日本政府はなぜ危険なワクチンを買い続けているのか(11)

 日本は憲法九条を堅持し、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄しているため、自らの力で他国の侵略から国土と国民を守ることはできません。

 そのため、日本政府はアメリカ軍に基地を提供して駐留費を払い、日本を守ってもらっています。それだけでなく、アメリカから多額の軍事装備品を購入し、アメリカの軍需産業に多大な貢献をしています。

 日本政府がアメリカの製薬会社から6億回分以上のmRNAワクチンの契約を行い、延べブースタ接種率で世界一を独走しているのは、これと同様の構造があるのではないでしょうか。

 今回のブログでは、日本政府が国民の健康を害してまでワクチンを購入しようとする理由について、心理的な側面から分析したいと思います。

 

アメリカの占領政策

 ことの発端は、先の大戦にまで遡ります。

 敗戦によって日本は、GHQ連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に置かれることになりました。GHQによる日本の占領は、1945年から6年8ヶ月に渡って続けられました。この間に日本は、まず軍事機構と国家警察を解体され、極東国際軍事裁判所で東条英機A級戦犯28名が戦争責任を問われて刑に処されました。並行して憲法改正が行われ、GHQの原案をもとに日本国憲法が制定されます。この新たな憲法は、主権在民象徴天皇制戦争放棄基本的人権の尊重など、明治憲法の内容を一新したものでした。
 新憲法のもとで政治の民主化が図られ、続いて資本財閥の解体、そして農地改革が行われました。内政は日本政府が担ったもののGHQの影響下に置かれ、日本政府は外交権すら持てませんでした。

 このように日本は、アメリカから完全に支配され、統治されていたのです。

 

WGIPとは

 GHQの占領は、実に巧みに行われました。それは如実に現れているのが、GHQによって行われたWGIP(ウォーギルト・インフォメーション・プログラム)です。

 WGIPについて、作家の江藤淳氏は、『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』1)の中で次のように指摘します。

 

 「『太平洋戦争史』と題されたCI&E(民間情報教育局)製作の宣伝文書は、日本の学校教育の現場深くにまで浸透させられることになったのである。

 それは、とりもなおさず、『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』の浸透であった。『太平洋戦争史』は、まさにその『プログラム』の嚆矢として作成された文書にほかならないからである。(中略)そこにはまず、『日本の軍国主義者』と『国民』とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった『軍国主義者』と『国民』とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」(『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』270頁)

 

 そして、このプログラム目的は次のようであったと江藤氏は指摘します。

 

 「『軍国主義者』と『国民』の対立という架空の図式を導入することによって、『国民』に対する『罪』を犯したのも、『現在および将来の日本の苦難と窮乏』も、すべて『軍国主義者』の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、『軍国主義者』が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落とした米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」(『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』270‐271頁)

 

 こうしてGHQは、「『国民』に対する『罪』を犯したのも、『現在および将来の日本の苦難と窮乏』も、すべて『軍国主義者』の責任であって、米国には何らの責任もない」という教育を、国民に対して行おうとしたと言うのです。

 

GHQは何を覆い隠そうとしたのか

 では、GHQはすべての責任を「軍国主義者」に転嫁することによって、何を覆い隠そうとしたのでしょうか。江藤氏は、それが大都市の無差別爆撃や、広島・長崎への原爆投下だと指摘します

 無差別爆撃は、日本に対しては徹底して行われました。1945年3月10日にアメリカ空軍によって行われた東京大空襲では、26万戸以上の家屋が焼失し、10万人もの犠牲者を出しました。日本家屋が燃えやすい木造住宅であることを計算したうえで、多量の焼夷弾が使用されました。
 アメリカ軍による空襲は、終戦までに中小都市を含む206都市に及びました。全国で26万人の死者と42万人の負傷者を出しましたが、その大部分が非戦闘員でした。さらに、空襲によって、日本の各都市は廃墟と化しました。

 無差別爆撃の極致が、原爆の投下でした。アメリカ空軍は、1945年8月6日に広島に、続いて8月9日に長崎に相次いで原爆を投下しました。原爆によって両都市は破壊し尽くされ、36万人もの一般市民が犠牲となりました(原爆による死者は、広島市で24万人以上、長崎市で12万人以上と推定されています)。すでに日本の敗戦が決定的であったこの時期に、2発もの原爆投下をおこなったことを、アメリカは「戦争を早く終結させ、本土上陸が行われた場合に予想されるアメリカ人兵士の犠牲を避けるために必要であった」と正当化しました。

 以上のような一般民間人の大量虐殺は、どのような正当化を行おうとも明らかな戦争犯罪であると言えるでしょう。こうした不都合な真実に日本人が目を向けないように、GHQは戦争の責任はすべて日本の「軍国主義者」にあり、日本国民は「軍国主義者」が起こした戦争の犠牲者であるという構図を創り上げたのです。

 

WGIPが日本に与えた影響

 このような目的で行われたWGIPは、学校教育だけでなく、ラジオや新聞で繰り返し伝えられましたが、当初はそれほど大きな効果を上げることはありませんでした。WGIPGHQが直接、間接に関与したことであり、占領政策の一環であることが日本国民からは明らかだったからです。

