井上尚弥選手、4階級制覇おめでとう!

 

 去る7月25日に、WBCWBO世界スーパーバンタム級世界王者タイトルマッチが行われ、挑戦者の井上尚弥選手が、スティーブン・フルトン選手を8ラウンドTKOで破って新チャンピオンなりました。

 井上尚弥選手は、昨年の12月13日にポール・バトラー選手を破り、アジア人として初めてバンタム級4団体の王座を統一しました。今回の世界戦は、バンタム級のベルトをすべて返上し、スーパーバンタム級に階級を上げて最初の試合でした。その試合で、21戦無敗の王者にいきなりKO勝ちしてしまうのですから、驚嘆すべき偉業を達成したと言えるでしょう。

 今回のブログでは、この偉業を果たした井上尚弥選手について、わたしなりに熱く語ってみたいと思います。

 

150年に一人の天才を恐れさせた

 「同じ時代に井上がいなくて良かった」

 この言葉は、井上尚弥選手が所属するボクシングジムの会長である、大橋秀行氏の言葉です。大橋会長と言えば、記者会見で井上選手の横に座っている丸顔で小太りのおじさん(失礼!)ですが、現役当時はストロー級ミニマム級で世界王者に輝き、「150年に一人の天才」と謳われた名ボクサーでした。その大橋会長が、自分が現役のときに井上選手がいなくて良かった、つまり井上選手が同時代にいたら、自分はとてもかなわなかっただろうと語ったのです。

 ちなみに「150年に一人の天才」と言ったのは、大橋選手が所属したヨネクラジムの米倉会長ですが、米倉会長が「150年に一人の天才」と表現したのには理由があります。それまでに日本には、WBA世界ライトフライ級王者を13度連続で防衛した具志堅用高という偉大な選手がいました(今ではバラエティーでおなじみの面白いおじさんですが、当時のボクシングファンにとっては、具志堅用高は真のスーパーヒーローでした)。その具志堅選手が「100年に一人の天才」と言われていたため、米倉会長は「具志堅を超える天才」という意味で、大橋選手を「150年に一人の天才」と呼んだのです。

 現役時代に「150年に一人の天才」と言われた大橋会長が、「同じ時代に井上がいなくて良かった」と言わしめる井上尚弥とはどんな選手なのか。しかも、この言葉が発せられたのは、井上選手が大橋ジムに入って未だ間もない頃、確か日本チャンピオンにもなっていない頃だったと記憶しています。

 大橋会長がこれほど評価する井上選手とは、どれ程凄いボクサーなのか。わたしは当時から、井上選手に注目していました。

 

14年間の無敗の王者と対戦

 大橋会長の眼力は間違っていませんでした。井上選手は、わずかプロ6戦目でWBC世界ライトフライ級王者になりました。これは、当時の日本最速での世界王者奪取です。

 ライトフライ級を一度防衛した後、井上選手は2階級上のスーパーフライ級タイトルマッチに挑みます。このときの対戦相手が、WBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエス選手でした。

 

 

 なんとなく俳優の川谷拓三さんに似たナルバエス選手は、実はとんでもない選手でした。フライ級世界王座を16連続防衛、WBO世界スーパーフライ級王座を11連続防衛中で、プロ・アマ通じて20年以上150戦超のキャリアで一度もダウンを喫したことのない戦績を誇っていました。唯一のプロでの敗戦は、1階級上のバンタム級でノニト・ドネア選手に判定負けしたのみで、スーパーフライ級以下ではなんと14年間無敗を誇った伝説の絶対王者だったのです。

 

絶対王者を粉砕

 絶対王者にいきなり挑戦することに、いくらなんでも時期尚早ではという声もあるなかで、井上選手はナルバエス選手を圧倒しました。

 1ラウンドから試合は動きます。開始25秒に井上の右ストレートが、ナルバエスのガードを破って頭部にヒットし、いきなりダウンを奪います(このとき井上選手は右拳を脱臼していました)。ナルバエスは立ち上がりましたが、今後は左フックが頭部をかすめて二度目のダウンを奪われます。立ち上がったナルバエスは、老獪なデフェンスのテクニックを駆使して1ラウンドをなんとか乗り切りました。

