安倍政権はなぜ歴代最長になったのか(番外編)『Fukushima 50』からみえること ① 

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 中空均衡構造型の社会では、指導者が全体の調和を優先します。そのため、今回の新型コロナウィルス感染のような危機的状況が生じた際に、指導者が強力な指導力を発揮することが難しいという特徴があります。しかしその一方で、中空均衡構造では、社会に存在するそれぞれの組織が責任をもって問題の解決を図ろうとするため、民間レベルでは多くの結果を生み出します。こうした日本独特の社会構造の特徴が働いて、わたしは今回の感染拡大は、他国に比べて抑制されるだろうと予想しました。

 果たしてこの予想は正しいでしょうか。実は、そのことを検証するための格好の題材が存在します。それが、3月6日に公開された映画『Fukushima 50』です。

 今回のブログでは、「安倍政権はなぜ歴代最長になったのか」から少し離れて、『Fukushima 50』からみえる日本社会の優れた側面について検討したいと思います。

 

未曽有の国難であった福島原発事故

 2011年3月11日の午後2時46分に、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最悪の地震が発生しました。太平洋から押し寄せた未曾有の大津波が、福島第一原発を襲いました。10メートルを想定していた防波堤は楽々と突破され、福島第一原発津波によって浸水しました。その結果、燃料タンクが破壊されて非常用発電機が停止し、原子炉を冷却する装置が稼働しなくなりました。

 こうして福島第一原発は、全電源が喪失し、原子炉を冷却するための注水ができなくなりました。高温になった燃料棒を覆う金属が周囲の水蒸気に触れ、大量の水素を発生させました。原子炉建屋に充満した水素が空気中の酸素に触れて水素爆発を起こし、1号機と3号機、4号機の建屋が吹っ飛びました。

 さらに冷却機能を失った原子炉では核燃料が暴走を始め、核燃料ペレットが原子炉圧力容器の底に落ちる炉心溶融メルトダウン)が始まりました。このままでは、原子炉格納容器が爆発しかねない状況でした。そうなれば核燃料はすべて原発建屋から放出され、放射性物質は福島だけでなく東日本全体に飛散してしまうことになります。

 当時の福島原発では、日本列島の半分の地域が壊滅してしまうような絶望的な危機的状況が、まさに刻一刻と迫っていたのです。

 

リーダーは何をするべきか

 こうした未曾有の事態が起こった際に、リーダーに求められるものとは何でしょうか。

 それは何よりもまず、周囲の者に安心感を与えることだと考えられます。

 誰も経験したことのない危機的な状況が発生した際には、人は誰もパニックを起こします。パニックを起こした人々は正常な判断ができないため、正しい対応をとれなくなります。それがさらに危機的な状況を悪化させるという悪循環が生じます。この悪循環を生じさせないため、リーダーには周囲の人々に安心感を与えることが何よりも求められるのです。

 もちろん、強大な指導力を発揮して、人々を正しい方向に導くこともリーダーには求められるでしょう。しかし、それも周りに安心感を与えることができてこそ可能なことです。人々がパニックに陥っていては、正しい指示を下しても正しく実践することができないからです。 

 むしろ、リーダーに専門的な知識が無い場合は、正しい判断ができなくても構わないとさえ言えます。その際には、専門的な知識を持った部下に全面的に対応を任せ、責任は全部自分が取ると表明すればいいのです。そうすれば任された部下は、安心して正しい対応を実践することができるでしょう。

 ところが、これと正反対の対応を行ったリーダーがいます。それが震災当時の内閣総理大臣であった菅直人氏です。

 

官邸は何を行ったか

 格納容器の破裂を避けるためには、原子炉炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げるベント作業を実施することが必要です(ベントとは元来、蒸気などを抜くための通気孔の意味です)。放射性物質が含まれた気体が建屋外に放出される問題点がありますが、ベントが行われなければ、原子炉格納容器内の圧力が異常に上昇し、格納容器自体が爆発する危険があります。そのため、ベントは何が何でも行われなければならない作業でした。

 ベントがなかなか進まないことに、当時の菅直人総理は苛立っていました。現地の状況が十分に把握できないことに業を煮やした菅総理は、あろうことか事故現場の福島第一原発を直接訪れ、自身が現場を視察しました。

 原発事故だけでなく、津波で被害を受けた東北全地域に対する指揮をとらなければいけない一国のリーダーが、もっとも危険な場所の一つである原発事故現場を訪れることは、絶対にあってはならないことです。菅総理の身にもしものことがあれば、いったい誰が政治の指揮を採ればいいのでしょうか。

 

苛立っていた菅総理

 では、菅直人総理はなぜ危険を押してまで現地に飛んだのでしょうか。

 門田隆将氏の『死の淵を見た男 吉田昌朗と福島第一原発の五〇〇日』1)によれば、菅氏は当時の状況について、以下のように述べています。

 

