新型コロナウィルスは変異を繰り返しており、わずか5か月の間に、報告されているだけで5,000種類以上に多様化していることが分かっています。その変異株は、大別するとアジアで拡大したタイプ、アジアから枝分かれしたヨーロッパタイプ、さらにヨーロッパから枝分かれしたアメリカの東海岸のタイプと、アジアに近い西海岸のタイプに枝分かれしました。
このうちアジアで拡大したタイプ(これを武漢株と呼ぶことにします)と、ヨーロッパとアメリカの東海岸で拡大したタイプ(これを欧米株と呼ぶことにします)では、感染力と病原性が変化しているのではないかと推察されます。すなわち、武漢株に比べて欧米株では感染力と病原性が格段に増大したために、中国周辺諸国に比べて、欧米諸国での感染者数と死亡者数が桁違いに増加するという結果を招いたのだと考えられます。
しかし、感染者数と死亡者数の増加は同じ程度ではありません。中国周辺諸国と欧米諸国を比較すると、感染者数はほぼ1桁の増加ですが、死亡者数は欧米のほとんどの国で、中国周辺諸国よりも2桁の増加を示しています。それも医療の水準が高いと思われる欧米諸国の死亡者数の増加が、際立っているのです。
この現象の発現には、もう一つの要因が関係しているのではないかと考えられます。それがBCGの接種です。今回のブログでは、BCGの接種と、新型コロナウィルス感染症の死亡者数との関係について検討してみたいと思います。
BCGを今も接種している国々
BCGは結核に対するワクチンであり、世界では現在も子どもに接種している国と接種していない国があります。
図1
図1は、世界の国々で、結核予防のためのBCG接種がどのように行われているかを示したものです。
A(黄色): 現在、BCGの予防接種プログラムが実施されている国。(〇)
B(紫): 以前は誰にでもBCG予防接種を推奨していたが、現在は推奨されていない国。(中止した年は、スペイン1981年、ドイツ1998年、イギリス、フランス2005年~2007年など)。(△)
C(オレンジ):BCGワクチンの普遍的な接種プログラムが無い国。(✕)
BCG接種と新型コロナウィルス感染症の関連
以上のBCG接種状況と、前回のブログで行った、5月20日の時点での人口100万人あたりの死亡者数と感染者数の国別の比較をリンクさせてみましょう。
死亡者数(人) 感染者数(人) BCG接種
A群
スペイン 593.5 4,958.1 △
イギリス 533.0 3,763.7 △
イタリア 531.9 3,748.3 ✕
フランス 418.4 2,701.3 △
スウェーデン 367.7 3,025.4 △
オランダ 332.8 2,579.7 ✕
: : :
アメリカ 280.7 4,668.4 ✕
: : :
カナダ 162.7 2,172.0 ✕
: : :
ドイツ 97.5 2,144.2 △
: : :
ロシア 19.6 2,076.0 〇
B群
フィリピン 7.8 121.4 〇
日本 6.1 129.4 〇
韓国 5.1 216.1 〇
インドネシア 4.6 69.1 〇
ニュージーランド 4.4 313.8 △
オーストラリア 4.0 283.1 △
シンガポール 3.9 5105.3 〇
マレーシア 3.6 221.3 〇
中国 3.3? 60.2? 〇
インド 2.4 78.8 〇
: : :
タイ 0.8 43.7 〇
: : :
台湾 0.3 18.9 〇
BCG接種の効用
A群とB群を比較すれば、B群では現在もBCGを接種プログラムを実施している国が多いことが分かります。B群の中で現在はBCGプログラムを推奨していない国は、ニュージーランドとオーストラリアだけです。しかし、両国は以前は誰にでもBCG予防接種を推奨していたという歴史があります。これらの事実から、BCG接種は、新型コロナウィルス感染症の死亡者数を減らしている可能性が示唆されます。
一方、A群に目を移すと、ロシアを除くすべての国々が、BCG接種の普遍的な接種プログラムが無いか、現在はBCG予防接種を推奨していない状況です。そのためBCG接種をしていないことが、新型コロナウィルス感染症の死亡率を上げているようにみえますが、以下の点では疑問が残ります。
100万人当たりの死亡者数が多い5カ国のうち、BCGワクチンの普遍的な接種プログラムが無い国はイタリアだけで、他の4国はかつてはBCGの予防接種を推奨していました。この事実は、BCG接種が新型コロナウィルス感染症の死亡率を下げているという仮説と矛盾するようにみえます。
この矛盾を説明するのが、BCGには様々な種類の株が存在することです。
大阪大学免疫学フロンティア研究センター招聘教授の宮坂昌之氏によれば、BCGには以下のような種類の株が存在しているといいます。
図2
宮坂氏によれば、1921年に仏パスツール研究所で開発されたBCGは、結核の予防効果が確認された後、生きた菌が各国に「株分け」されたました。そのうち最も初期に分けられたのが日本株とソ連株でした。デンマーク株はそれから10年ぐらいたってから、パスツール研究所からデンマークに供与されました。