 2ラウンドに入っても、井上の猛攻は続きます。ナルバエスの右のフックを上体のスウェーでかわした井上は、左フックをカウンターで合わせて3度目のダウンを奪います。それでも立ち上がったナルバエスに、今度は左のボディーアッパーを打ち込みました。痛みをかみしめるようにして倒れたチャンピオンは、もう立ち上がることができませんした。

 井上選手は、プロ・アマ通じて20年以上150戦超のキャリアで一度もダウンを喫したことのない伝説のチャンピオンから計4度のダウンを奪い、わずか2ラウンドでKO勝ちを収めました。

 ナルバエス陣営は、そのあまりの衝撃的なパンチ力に疑念を抱き、グローブに何か仕込んでいないかの確認を要求しました。もちろん何の不正も認められませんでしたが、井上選手のパンチ力は、それほど常軌を逸していたのです。

 

 この試合では、ナルバエス選手のセコンドに9歳の長男が同行していました。試合開始前には、誇らしげにナルバエス選手のチャンピオンベルトを掲げるジュニアの姿が映し出されました。わずか数分後に、父親にこのような惨劇が訪れようとは思いもよらなかったでしょう。

 

 

 泣き崩れるジュニア・ナルバエスの姿を見て、ボクシングはなんて残酷なスポーツなんだと思わされました。

 しかし、ジュニア・ナルバエスは今、父と二人三脚でオリンピック・チャンピオンを目指しているといいます。やがて彼が『がんばれ元気』のように、プロになって井上尚弥選手に挑戦する日が来るのを心待ちにしています。

 

バンタム級でも相手を圧倒

 井上尚弥選手は階級を上げるたびに、そのパンチ力を増しました。バンタム級に階級を上げた初戦である、WBA世界バンタム級レギュラー王者ジェイミー・マクドネル選手との対戦では、1ラウンドTKO勝ちでベルトを奪取しました。身長差で10cm、リーチ差で12cm上回っているマクドネル選手に対して、一方的に「たこ殴り」をしてマットに沈めた井上選手のパンチ力は、観ている者をも圧倒しました。

 WBSS(World Boxing Surper Series)に参加した井上選手は、各団体のトップ選手に対しても圧倒的なパフォーマンスを示します。WBSSの1回戦のファン・カルロス・パヤノ選手との試合では、1ラウンドの最初のワンツー(!)でパヤノ選手をマットに沈めました。わずか1分10秒でKO勝ちした相手が、決して弱かったわけではありません。パヤノ選手は、元WBA世界バンタム級スーパー王者であり、8年間のプロキャリで一度のダウンも喫したことがない選手でした。

 WBSS準決勝では、IBF世界バンタム級王者エマヌエル・ロドリゲスと対戦しました。無敗の王者同士の対決で、この試合は事実上の決勝戦と目されていましたが、井上選手が2ラウンドに3回ダウンを奪い、2ラウンド1分19秒でTKO勝ちを収めて圧倒しました。

 こうして井上選手はWBSSの決勝戦に進み、ノニト・ドネア選手と対戦することになったのです。

 

ノニト・ドネアとの死闘

 ノニト・ドネア選手は世界5階級制覇王者で、アジア人として初めて主要4団体(WBAWBCIBFWBO)全てで世界王者となったフィリピンの英雄です。その鋭いパンチと週敏なフットワークから、「フィリピンの閃光」と称されていました。

 この試合で井上は、2ラウンドにドネアの左フックを浴び、プロになって初めて右目上部をカットします。

 

 

 このパンチのよって井上は、右眼窩底と鼻骨を骨折していたことが後に判明します。右目がぼやけてドネアが二重に見える状態に陥り、この後の戦いは苦戦を強いられます。9ランドにはドネアの右ストレートあびて一瞬ぐらつき、井上はクリンチをして懸命にこらえます。後にも先にも、井上がKO負けを避けようとしてクリンチする姿を初めて見ました。それほど井上は追い詰められていたのです。

