殺しているという共産主義国の矛盾を指摘しました。日本では、共産主義を信奉する人々が、日本の伝統、文化、制度を否定し、日本的なものを破壊しようとしている現実をみてきました。

 理想を掲げることは大切なことです。しかし、究極の理想を追求しすぎると、理想は空想的になり、現実との間に大きな乖離を生みます。そして、現実から乖離した空想的な理想を抱く人々が、時には理想とは程遠い恐ろしい現実を招くことになります。

 今回のブログでは、究極の理想として、憲法九条を取り上げたいと思います。

 

戦争の放棄を宣言した憲法九条

 戦争の放棄を宣言した日本国憲法の第九条は、究極の平和を目指しています。ここでいま一度、九条の条文を振り返っておきましょう。

 

第九条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄し、戦争を行うための陸海空軍の戦力を保持しないとするこの条文は、まさに平和な世界を希求するための究極の理想を謳いあげていると言えるでしょう。こんな世界が実現したなら、どんなに素晴らしいことでしょうか。

 しかし、現実の国際情勢は、このような「正義と秩序を基調とする」美しい世界ではありません。21世紀に至っても、自国の領土を守るために、世界各地で紛争が続いています。少しでも隙を見せれば、領土を奪われることは現在においても世界の常識です。現実の世界では、各国が自国の利益を追求し、実利の収奪が繰り返される弱肉強食の日常が繰り広げられているのです。

 こうした苛酷な現実世界において、究極の理想である憲法九条がいまだに信奉されているのはどうしてでしょうか。

 

憲法九条は世界遺産

 憲法九条を信奉しているのは、何も左翼の人たちとは限りません。自民党の元幹事長の古賀誠氏は、『憲法九条は世界遺産1)という著書の中で、次のように語っています。

 

 「あの大東亜戦争に対する国民の反省と平和への決意を込めて、憲法九条はつくられています。憲法九条一項、二項によって、日本の国は戦争を放棄する、再び戦争を行わないと、世界の国々へ平和を発信しているのです。これこそ世界遺産だと私は言っているのです。

 戦後七四年、わが国は一度として、まだ他国との戦火を交えたことはありません。平和の国として不戦を貫くことができています。これは憲法九条の力であり、だからこそ憲法九条は世界遺産なのです」(『憲法九条は世界遺産』41‐42頁)

 

 政権政党の幹事長まで勤めあげた人物が、このような考えを持っているのは驚くべきことです。

 そもそも憲法九条は、大東亜戦争に対する国民の反省と平和への決意を込めて日本人が創ったのではありません。日本が二度とアメリカに対して戦争ができないように、GHQが作成したものです。

 そして、日本が二度と他国と戦火を交えていないのは、日本が平和憲法を持っているからではありません。日本が平和憲法を掲げて戦争をしないと宣言すれば、相手国は安心して日本に攻め込むことができるでしょう。日本がこれまで戦火を交えずにこれたのは、日米安保によって日本に世界最強の米国軍が駐留しているからです。日本に戦争をしかけることは、アメリカに宣戦布告することに等しいからです。

 こうした状況において、日本には平和憲法があるから平和が守られていると主張する姿は、まさにアメリカという虎の威を借る狐そのものだと言えるでしょう。

 

日本が戦争を仕掛けなければ戦争は起きないのか 

 憲法九条を護ろうとする人たちの中には、憲法九条の意義を、できるだけ現実的に捉えようとする人もいます。

 フランス文学者の内田樹氏は、『9条どうでしょう』2)の中で、次のように述べています。

 

 「歴代の日本の統治者たちは、『憲法九条と自衛隊』この『双子的制度』を受け入れてきた。その間に自衛隊は増強され、世界有数の軍隊になり、目的限定的にアメリカを支援してきたが、それでも『戦争ができない軍隊』であるという本質的な規定は揺るがなかった。私はこれを『武の正統性』が危うく維持されてきた貴重な六十年間だったと評価している」(『9条どうでしょう』21頁)

 

 内田氏は、自衛隊は緊急避難のための戦力であると規定します。しかし、その戦力は自衛のためであれ、できるだけ発動しないことが望ましいと内田氏は指摘します。そして、憲法九条によって自衛隊の戦力が封印されていることこそ武の本来的なあり方であり、「戦争ができない軍隊」である自衛隊こそ、「武の正統性」が保障されているのだと述べています。

