わたしたちはなぜ、危険なワクチンを打ち続けているのか(6)

 前回のブログでは、ブースター接種を限定的にしか接種していない欧米諸国に比べて、日本だけが未だにブースター接種を積極的に推し進めていることを指摘しました。さらに、未だ人間では臨床的な試験がほとんど行われていないオミクロン株対応ワクチンを、日本は世界に先駆けて接種しており、今後はイスラエルに代わって、世界のワクチンの実験場になってゆくであろうことを指摘しました。

 そして、日本だけがワクチンの危険性を立ち止まって検討せず、ワクチン接種一本槍の政策を推し進める現状を、無謀と認識しながら太平洋戦争に突き進んでいった当時の日本政府と比較しました。日本の社会には、一度推し進めた政策を検証し、間違いがあれば方針を転換することができないという問題点があるようです。

 今回のブログでは、この問題点を別の角度から検討してみたいと思います。

 

恐るべき通達

 厚労省のワクチン政策は、留まるところを知りません。

 去る9月2日に厚労省の予防接種担当参事官室は、各都道府県、市町村の衛生主管部宛てに、「生後6ヶ月以上4歳以下の者への新型コロナワクチン接種に向けた接種体制の準備について」という事務連絡を送りました。

 この中で厚労省は、「第36回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会において、生後6ヶ月以上4歳以下の者(以下「乳幼児」という)に対する新型コロナウイルス感染症に係るワクチン(以下「新型コロナワクチン」という)の接種について議論され、今後の感染状況、諸外国の対応状況及び乳幼児に対するワクチンの有効性・安全性を整理した上で、引き続き議論することとされました」と述べています。

 ワクチン分科会は、子どもだけに飽き足らず、ついに6ヶ月以上の乳幼児にもmRNAワクチンを接種する検討を始めました。そもそも重症化しないオミクロン株に対して、さらに重症化しない子どもだけでなく、乳幼児にも遺伝子ワクチンを接種しようというのです。しかも、安全性が確認されていない治験段階のワクチンを、乳幼児で試すことなど、いくら何でも有り得ないと思われるでしょう。

 厚労省は続けます。

 「こうしたことを踏まえ、今後、乳幼児への接種を行うこととされた場合に速やかに接種を開始することができるよう、その準備に当たって現段階で留意すべき事項について下記のとおり御連絡します」と。

 なんと厚労省は、乳幼児のワクチン接種を行うことを前提に、各都道府県、市町村に接種の準備を始めるように通達しているのです。

 

6ヶ月の赤ちゃんにワクチン接種!

 10月7日に厚労省はワクチン専門家分科会を開き、ついに生後6ヶ月以上4歳以下の乳幼児をmRNAワクチン接種の対象にすることを承認しました。

 その根拠は、ファイザー社による臨床試験で、ワクチンを打った生後6カ月~4歳の体内にある中和抗体量を調べたところ、16~25歳がワクチンをうった場合と同程度の有効性を確認できたこと、7割の発症予防効果があったというデータだといいます。

 果たして、乳幼児にmRNAワクチンを接種して中和抗体を作る必要があるのでしょうか。そして、乳幼児にワクチンを接種した際に、いかなる副反応が起こるのかを、どのような規模の対象で確認したというのでしょうか。

 分科会は、製造元のファイザー社が提出した資料だけを根拠に、乳幼児の将来に禍根を残しかねない愚行を、たった十数人の委員の判断だけで決定してしまったのです。

 

 6ヶ月の赤ちゃんに、遺伝子ワクチンを接種する!

 

 将来の日本人が振り返ったら、当時の日本人は狂っていた、なぜあのような決断をしたのか理解できない、と思うのではないでしょうか。

 

乳幼児にワクチン接種をしかねない日本人

 厚労省の分科会が、たとえどんなクレージーな決定を下したとても、親たちがそれに従わなければ何の問題も起きないでしょう。遺伝子組み換え食品でさえ避ける日本のお母さんたちが、まさか自分の赤ちゃんに、遺伝子を直接体に入れ込むワクチンを接種するはずはないと思われるでしょう。

 わたしもそう信じたいのですが、不安な材料があります。5歳から11歳の子どものワクチン接種率です。

 

                 図1

 

 図1は、10月3日時点での5歳から11際までのワクチン接種率です。すでに2割以上の子どもたちが、2回の接種を終えています。

 罹患しても重症化しない子どもたちに、しかも治験段階で安全性が確かめられていない遺伝子ワクチンを、日本人の親たちは接種させているのです。

 今年の3月8日には、アメリカのフロリダ州では、健康な子どもには新型コロナワクチンを接種しないよう勧告が出されました。イギリス政府は、12歳以下の子どもへの接種を事実上禁止しています。デンマークでは8月31日に、18歳未満の子どもにワクチンを接種することを禁止しました。