ヨーロッパ諸国で行われたBCGのほとんどが、このデンマーク株でした。例外は、ロシアと旧東ドイツで接種されたBCGがソ連株だったことです。
一方、中国はソ連株ですが、それ以外の多くの中国周辺諸国(日本、フィリピン、マレーシア、タイ、台湾、韓国の一時期)で、日本株のBCG接種が行われていました。
宮坂氏は、日本株とソ連株でBCG接種を行った国々では新型コロナウィルス感染症の死亡者数が少なく抑えられ、デンマーク株で接種を行った国々では死亡者数を減らすことができなかったのではないかと推論しています。
その原因として宮坂氏は、日本株とソ連株は他の株に比べて著しく生菌数が高いことを挙げています。株中の菌が免疫刺激物質を含んでいれば、生菌数が多いほど免疫刺激能力が高くなる可能性があります。すると、免疫刺激能力の高い日本株とソ連株の接種が、自然免疫を活性化させ、さらにこれが獲得免疫をも活性化させます。こうして、結核菌だけでなく、新型コロナウィルスに対する免疫を活性化して、ウィルスの排除を促したのではないかというのです。
この仕組みを示したのが、以下の図です(宮坂氏による)。
図3
図3のように、自然免疫が強化されると獲得免疫が動きやすくなります。「特異抗原が存在すると、特異的な獲得免疫が始動しやすくなるということを考えると、BCGが自然免疫だけでなく、ウイルス抗原存在下では獲得免疫も動かした可能性がある」と、宮坂氏は指摘しています。
要するに、BCG接種がヒトの免疫を活性化させ、結核菌だけでなく、新型コロナウィルスをも排除する働きをしたのではないかという推論です。生菌数が高い日本株とソ連株で、この働きが特に強かったというわけです。
ロシアとドイツの死亡率が低いわけ
以上は宮坂氏の仮説ですが、この仮説を採用すると、A群の国々で死亡者数が多く、B群の国々で死亡者数が少ないことを説明できるだけでなく、その他の現象も説明することができます。
以下は、5月26日時点での人口100万人あたりの、死亡者数と感染者数の国別の比較です(ジョンズ・ホプキンス大学の集計をもとに計算)。
死亡者数(人) 感染者数(人)
スペイン 573.4 5,030.0
イギリス 556.7 3,950.4
イタリア 543.6 3,805.5
: : :
アメリカ 300.2 5,083.7
: : :
ドイツ 100.5 2,180.7
: : :
ロシア 26.3 2,508.0
ロシアの感染者数は急激に増加し、他の欧米諸国に近づいています。それにもかかわらず、ロシアの死亡者数が欧米諸国より一桁少ないのは、ロシアではソ連株のBCG接種が行われているからではないでしょうか。そして、ドイツの死亡者数が欧米諸国とロシアの中間であるのは、旧東ドイツがソ連株、旧西ドイツがデンマーク株だったことと関係があるのかも知れません。
(5月28日にモスクワ市保健当局が、新型コロナウイルスによる4月の死者数について、国際的な判定基準に従った場合は、636人ではなく2倍以上の1561人になると発表しました。モスクワ市を含むロシアでは、医師がウイルスを死亡の「根本的な原因」と診断した場合のみウイルスによる死者だと認定してきたのに対し、世界保健機関(WHO)の国際基準では、感染で持病などが悪化して死亡した場合もウイルスによる死者とみなすためです。つまり、WHOの基準に沿えば、ロシア全体の死亡者数も2倍以上になる可能性があるというのです。
しかし、この割合で計算しても、ロシアの100万人に当たりの死亡者数は、
26.3×1561÷636≒64.6
となり、他の欧米諸国とは、依然として死亡者数が1桁少ないことになります)。
イランとイラクの死亡者数も
同じように、日本株でBCG接種を行ったイラクとパスツール株で行ったイランも、5月26日時点で比較してみましょう(ジョンズ・ホプキンス大学の集計をもとに計算)。
死亡者数(人) 感染者数(人)
イラン 91.8 1,705.5
イラク 4.2 120.5
日本株でBCG接種を行ったイラクは、イランに比べて感染者数で約14分の1、死亡者数で約22分の1に抑えられています。
このように、日本株またはソ連株によるBCG接種を行った国々は、他の国々に比べて、著しく死亡者数が少ないことがわかります。例外は、過去に日本株やソ連株を接種していないにもかかわらず、100万人あたりの死亡者数が1桁台に抑えられているニュージーランドとオーストラリアだけです。
前回と今回のブログで検討したように、新型コロナウィルスが武漢株から欧米株に変異したことによる感染力と病原性の増強と、日本株またはソ連株によるBCG接種の有無によって、各国の感染者数と死亡者数の傾向は、概ね説明できることがわかります。
では、日本の感染者数と死亡者数が抑えられたのは、武漢株だったこととBCG接種を行っていたからなのでしょうか。実は、ことはそう単純ではありませんでした。
そこで次回は『安倍政権はなぜ歴代最長になったのか』に戻って、日本の事情を検討したいと思います。(『新型コロナウィルスの特性』了)