沖縄は琉球特別自治区になってしまうのか(1)

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 去る1月25日に、普天間基地辺野古移設への賛否を問う県民投票が、全41市町村で実施される見通しになったと報道されました。移設に賛成、反対の2択しかなことに宜野湾市などの5市が反発していたのですが、「どちらでもない」を加えた3択に修正されたために、この5市が県民投票に参加する意向を示したのです。

 県民投票の結果によって基地移設を阻止することはできませんが、投票によって示される県民の意思を、政府もまったく無視することはできません。玉城デニー知事は、基地移転に反対する県民の意思を示すことで、移転を阻止する世論づくりに利用するつもりなのでしょう。玉城知事は、亡くなった翁長元知事の遺志を継いで、米軍基地移転に徹底的に抵抗を続ける構えを見せています。   

 それにしても、玉城知事をはじめ基地移設反対運動を繰り広げている人々は、何を目指して移設反対を訴えているのでしょうか。今回のブログでは、この点について検討してみたいと思います。

 

沖縄の美しい自然を守るため

 タレントのローラが、「美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの。名前とアドレスを登録するだけでできちゃうから、ホワイトハウスにこの声を届けよう」とインスタグラムで呼びかけたところ、10万を超える署名が集まりました。1ヶ月で10万人の署名が集まれば、アメリカ政府がその内容を検討し、60日以内に何らかの返答をする仕組みがあるため、彼女はこの制度を利用したのです。

 ローラの行動には、批判の声も集まっています。その影響力に比して、彼女に深い政治的思慮があるようにみえなかったからです。わたしも、その点には違和感を感じました。しかし、「美しい自然を守りたい」という一点についてだけ言えば、彼女を非難するつもりはありません。なぜなら、わたしも沖縄の自然に魅了されている一人だからです。それだけでなく、沖縄に触れたことで生まれた発想が、このブログで展開している考察の原点にもなっています。

 

沖縄への旅行が研究の原点

 2001年の10月、わたしは遅い夏休みをとって沖縄にいました。この年の9月11日にアメリカで同時多発テロが起き、3000人近い犠牲者が生じる惨事となりました。アメリカ政府は、アフガニスタンタリバン政権にオサマ・ビンラディンを引き渡すように要求し、これが拒否されると、10月7日にはイギリスと共にタリバン政権への攻撃を開始しました。沖縄の米軍基地がアフガニスタンへの出撃拠点だったこともあり、基地周辺は緊張感に包まれていました。リゾートホテルに向かう道すがら、基地の入り口では車が長い列を作り、テロを警戒した厳しいチェックが行われている様子が窺われました。
 物々しい雰囲気が立ちこめる一方で、いつもと変わらない沖縄の日常も存在していました。現地の人々には浮き足だった様子はまるで感じられず、リゾートホテルには退屈なほど穏やかに流れる時間がありました。青く澄みきった海と空、そして南国特有の明るい日差しが作り出す風景は、そこに到着するまでに感じた重々しい空気と鮮やかなコントラストを成していました。
 ホテルのプライベートビーチの木陰で、わたしはかねてからの愛読書である、岸田秀氏と小室直樹氏の本を読んでいました。わたしが両氏の著作に惹かれるのは、社会を分析する独特の鋭い視点にありますが、それだけでなく、その分析から導かれる未来予測の正しさに感嘆するからです。両氏がかつて説いた社会や文化の分析は、今こうして起こりつつある世界規模の紛争を、見事に予言しているように私には感じられました。なぜ、このような正確な分析が可能なのか。わたしは、その理由の一つが、両氏の理論の根底に存在している精神分析学と宗教社会学にあるのではないかと思い至りました。
 そして、その時ふいに、「精神分析学と宗教社会学によって、統合失調症が理解できるのではないか」という発想がわたしの中に浮かんだのです。

 このときに浮かんだ発想が、わたしの最初の著作の原点になりました。そして、フロイト精神分析マックス・ヴェーバーの宗教社会学を学んだことが、このブログで検討している考察の基盤になっています。

 わたしはこの後も毎年欠かすことなく沖縄を訪れており、沖縄の自然に癒され、または沖縄に触発されながら臨床や研究を続けて今日に至っています。この意味で、わたしも沖縄の美しい自然はできうる限り守ってほしいと願っている一人であることには変わりありません。

 

自然を守ることと基地を移転することは別

 しかしながら、沖縄の自然を守ることと、基地移転を阻止することとは別の問題だと思います。

 辺野古の浜辺を埋め立てて米軍基地を造ることは、自然破壊であることには違いありません。ただ自然破壊というなら、何も米軍基地に限ったことではないでしょう。

 沖縄に空港や港や道路を造ることは自然破壊ですし、工場や商業施設やリゾートホテルを造ることも自然破壊です。住居や農地を造ることでさえ、自然破壊になるでしょう。この中から、米軍基地だけを取り上げて、自然を破壊することになるから阻止しようというのでは一貫性がありません。自然破壊を主眼に据えるなら、米軍基地だけでなく、すべての自然破壊に反対を唱え、これらを阻止する運動をすることが必要になります。