 しかし、これで終わらないのが井上の真骨頂です。態勢を立て直した井上は、11ラウンドに左ボディをドネアに突き刺します。ドネアは下がるように歩いてから膝をついてダウンを喫しました。結局試合は判定にまでもつれましたが、井上が3-0の判定でドネアを下し、WBSSバンタム級初代王者に輝きました。

 この試合は、後世に語り継がれるべき井上選手の最高試合の一つだと言えるでしょう。

 

世紀の一戦を楽しむ

 この試合で、12ラウンドが終わって井上選手がコーナーに帰ってきたときの言葉に、わたしは耳を疑いました。井上選手が発した言葉が、「楽しかったー」だったからです。

 井上選手がこれほど追い詰められ、苦戦した試合は初めてでした。それなのに、試合終了直後の第一声で「楽しい」と言ったことに、わたしは本当に驚きました。

 井上選手は、試合の前日にはなかなか寝つけないそうです。ボクサーが試合前日になかなか寝つけないのは、よくあることだと言います。それは、試合への不安や恐怖感からです。試合に向かう際には、「死刑場に向かうような気持ちだ」と語るボクサーもいるほどです。

 井上選手が寝られないのは、こうした理由からではありません。「ワクワクして寝られない」のだそうです。このエピソードは元3階級世界王者の長谷川穂積氏が解説で語っていたのですが、井上選手にとっては、最強のボクサーと対戦する世界タイトルマッチが、わたしたちが楽しみで寝られなかった「小学校の頃の遠足」と変わらないのかも知れません。

 

スーパーバンタムでの初戦が2団体統一戦

 井上尚弥選手はノニト・ドネア選手との再戦にわずか2ラウンドでTKO勝ちすると、ポール・バトラー選手にも11ラウンドTKO勝ちを果たして、アジア人として初めてバンタム級の4団体王座統一を果たしました。そして、スーパーバンタム級に階級をあげて望んだのが、先日行われた2団体統一スーパーバンタム級世界タイトルマッチだったのです。

 通常は階級をあげて、いきなり世界戦を組むことはありません。1,2試合は上位ランカーと戦って身体を慣らし、満を持してチャンピオンに挑戦します。ところが井上選手は、階級を上げるたびに世界チャンピオンと対戦し、ことごとくKO勝ちを収めてきました。今回もその例に漏れず、スーパーバンタム級での初戦が世界タイトルマッチでした。

 しかも、対戦したのがWBCWBO世界スーパーバンタム級世界王者スティーブン・フルトン選手だったことも注目を集めました。フルトン選手は21戦無敗の2団体統一チャンピオンで、世界タイトル戦も4戦全勝の戦績を収めていました。KO勝利こそ8試合と少ないものの、抜群のデフェンステクニックを誇り、プロ入り後に一度もダウンを喫したことがありませんでした。さらに、フルトン選手はスーパーバンタム級としては大柄で、一つ上のフェザー級への転向が噂されていました。

 スーパーバンタム級最強の呼び声が高い、しかもボクサータイプのフルトン選手に、バンタム級から上がってきた井上選手が本当に通用するのか。これが、この試合の最大の注目点でした。

 

パワーだけでなくスピードでも圧倒

 試合が始まると、そこにはいつもの見慣れた光景が現れました。井上は、1ラウンドからスピードとパワーでフルトンを圧倒しました。スーパーバンタムに階級を上げた井上は、パワーが増しただけでなく、スピードも磨かれていました。ビルドアップされた肉体は、フルトンよりも大きくさえ見えました。

 減量という楔から解き放たれた井上は、リング上を自由に躍動しました。フルトンに対して左ジャブから左右の連打を浴びせ、これに時折左ボディーを織り交ぜました。相手が打ってこないとみるや、渾身の右ストレートを放ちます。

 フルトンはさすがのデフェンステクニックで、井上の強打をきっちりとブロックしました。ただ、パワーの見劣りは誰の目にも明らかで、試合をコントロールして判定に持ち込む戦略であることが見て取れました。

 