 こうした情報は、新聞やテレビでは流されません。その一方で、「おじいちゃんやおばあちゃんに伝染さないために、ワクチンを打ってから会いに行こう」などという御用学者たちの発言だけが発信されるのです。日本人の親たちが、このような偏った情報に流されているという側面はあるのでしょう。

 それにしても日本政府が、人での安全性が検証されていないオミクロン株対応ワクチンを1日100万回接種しようとしたり、6ヶ月の赤ちゃんにまで遺伝子ワクチンを接種しようとするなど、常軌を逸したクレージーな決定を行ったのはどうしてなのでしょうか。

 

日米開戦を後押しした空気

 前回のブログで、日本が中国と戦争をしながら、さらにアメリカやイギリスとの開戦にまで踏み切った理由を検討しました。その理由として、アメリカとの戦争を避けるために中国から撤兵すれば、これまでの人命も戦費もすべて無駄になってしまう現実がありました。多くの恨みを買うであろうこの決断を、当時のリーダーたちは下すことができなかったのです。

 実は、日本が米英との開戦に踏み切らざるを得なかった要因はこれだけではありません。

 日米開戦へと突き進んでしまったもう一つの重要な要因が、当時の日本社会を覆い尽くしていた空気です。

 「日米開戦前の政治家や軍人の手記や日記を読むと、〝戦争をできないなんて世論が許さない〟とか、〝戦争ができないなんていえる空気じゃない〟といったことが書かれている」(『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』1)52頁)

 当時の政治家や軍人が「戦争をできない」と言えなかったのは、世論やそれを形作る空気が許さないという側面がありました。

 「首相官邸に届いた国民からの投書は三千通を数えたという。そのほとんどが、日米開戦を強く求める内容だった。戦争へと向かう熱狂は、おそらく多数存在していたと思われる『戦争を望まない人々』の声を、見事にかき消していった。
『もう、ドイツと組んで戦をやれという空気が覆い尽くしていましたね。陸軍などは、もうドイツの勝利は間違いないと。一般の空気は戦争論で日本は沸いていましたよ』(福留繁・海軍少将証言)」(『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下』36頁)

 日米開戦を求める空気は日本中を覆い尽くし、日本社会には戦争へと向かう熱狂が渦巻いていました。この空気に、リーダーたちはもはや抗うことができなくなっていたのです。

 

空気には誰も抗えない

 空気については、山本七平氏が、『「空気」の研究』2)で独創的な検討を行っています。その中で、空気について次のような例を挙げています。

 山本氏はまず、戦艦大和の無謀な特攻出撃が、戦況のデータや論理的な判断がいっさい無視されて、「当時の空気としてそうせざるを得なかった」ために断行された点に注目します。しかも、その判断を下したのは素人ではなく「海も船も空も知りつくした専門家たち」であり、さらには相手の実力も完全に知っている状況で大和の出撃は決定されました。

 その結果として、戦艦大和は米軍機動部隊の猛攻撃を受けて撃沈され、護衛艦も含めれば3700名以上の人命が失われる結末に至りました。それにも拘わらず当時の軍事部次長は、昭和50年の『文藝春秋』で、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」と発言し、また連合艦隊司令長官は、「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疏(べんそ)しようと思わない」と語っています(以上、同上15-19頁)。

 

日常にあふれる空気

 こうした例を挙げた後で、山本氏は空気について次のように指摘します。

 

 「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の『超能力』かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが『空気』に決定されることになるかも知れぬ」(『「空気」の研究』19頁)

 

 空気は何も、戦時にだけ存在したのでありません。山本氏は、戦後の行き過ぎた「公害問題」や「原子力の問題」の例を挙げています。

 さらに、「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では・・・」、「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても・・・」、「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」などといった言葉が、われわれの日常にもあふれていることを指摘します。

 

空気の特徴

 そのうえで山本氏は、空気の特徴について以下のように述べています。

 

 「一体、以上に記した『空気』とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。以上の諸例は、われわれが『空気』に順応して判断し決断しているのであって、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではないことを示している。
 だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから『空気』と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、『空気が許さない』という空気的判断の基準である」(『「空気」の研究』22頁)

 

 山本氏はこのように、空気とは非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ判断の基準であり、それに抵抗する者を社会的に葬るほどの力をもつ超能力であると説明します。そして、われわれの本当の判断基準となっているのは論理的判断などではなく、空気による判断であると指摘しています。

 

 今回日本政府が、人での安全性が検証されていないオミクロン株対応ワクチンを1日100万回接種しようとしたり、6ヶ月の赤ちゃんにまで遺伝子ワクチンを接種しようとするなど常軌を逸した決定を行ったのは、新型コロナ感染症を防ぐにはmRNAワクチンの接種が不可欠だという「空気」が、日本社会を覆っているからではないでしょうか。(続く)

 

 

文献

1)NHK取材班編著:NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 下.NHK出版,東京,2011.

2)山本七平:「空気」の研究.文藝春秋,東京,1983.