 そうではなく、もし基地移転にだけ自然破壊を主張するなら、そこには他の目的が含まれているとしか考えられません。

 

米軍基地の撤退が目的

 沖縄の自然を守るために辺野古への基地移転を反対するなら、普天間基地を存続させることが一番単純明快です。そうすれば、辺野古の自然はそのまま守られますし、米軍も今まで通り普天間基地を使用することができます。辺野古移転を反対しいている人たちは、このように考えているのでしょうか。もちろん、そうではありません。彼らは、基地を移転させることに反対なだけでなく、普天間基地自体も撤退させたいと考えているはずです。

 普天間基地は住宅地の真ん中にあるため、近隣の住民には常に危険が隣り合わせに存在しています。平成16年8月13日には、沖縄国際大学アメリ海兵隊の大型輸送ヘリが墜落しました。近年でいえば平成29年12月13日に、普天間基地に隣接する市立普天間第二小学校の校庭に大型ヘリの窓が落下し、児童の一人が左手に軽いけがを負いました。このような危険を回避するため、辺野古移転に反対している人たちは、普天間基地の撤退も必要だと主張します。

 さらに彼らは、戦いが起こった際には、米軍基地が存在するために攻撃の対象になるのだという論理を持っています。つまり、米軍基地が存在するから沖縄は戦地になるのであり、沖縄から米軍基地が撤退すれば、沖縄に平和が訪れると考えるのです。 

 

 米軍が撤退すれば平和が訪れるか

 では、沖縄から米軍が撤退すれば、本当に沖縄には平和が訪れるのでしょうか。これをシュミレーションできる、格好の材料があります。

 1991年のピナトゥボ火山の大噴火によって米軍基地が被災し、これを契機にフィリピン、アメリカ両政府は基地協定を延長せず、在比米軍の撤退が決定されました。まずクラーク空軍基地から撤収が始められ、1992年にスービック海軍基地からも撤収し、フィリピンにおけるアメリカの軍事的な影響力は著しく減少しました。さらに1995年以降、アメリカとフィリピンの共同軍事演習が取りやめとなりました。
 この米軍撤収の直後から、中国と東南アジア各国が領有を主張する南沙諸島スプラトリー諸島)において、中国人民解放軍の活動が活発化します。この動きをみてアメリカ政府は、1998年に訪問米軍に関する地位協定をフィリピンと締結し、さらに1999年に共同軍事演習を再開しました。
 それにもかかわらず中国は、2014年からフィリピンが領有権を主張する環礁の埋め立てを始めました。これに対してフィリピンは、南シナ海に対する中国の領有権主張や人工島の建設などが国際法に違反するとして、中国を相手に提訴に踏み切りました。2016年7月にオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は、フィリピンの訴えを全面的に認め、中国の主張には法的根拠がないという判断を下しました。ところが中国は、この判決に対して「仲裁法廷の判決は無効で、拘束力がない」と反発し、その後も南沙諸島の埋め立て地で、滑走路や港湾施設の建設といったインフラ整備を公然と進めています。
 以上の経緯によって、領土問題を決定しているのは相変わらず軍事力であることが明確に示されました。同じことが日本で起きないとは言いきれません。沖縄から米軍が撤退すれば、尖閣諸島を端緒として、同様のことが次々と起こる可能性は充分に考えられるでしょう。

 

中国は沖縄を琉球特別自治区にする

 中国が沖縄を支配下に置こうとしていると危惧することは、決して被害妄想ではありません。

 2010年12月に、「中華民族琉球特別自治区援助準備委員会」が成立したという公告が中国国内の新聞や雑誌に掲載されました。2012年には「援助」の文字がとれ、「中華民族琉球特別自治区準備委員会」となりました。琉球特別自治区準備委員会は、「琉球集団」という企業グループを作って、すでにさまざまな経済活動を始めているといいます。

 その最終的な目的は、沖縄を中国の特別自治区にすることです。つまり、沖縄を日本から独立させ、沖縄の政治・経済・文化すべてを中国の影響下において支配することです。

 中国は台湾だけでなく、沖縄も自分たちの領土であると主張しています。その根拠は、琉球国が明朝時代に柵封体制に入り、清朝に至るまで中国とは君臣関係にあったことです(1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入ってはいましたが)。中国が沖縄のことを琉球と呼んでいるのはそのためです。

 中国は隙あらばと、「沖縄が琉球に戻ること」を目論んでいます。米軍基地の撤退が中国の沖縄支配の第一歩となりかねないという事実は、決して忘れてはならないでしょう。(続く)