人はなぜわが子を虐待し、殺してしまうのか(9)

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 前回までのブログで、ウィニコットの母子関係論のうち、動物の子育てにも共通する母子関係の概念につて述べてきました。

 今回のブログでは、人間に特有の母子関係と、そこから生じる子どもの精神世界について検討したいと思います。

 

人間は未熟な状態で生まれる

 人間の子どもは、ほかの動物に比べて非常に未熟な段階で生まれます。草食動物の赤ちゃんは生まれてすぐに立ち上がって乳を飲み、1,2時間後には歩けるようになります。肉食動物の赤ちゃんはこれほど早熟ではありませんが、それでも自分でお母さんの乳房を探して飲むことができます。霊長類の子どもは母親にしっかりとしがみつき、自分でお乳を飲むことができます。しかし、人間の赤ちゃんはお母さんがお乳を与えなければならず、自分でできることはお乳を吸うことと泣くことくらいしかありません。

 なぜ人間の赤ちゃんがこれほど未熟な状態で生まれるのかは、人間が直立二足歩行になったことと、脳が発達したことにあると言われています。直立二足歩行になったことで、骨盤が内臓を支えるためにおわん型になり、さらに骨盤底を発達させる必要が生じました。そのため産道が狭くなり、S字状のカーブを描くことになりました。その産道を、脳が発達して大きくなった赤ちゃんの頭が通るため、未熟な状態でなければ出産できなくなったのです。

 

絶対依存期と錯覚

 このように人間の赤ちゃんは、自分では何もできないような未熟な状態で生まれてきます。お母さんの世話を全面的に受けなければ、生きることさえままなりません。お母さんの育児が不可欠の生後半年間のこの時期を、ウィニコットは絶対依存期と呼びました。

 この時期に一人でいる時間が長くなったことで、赤ちゃんの精神世界には、どのような変化が起こるのでしょうか。

 一人でいるときには赤ちゃんは、世界の中で孤立した存在です。譬えればそれは、太平洋の中を寄る辺なく漂う、帆を持たない小舟のような存在でしょう。赤ちゃんは一人では何もできません。もし、何の助けもなければ赤ちゃんは、メラニー・クラインが指摘するように、死の不安と恐怖に苛まれることになります。この不安と恐怖に陥ることから逃れるために、赤ちゃんは必死で泣き叫びます。お母さんは、泣く赤ちゃんに対して、お乳をあげ、オムツを替えてあげます。

 一方で赤ちゃんは、自分が泣き叫ぶことによってお乳が与えられ、オムツが新しくなったと感じます。まだ他者の存在を充分に理解できない赤ちゃんは、乳房や哺乳瓶を提供し、オムツを新しくしてくれる対象を自らが創り出したと認識します。

 ウィニコットはこれを、絶対依存期の「錯覚」と呼びました。

 

錯覚が起きるのは

 このような錯覚が起きる要因の一つは、人間の赤ちゃんが未熟な状態で生まれるからだと思われます。出生直後には自他の区別はまだ混然としており、その後もしばらくは、他者は体の一部分(例えば「良い乳房」や「悪い乳房」、「笑った顔」や「怒った顔」など)として認識されます。赤ちゃんの感覚が充分に発達して、他者を一人の人間として見分けられるようになるのは、生後6カ月ほど経ってからだと言われています。

 もう一つの要因は、人間にはイマジネーションを膨らませる能力が備わっていることにあります。この能力によって、赤ちゃんは自分の精神の中に、自分なりの世界を作りあげることができます。

 こうした状態にある赤ちゃんが、泣いたりぐずったり、または笑ったりするとお乳がもらえ、オムツを替えてもらい、あやしてもらえることが繰り返されます。すると赤ちゃんの精神世界の中では、願ったものを提供してくれる部分的な対象を、自分自身で創り出したという錯覚が生じるのです。

 

 

移行期と移行対象

 ウィニコットは、絶対的依存期から相対的依存期の間にある過渡的な時期である6ヶ月~1歳頃を、移行期と呼びました(相対的依存期は後に述べます)。

 移行期になると赤ちゃんは、お母さんを一人の人間として理解し始めるようになります。同時に赤ちゃんはお座りをするようになり、その後はハイハイをして少しずつお母さんから離れるようになります。