反撃に出るフルトン 

 5ラウンドに入ると試合が動きます。フルトンがジャブを連打して前に出るようになります。中盤には、フルトンの右ストレートが井上の顔にクリーンヒットします。これを見て、「フルトンが井上のパワーとスピードに慣れてきた」と語る解説者もいました。

 6ラウンドに入ると、ジャブの突き合いから井上は左フック、右ストレート、左アッパーを繰り出します。終盤には井上の連打がヒットして、フルトンはバランスを崩しました。

 7ラウンドはフルトンがじわじわと前に出ます。中盤にはフルトンの右が井上の顔面にヒットします。終盤には井上がフルトンをロープに追い詰めて連打しますが、フルトンは絶妙なテクニックでブロックします。ゴング間際にフルトンのフックが当たったこともあって、このラウンドはフルトン有利と見た解説者もいました。

 フルトン選手のパンチはタイミングを計って当てるタイプのもので、決して効いているようには見えません。ただ、こうしてポイントを稼ぎ、最終的に勝利をもぎ取ろうとする戦略に、井上が巻き込まれてはいないか。わたしは、一抹の不安を覚えました。

 

全ては計算されていた

 わたしの不安は、杞憂に終わりました。

 8ランドに井上は、フルトンをマットに沈めてこの試合を終わらせました。壮絶なKOシーンを生んだ最初のパンチが、左のボディージャブに続く、ノーモーションの右ストレートでした。

 

 

 渾身の右ストレートでフルトンは大きくぐらつき、倒れそうになるフルトンに井上の左フックが炸裂します。かろうじて立ち上がったフルトンでしたが、井上がコーナーに詰めて猛打を浴びせ、レフェリーが試合をストップしました。

 実に鮮やかなTKO勝ちでした。

 

 この劇的なKOは、偶然の産物ではありません。井上選手は1ラウンドから、左のボディージャブを繰り返し打ち続けました。そして、力任せに見える右ストレートも時折放ちました。

 5ラウンドからフルトン選手が前に出るように見えたのも、井上選手によれば、「フルトンを前に出すためにパワーを落とした」のだと言います。

 これらはすべて、8ラウンドの右ストレートに繋げるための伏線でした。反転攻勢を目論んでいたフルトン選手は、井上選手の左ボディージャブを防ぐことに意識を向けすぎ、ノーモーションの右ストレートが見えなかったのです。

 井上尚弥、何というスマートな選手なのでしょうか。

 

最後に老婆心ながら一言

 フルトン戦に圧倒的な勝利を収めた井上尚弥選手は、世界のボクシング関係者、そして世界中のボクシングファンから絶賛されています。

 わたし個人も、井上尚弥選手には「4階級制覇おめでとう、そして本物の感動をありがとう」という言葉を贈りたいと思います。

 ただ、老婆心ながら、一言だけ苦言を呈したいと思います。それは井上選手が、敗者のフルトン選手をリング上で称えなかったことです。井上選手とフルトン選手は、試合終了後に握手することも、抱擁することもなく、お互いを称え合うこともありませんでした。

 わたしには分からない、何らかの事情があったのかも知れません。もしくは井上選手にアドレナリンが出過ぎていて、単に握手を忘れただけなのかも知れません。

 しかし、礼に始まり礼に終わるのが日本の武道の基本です。剣道でも柔道でも空手でも、相撲でもそれは変わりません。

 先のブログで紹介したように、鎌倉時代の第8代執権である北条時宗は、モンゴル帝国から日本を守るという世界史的な偉業を成し遂げただけでなく、蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うために円覚寺の建立を発願しました。北条時宗は、戦ったあとは相手にも礼を尽くす、そして敵の魂でさえも鎮魂するという、日本に伝わる和の文化を象徴する精神の持ち主でした。

 

 井上尚弥選手は、日本のボクシング史上だけでなく、世界のボクシングの歴史に名を刻む偉大なチャンピオンになるでしょう。だからこそ井上選手には、戦いが終わった後には相手に礼を尽くすという、日本に受け継がれてきた和の心を忘れないでいて欲しいのです。(了)