 「東電はあの時、窓口として武黒氏(注=東京電力の武黒一郎フェロー)を官邸に送ってきていた。(中略)当然、こちらは、原発の状況についていろいろ聞く。しかし、彼は、説明ができないんですよ。(中略)

 自らベントをやると言っているのに、それが進まない。その理由を聞いても答えられない。それは、彼自身が情報を伝えられていなくて、情報そのものがないんだ。本店はわかっているはずなのに、なんで、武黒氏のところに伝えないのか。説明がなきゃ、〝おい、どうなっている〟っていうのは、当たり前じゃないの。だから、(現地で)武藤氏に会った時に。直接、どうなっているんだ? ってきいたわけなんです」(『死の淵を見た男 吉田昌朗と福島第一原発の五〇〇日』157頁)

 

 このように菅総理は、情報が上がってこないから、情報を得るために直接現地に飛んだと主張します。

 そして、菅総理は現地で対応に当たった東電副社長の武藤栄氏に会うなり、

「なんでベントをやらないんだ!」と怒鳴ったというのです。

 福島第一原発に向かうヘリコプターの中から、菅総理は"イラ菅"と称される本領を発揮し、部下たちを怒鳴りまくっていたと言います。現地に到着した後も菅総理は、苛立ちを抑えられずにいました。

 

不安を解消するために現地に飛んだ

 菅直人総理の苛立ちを抑えたのは、吉田昌郎(まさお)所長でした。

 それは、菅氏自身も認めています。

 

 「吉田さんには、私はあの時、初めて会いました。(中略)吉田所長の言うことは、非常にはっきりしていたよ。〝やろうと思って、こうやっています〟と。短時間だけど、少なくとも、こうやってこうやって、やろうとしています、とね。それでいいじゃないの。それ以上専門的なことは、こっちは、わかるわけがない。それまでに、そういう説明をする者が、誰もいなかった。私としては、それで納得できたから、よかったと思って、帰ったわけだ」(『死の淵を見た男 吉田昌朗と福島第一原発の五〇〇日』157‐158頁)

 

 菅総理が納得する説明をできる者が誰もいなかった。それで菅総理は現地に飛んだ。そして、直接吉田所長に説明を受けて菅氏は納得し、東京に戻った。

 つまり、菅総理は自らの不安を解消するために現地に飛んだのであり、現地で吉田所長に会って不安を解消し、安心して官邸に戻ったのです。

 これでは、どちらがリーダーの役割を果たしたのか分からないと言えるのではないででしょうか。

 

撤退などあり得ないという演説 

 さらに菅直人総理は、リーダーとしてあってはならない行動をとります。

 制御に必要な人間を除いて撤退したいという意向を、「東京電力が福島第一から全員撤退したいと思っている」と曲解した菅総理は、直接東電に乗り込み、非常対策室の面々を前に、突然10分間にわたる演説をぶちます。

 その中で菅総理は、

 

「事故の被害は甚大だ。このままでは日本国は滅亡だ。撤退などあり得ない!命がけでやれ」

「撤退したら、東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げきれないぞ!」

「六十になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ!俺も行く。社長も会長も覚悟を決めてやれ!」

 

 と、激しい口調で東電幹部を叱責しました。

 この演説は、テレビ会議の映像を通じて、福島第一、第二原発、現地対策本部のある大熊町のオフサイトセンターにも同時中継されていました。

 現地で死を覚悟して働いていた東電職員には、この映像はどのように映ったのでしょうか。

 現地では、東電がつぶれるかどうかを気にしている者は誰もいなかったでしょう。会社がつぶれるかどうかなどという卑近な動機では、過酷な現場にはとても立ち向かえなかったからです。そして、現場から逃げようとか、撤退しようと表明してた人間も、この時点ではほとんどいなかったであろうと思われます。

 もちろん、迫りくる危機への恐怖感から、逃げ出したいと感じていた人はいたでしょう。しかし、彼らは、ふるさとへの、さらに日本に対する責任感から、そうした恐怖感と懸命に闘っていたのです。

 こうした状況において、「命がけでやれ」「撤退したら東電は百パーセントつぶれる」「逃げてみたって逃げきれないぞ」と恫喝することは、すでに命がけで危機に対応している人たちから意欲を奪うだけでなく、虚しい気持ちにさせるだけだったでしょう。

 「六十になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ!俺も行く」と言われても、救われることは何もありません。なぜなら、彼らが現地に来たとしても、足手まといになるだけだからです。

 

 国のリーダーがこのようなあり得ない対応を行った場合は、未曽有の災害は最悪の結果をもたらすことに繋がります。通常は、それ以外の結末は考えられません。

 しかし、日本では違いました。菅総理が適切な対応をとらなかっただけでなく、これほどの失態を行ったにもかかわらず、福島原発は最悪の結末には至りませんでした。その理由を、次回のブログで検討してみましょう。(続く)

 

 

文献

1) 門田隆将:死の淵を見た男 吉田昌朗と福島第一原発の五〇〇日.PHP研究所,東京,2012.