 さらに、憲法九条と自衛隊のこの関係こそ、日本の平和を維持するために機能していると内田氏は主張するのです。

 

 憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の『封印』によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている」(『9条どうでしょう』21頁)

 

 内田氏の主張は、防衛のための軍隊を持ちつつ、その軍隊を戦争のために使用せずに封印していれば、他国の戦争にコミットすることはなく、日本は例外的に安全な国でいられるということでしょうか。

 

日本は信じないが他国は信じる

 上記の両氏に共通するのは、日本が戦力を保持しない、または保持したとしても戦闘に用いないでいれは、戦争は起こらないという主張です。つまり、日本が戦争をしないと宣言すれば、他国は平和を希求する日本の意志を尊重し、日本に戦争を仕掛けないと考えるのです。

 古賀誠氏は、次のように述べています。

 

 平和憲法は、日本の国が再びああいう戦争を起こしてはいけないということと同時に、世界の国々に与えた戦争の傷跡に対するお詫びをも世界の国々に対して発信しているのです。(中略)

 そういう過去の過ちへの反省は、あの平和憲法の中にも含まれていて、たからこそ九条を維持し続けるというぐらいの誠実さと謙虚さが、この日本には必要なのです。そうやって初めて、中国と韓国とも本当の意味での信頼関係ができると私は思います」(『憲法九条は世界遺産』44‐45頁)

 

 古賀氏は、憲法九条を維持することが、中国、韓国との信頼を生むのであり、この信頼が戦争を回避し、平和を護ると考えているようです。

 また、内田樹氏は次のように述べます。

 

 「『北朝鮮が日本に攻めてくると困るので、九条を改定して、交戦権を確保しておく方がいい』というロジックがひろく普及しているらしい。

 たしかに北朝鮮が攻めてくるようなことがあると、とても困る。私も困るし、あなたも困るし、たぶんキム・ジョンイルも困る。

 『みんなが困る』ような外交的オプションは選択される確率が低い。

 だから心配するには及ばないと申し上げる」(『9条どうでしょう』51‐52頁)

 

 現在の状況であれば、中国が攻めてくると懸念する人に対して、中国がもし本当に攻めてくるようなことがあれば習近平も困るので、心配するには及ばないと主張するのでしょうか。

 両氏はこのように、中国や韓国、北朝鮮には驚くほどの信頼感を寄せています。これらの国々が日本を攻めてくる心配はないと、両氏は信じ切っているのでしょう。

 一方、日本に対しては、両氏とも不信感を抱いているようです。日本人を信じていないからこそ、憲法九条がなければ日本人は再び戦争を起こしかねないのであり、日本人が戦争を起こさないためには、何をおいても憲法九条を堅持しなければならないと考えているのです。

 

 基本的不信感

 前回のブログで、アメリカの発達心理学者であるエリク・ホーンブルガー・エリクソンが、0歳から2歳の乳幼児期に人が獲得するものは、基本的信頼感と基本的不信感であると提唱したことを述べました。基本的信頼感とは、世界や自分が信ずるに足るものであるという感覚であり、基本的不信感はこれが信じられないものであるという感覚です。

 基本的信頼感を獲得することは、もちろん重要なことです。しかし、信頼感だけを獲得すればいいというものでもありません。信頼感だけを獲得した人は、他者を信頼することしかできません。なんでも信じてしまう、つまり妄信を生みます。そのため、基本的な不信感を獲得することも必要になるのです。この辺りが難しいところです。

 エリクソン自身は、「信頼と不信とが一定の割合で基本的な社会態度に含まれることこそ、決定的要因になる」と語っています。基本的信頼感が得られることが重要であるのは言うまでもありませんが、基本的な不信感も一定の割合で獲得される必要があります。そうすることによって初めて、何が信頼でき、何が信頼できないのかかが、より正確に理解できるのだと考えられます。

 日常の診療をしていてよく感じるのは、信頼できる人や信頼すべき人を全く信用せず、信頼できそうもない人やどう考えても怪しい人を信用してしまう人が多いことです。その結果、当然のように対人関係が破綻してしまうのですが、国際関係も同じなのではないでしょうか。(続く)

 

 

文献

1)古賀 誠:憲法九条は世界遺産かもがわ出版,京都,2019.

2)内田 樹,小田嶋隆平川克美町山智浩:9条どうでしょう.毎日新聞社,東京,2006.