日本人はなぜ初詣に行くのかー大地震とJAL機の炎上

 元日、2日と初詣に出かけました。元日は地元岐阜市伊奈波神社に、2日は名古屋市まで足を伸ばして熱田神宮でお参りをしました。令和6年はわたしが八方塞がりの年(陰陽道でどの方角に向かって事を行っても、不吉な結果が予想される年)に当たるため、熱田神宮では厄除けのご祈祷をあげていただきました。

 新型コロナが5類に移行して初めての年始とあって、両神社とも多くの参詣者でごった返していました。マスクをしている人の数も、昨年に比べれば半減していたように思います。実際には新型コロナ感染症者は現在もジワジワと増えているのですが、そんなことなど一向に気にならないかのようです。この現象は、新型コロナ感染症への恐怖感が、いかに非現実的な「空気」によってもたらされていたかを如実に示していると言えるでしょう。

 それはともかく、わたしたち日本人は、どうして新年を迎えるとこぞって初詣に出かけるのでしょうか。

 今回のブログでは、この素朴な疑問について考えてみたいと思います。

 

元日からM7.6の大地震

 令和6年の年頭から、大きな災害が続けざまに起こりました。最初の災害は、元日に能登半島沖で発生したM7.6 の巨大地震です。

 それはわたしたち夫婦が、初詣に出かけようと車に乗り込んだときでした。携帯(わたしは今でも携帯電話の愛好者です)とラジオから、けたたましい緊急地震速報が流れました。どうやら能登半島沖で、大きな地震が発生したようです。

 車を走らせ始めると、車の中からでも、地面がゆっくりとうねるのが感じられました。遠く離れた場所であるにも拘わらず、地面の大きなうねりを実感するのは、あの東日本大震災のとき以来でした。このことだけでも、この地震がただならぬものであることが察せられます。

 さらに車を走らせていると、大津波警報が発せられました。ラジオからは女性アナウンサーの「今すぐ避難してください」「逃げてください」という絶叫にも近い警告が続きます。これは、東日本大震災での教訓から生まれたものでした。東日本大震災では津波警報は、冷静にアナウンスされました。その結果、津波による犠牲者を増やすことになってしまったのではないか。その反省から大津波警報が出た際には、緊迫感を伝えるために冷静な伝え方はしない、絶叫や命令調なアナウンスになると以前からNHKでは報道していました。

 今回の津波は、速報では最大でも1.2メートルであり(その後、能登半島北部の志賀町赤崎漁港で、倉庫の壁に残された波の跡から、津波がおよそ4.2メートルの高さまで来ていたことが分かりました)、直接大きな被害はもたらしませんでした。しかし、それはあくまで結果論です。緊迫感をあおるような放送に違和感を感じた人もいたようですが、今回の津波警報に関するNHKの報道の仕方は正しかったと思います。

 

深刻な被害が徐々に明らかに

 津波が大きな被害をもたらさなかったとは言え、M7.6の巨大地震がもたらす災害は、容易ならざるものであることは明白でした。

 最高震度である7を計測したのが石川県志賀町震度6強を計測したのが石川県輪島市珠洲市七尾市など、震度6弱を計測したのが石川県の七尾市新潟県長岡市などでした。さらに震度5は、石川県、新潟県富山県福井県、長野県、岐阜県にまで及びました。

 この揺れによって、多くの住居やビルが倒壊しました。倒壊した建物の下では沢山の人が行方不明になり、今も救助を待っています。輪島市では河井町の輪島朝市で火災が発生し、近隣の約200棟が焼失しました。石川県では多くの道路が破壊され、ライフラインが寸断されました。度重なる余震に怯えながら、避難所に集まった人々は不安な日々を送っています。

 能登半島地震での被害は、1月7日の時点で、石川県内の死者が128名、安否不明者は195人に上っています。

 

JALの航空機が炎上

 惨劇は続きます。1月2日に羽田空港で、日本航空の航空機と海上保安庁の航空機が衝突、炎上したのです。

 熱田神宮の初詣から帰った直後に、テレビから衝撃的な映像が飛び込んできました。日本航空の航空機が着陸直後に機体から炎を上げ、そのまま走行して止まりました。炎上する機体には、多くの消防車が放水を始めました。しかし、機体の炎上は収まらず、炎は広がってゆきました。

 この映像をリアルタイムで観ていたわたしは、不安と恐怖感に襲われました。炎は当初は翼とエンジンの周囲に発生していましたが、直ぐに客室に広がってゆきます。ところが、テレビの画像から見える側からは、脱出シューターが出されていませんでした。この航空機には乗客は乗っていないのか。いや、そんなはずはありません。そうだとすれば、乗客は脱出できないまま全員焼け死んでしまうのではないか。わたしたちは今、乗客が航空機の中で煙に巻かれ、炎に焼き尽くされる映像を目の当たりにしているのではないのか。