 お母さんも、子どもが離れることを成長と捉えます。近代化以降の子育てでは、子どもがお母さんから離れていられることを目指しているからです。子どもがお母さんから離れ、子どもが子ども個人として存在するようになることは、将来の子どもの自立を目的としています。

 移行期で赤ちゃんは、お母さんは自分とは別の存在であり、お母さんがいつも一緒にいてくれるわけではないことを理解し始めます。この時期に、赤ちゃんはお母さんから離れる不安を解消するために、お母さんの代わりになるものを必要とします。一方でお母さんも、一人いられるように赤ちゃんが安心するものを与えます。赤ちゃんは与えられたものの中から、お母さんの代わりになるものを見つけ出します。

 こうして赤ちゃんは、与えられたものを使って、自分の精神世界の中にお母さんの代わりになる対象を創り上げるのです。

 ウィニコットはそれを、transitional object (移行対象)と呼びました。

 

移行対象の原型

 移行対象の意味については次回のブログで検討しますが、ここでは移行対象とは具体的にどのようなものを指すのかを、以下で述べてみたいと思います。

 最初に認められるお母さんの代わりは、おしゃぶりです。

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                  出典: www.usa.philips.com

 生まれてからしばらくは、赤ちゃんとお母さんの主なつながりは、お乳をもらうことです。しかも未熟な状態で生まれた赤ちゃんは、当初は他者を一人の人間として認識できませんから、お母さんは乳房として認識されています。つまり、赤ちゃんにとっておしゃぶりは、お母さんの代わりであると考えることができます。

 移行対象は移行期に現れるものとされていますから、厳密に言えば、絶対依存期に現れるおしゃぶりは移行対象とは言えません。しかし、おしゃぶりは、赤ちゃんが一人でいるときのお母さんの代わりであることに違いありません。そのため、わたしはおしゃぶりを、移行対象の原型として捉えることができると思います。

 

一次的移行対象

 ここからが、一般的に言われている移行対象です。移行対象は、一次的移行対象と二次的移行対象に分けられます。

 一次的移行対象とは、1歳までに出現し、お母さんの身体の感触が置き換えられられたタオルケットや毛布などです。

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                     出典:https://conobie.jp/article/4818

 タオルケットや毛布は、子どもを包み、暖かく保護するという意味で母性を象徴するものです。チャーリー・ブラウンのピーナッツ・シリーズに登場するライナスが執着しているブランケットも、一次的移行対象であると言えるでしょう。

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  ライナスの毛布

 

二次的移行対象

 ウィニコットは、1歳から3歳までの時期を相対的依存期と呼びました。この時期に子どもは、母親と自分は別の存在であると気づきます。まだまだお母さんに依存しなければいけない状態にありますが、子どもが自分でできることも増えるため、お母さんに依存する割合は相対的に減って行きます。

 この時期に子どもは、自分が何でもできるのではなく、お母さんに頼らなければ生きていけないことを理解します。ウィニコットはこれを錯覚から脱する、つまり「脱錯覚」と呼んでいます。

 相対的依存期の1歳から2歳の間に現れる、柔らかいおもちゃであるぬいぐるみを、二次的移行対象と呼びます。

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                  出典:https://chaccari-mama.net/?p=2170

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              出典:https://kosodate-march.jp/rainasu5566

 二次的移行対象であるぬいぐるみは、人格的な対象として取り扱われ、人間的な感情が投影されます。すなわち、ぬいぐるみはお母さんの代わりになったり、自分の代わりになったり、友達の代わりになったりするのです。

 

 次回のブログでは、移行対象がどのような意味を持ち、移行対象がどのように発展していくのかを検討したいと思います。(続く)

 

 

参考文献

・井原成男:ウィニコットと移行対象の発達心理学.福村出版,東京,2009.
・サイモン.A.クロールニック(野中 猛,渡辺智英夫 訳):ウィニコット著作集 別巻2 ウィニコット入門.岩崎学術出版社,東京,1998.
・館 直彦:ウィニコットを学ぶ ー対話することと創造することー .岩崎学術出版社,東京,2013.