 しかし、このプログラムに影響された日本人が、自らの意見として発信するようになると、その効果は無視できないものになって行きます。

 江藤氏は次のように続けます。

 

 「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから」(『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』271頁)

 

 「軍国主義者」と「国民」との対立という図式を現実と錯覚、あるいは錯覚したふりをする日本人は、実際に出現しました。彼らは「軍国主義者」が日本国民を戦争に巻き込み、日本に歴史上最大の惨禍をもたらしたと信じました。

 なぜ彼らは、WGIPに示された「軍国主義者」と「国民」との対立という図式をやすやすと信じてしまったのでしょうか。それは、その方が彼らにとって都合がいいからです。

 

現実を否認する人たち

 大東亜戦争は、一部の軍国主義者が、国民を騙して引きずり込んだ戦争ではありません。日本社会の中に「満州国を死守すべし」「大東亜共栄圏を確立すべし」「不遜なる英米を討つべし」といった空気が充満し、この空気に引きずられる形で、軍部が戦線を拡大していったという側面が存在します(その詳細は、2018年5月のブログ『日本はなぜアジアに侵攻したのか』、同5月『日本はなぜ超大国アメリカと戦ったのか』をご参照ください)。

 つまり、「軍国主義者」と「国民」は対立するどころか一体となって戦争を行い、それだけでなく「国民」によって創られた空気に、「軍国主義者」たちが抗しきれなかったために無謀な戦争に突入していったという側面があったのです。

 こうした現実から目を背け、一部の「軍国主義者」に戦争の責任を転嫁しておけば、自分たちは責任を免れられるばかりか、被害者として同情を得ることすらできるでしょう。

 大東亜戦争は、一部の「軍国主義者」が起こした狂信的な戦争である。われわれは無理やり戦争に引きずり込まれたのであり、本来は平和を愛する「国民」であるという構図は、一部の人々にとっては、敗戦で打ちひしがれた心の拠り所として利用されました。

  

WGIP平和憲法を利用した

 さらに彼らは、別のものも利用するようになります。それが、GHQが原案を作った日本国憲法です。戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認を謳った憲法第9条を利用して、彼らは独特の平和思想を構築するに至ります。

 その思想の要旨は、次のようです。

 

・戦後77年以上にわたって戦争がなかったのは日本が平和憲法を有するからであり、平和憲法の存在によって、日本は戦争を起こすことも戦争に巻き込まれることもなかったのである。

日米安保は日本を戦争に巻きこむものであるから反対であり、米軍基地は日本から撤退させるべきである。

 

 こうした主張をする文化人や学者は、今も数多く存在します。彼らは戦争だけでなく軍事に関するものをすべて嫌悪する一方で、平和を愛し、平和を唱え続けることで世界に平和が訪れると信じています。

 しかし、日本が他国から攻め込まれないのは、日本に世界最強の軍隊である米軍が駐留しているからです。米軍が存在しなければ、中国軍は明日にも尖閣諸島に侵攻してくるかも知れません。この現実は、日本がアメリカの占領から完全に独立していないことを意味しており、それは日本人の自尊心を揺さぶる事実でもあります。

 このような厳然とした現実がみえていないこと、言い換えれば不都合な現実を否認して、非現実的な理想論を主張して自尊心を守ろうとする姿勢が、空想的な平和主義を主張する人々の特徴であると言えるでしょう。

 

平和主義者のコロナ政策

 空想的な平和主義を唱える人たちは、今回の新型コロナ感染症に対しては、どのような態度をとったでしょうか。

 彼らは不都合な現実を否認し、非現実的な理想論を主張するという行動様式を示します。そのため、新型コロナ感染症の現実を見ずに、ひたすら理想論に終始するという特徴があります。彼らは、次のような主張を声高に繰り返しました。

 感染が拡大した際には、国民全員にPCR検査を行って陽性者を隔離すれば、新型コロナ感染症の拡大は阻止できると主張しました。いわゆる「ゼロ・コロナ政策」を唱えた人たちです。彼らは、PCR検査を徹底しさえすればいいというPCR検査の信奉者で、「PCR真理教」と呼べるような教義をもっていました。その影響を受けて、PCR検査を受けようとする人たちで医療現場は混乱し、不必要な行動制限のために経済活動は停滞を続けました。

 また、ワクチンが登場してからは、ワクチンを接種しさえすれば新型コロナ感染症は終息する、兎にも角にもワクチン接種が第一であるという「ワクチン真理教」に転じました。その結果、ワクチン接種を繰り返すことによって却って感染は拡大し、コロナ死だけでなく、超過死亡数の異常な増加を招いています。

 空想的平和主義を唱える人たちは、野党だけでなくマスコミ関係にも多く存在するため、その影響力は極めて大きく、日本のワクチン行政を大きく歪めることになりました。

 

 その一方で、先の大戦が「軍国主義者」の暴走によって起こされたのだというGHQの洗脳を受け入れていないにも拘わらず、表面上はそう信じているかのように振る舞っている人たちが存在します。

 彼らの末裔こそ、今回のワクチン行政を主導した首謀者であると考えられますが、その問題点については、次回のブログで検討することにしましよう。(続く)

 

 

文献

1)江藤 淳:閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本.文藝春秋,東京,1994.