 わたしの不安を煽るように、航空機を覆う炎は瞬く間に広がってゆきます。能登半島の大地震に続いて、またしても大惨劇が起こってしまう。そう思っていたときに、乗客は全員脱出したという情報が流されました。映像を観ていたわたしは、誤情報なのではないかと一瞬耳を疑いました。

 

乗客乗員379人全員が脱出

 ところが、これは誤報などではありませんでした。日本航空の乗客乗員379人は、一人残らず脱出に成功していました。その時間、着陸後からわずか18分。この短時間に379人が機外に脱出できたのは、実に驚くべき出来事です。

 そんなことが果たして可能なのでしょうか。この間の緊迫した状況が、次第に明らかになってきました。

 タイヤが滑走路に着いた直後、乗客らは、下から突き上げるような揺れと衝撃を感じたといいます。直後に翼の脇から炎があがります。着陸後1分もたたずに煙が漂い始めました。

 衝突直後から、乗務員同士の会話や乗客へのアナウンスに使用する連絡システムが使えなくなりました。そのため、客室乗務員がメガホンと肉声で、「落ち着いてください」「鼻と口を押さえて、低い姿勢になってください」と乗客に呼びかけました。多くの乗客は煙を吸わないように身をかがめましたが、混乱した乗客からは、「早く出せ」「(出口を)開ければいいじゃないですか」と怒声も上がったようです。

 

奇跡の脱出劇

 それでも、客室乗務員の対応は冷静でした。本来は機長の指示を仰がなければならない非常口の開放について、機内最後方の乗務員は自らの判断で開放して乗客を避難させました。また、全部で8カ所の非常口のうち、開放した3カ所以外は火災が確認されたため使えないと判断したといいます。機長らは逃げ遅れがないか1列ごとに確認し、とどまっていた乗客には前方への退避を促しました。

 一方、乗客もパニックに陥らず、落ち着いて指示通りに行動しました。乗客の脱出が完了し、機長らが最後に滑走路に降り立ったのは、着陸から18分後の午後6時5分でした。それからわずか10分後、機体は大きな爆発音とともに激しい炎に包まれたのです。

 極限状況のなかで、迅速で的確な対応をした客室乗務員と、冷静に指示に従った乗客が成し遂げた、まさに奇跡の脱出劇でした。

 

日本人は何に祈りを捧げるのか

 日本には、縄文の昔から「カミ」という信仰の対象がありました。「カミ」は太陽、月、海、山といった自然から、雄大な滝や大きな岩、美しい巨木などさまざまなものに宿っていると考えられました。日本人は自然に特別の力があることを感じ、自然の力を畏敬し、自然の中に存在するあらゆる「カミ」に祈りを捧げてきました。これが神道と呼ばれる、自然崇拝を基本とした日本古来の宗教です。

 飛鳥時代に大陸から仏教が伝えられると、神道にも変化が訪れます。仏教の教義が広まると、「カミ」は「仏」と対比されて「神」となりました。仏教寺院が建てられるようになると、神事を行うための祭壇や小屋であった社(やしろ)は規模が大きくなって立派になり、「神社」と呼ばれるようになりました。

 

自然の畏怖に対する祈り

 日本列島には豊かな自然があり、多くの恵みを与えてくれます。一方で、地震や台風や洪水といった災害が多発する場所でもあります。自然は人知を超えた力を持ち、わたしたちは自然の圧倒的な力の前には余りにも無力な存在です。たからこそわたしたちは、自然の中に「カミ」の存在を感じてきました。そして、「カミ」に祈りを捧げることで、自然の中で生かしていただくことに感謝し、自然の恐ろしい力が自らに及ばないように祈りを捧げるのです。

 今回発生した能登半島地震の被害の全貌が明らかになるにつれ、自然災害の恐ろしさを改めて思い知らされることになりました。自然災害が理不尽であればあるほど、わたしたちにできることは、神社に赴いて手を合わせて祈ることだけです。

 ただ、いったん災害が起こってしまえば、わたしたちは協力し合って災害に対処します。何千年もの昔から、わたしたちの祖先はそうやって自然の災害に向き合ってきました。この一致団結する行動様式こそ、わたしたち日本人に備わる優れた力であると考えられます。

 日航機からの奇跡の脱出劇は、この能力が発揮された結果だと言えるのではないでしょうか。そして、能登半島地震でも、日本人が一致団結して危機を乗り越えることができると信じたいと思います。(了)