わたしたちはなぜ、マスクを外すことができないのか(2)

 前回のブログで、欧米諸国ではマスク着用の義務化が撤廃され、人びとがマスクから解放されているのに対して、日本では屋外でさえマスクをする人がほとんどであることを指摘しました。

 日本でも5月20日に、後藤厚労大臣が、屋外では周囲との距離が十分とれなくても会話が少なければ、必ずしもマスクを着用する必要はないとの見解を発表しました。また政府見解では、 2歳未満については引き続きマスク着用は推奨せず、2歳以上で就学前の子どもについても、一律にマスク着用を求めないとしました。

 こうした日本政府の発表を受けて、日本でもマスクをする人は見られなくなってゆくのでしょうか。

 

人びとがマスクをする光景は

 後藤厚労大臣が、屋外ではマスクは必要ないと発表してから1週間以上が経ちました。しかし、屋外では相変わらずほとんどの人が、マスクを付けています。まれに鼻と口を出した「顎マスク」の人を見かけますが、それでもそうした人はごく少数です。まだ日本では、大多数の人が屋外でもマスクをしている光景が続いています。

 この様子を産経新聞は、5月27日の記事で以下のように報じています。

 

 新型コロナウイルス対策のマスク着用に関し、政府が新たな考え方を表明してから1週間がたった。人と距離を保った屋外では会話の有無にかかわらず着用は不要とされたが、今も多くの人がマスク姿のままで、浸透したとは言い難い。コロナ禍で着用が当然となり、人前で外すことに抵抗を覚えることから、マスクを「顔パンツ」ととらえる人もいる。専門家は、マスクが手放せない人への配慮は必要とする一方、着脱を自分の物差しで判断できる環境が望ましいとする。

 

 マスクを「顔パンツ」ととらえる人がいるという表現は、実に言い得て妙です。マスクを付けなくても屋外で感染することはないと分かっていても、わたしたちがマスクを外すことができない心理の一面を的確に表現しています。

 それは、科学的思考や、理性的思考では説明できない類いのものです。そのことを示す、興味深い事例を紹介しましょう。

 

ヨーロッパではマスクを外す岸田首相

 岸田首相が、4月29日から5月6日までの日程で、 東南アジア・ヨーロッパの5カ国を歴訪しました。以下は、そのときの岸田首相の写真です。

 

 

 英首相官邸前で、ジョンソン英首相に出迎えられる岸田首相です。二人とも最初からマスクをしないで対面しています。

 

 

 この写真は、ローマ・カトリック教会の中心地バチカンで、フランシスコ教皇と会談した岸田首相を写したものです。室内で、しかも近距離で会話しているにも拘わらず、二人ともマスクをしていません。当然ながら、日本でよく見かける、飛沫対策のアクリル板も置いてありません。

 これらの写真が示すように、岸田首相は、ヨーロッパではマスクを付けずに要人と面会をしました。日本では常にマスクをしている姿からは、想像できない行動です。

 帰国後、ヨーロッパでマスクを外していたことを指摘された岸田首相は、「 海外出張先、相手国のルールに沿って対応した」と答えています。

 

マスクを付けたバイデン大統領

 これと正反対のことが、日本で起こっています。

 5月22日から24日の日程で、アメリカのバイデン大統領が来日しました。以下は、その際の写真です。

 

 

 この写真は、横田基地に到着したバイデン大統領を、林外相が出迎えたときのものです。林外相はもちろんですが、バイデン大統領やその側近までがマスクをしています。

 

 

 皇居の御所で、米国のバイデン大統領を天皇陛下が出迎えられたときの写真です。バイデン大統領は、やはりマスクをしています。

 

 

 バイデン大統領が、拉致被害者の家族と面会をしたときの写真です。被害者家族はもちろん、バイデン大統領もマスクを付けています。岸田首相とおぼしき人も、マスクをした姿で写っています。

 このように、マスク着用義務が撤廃されたアメリカの大統領も、日本では極力マスクを付けていたのです。

 

マスクが必要というルール

 岸田首相は、科学的な知見に基づいてマスクをしているわけではありません。もし科学的に必要であると判断していたなら、たとえヨーロッパの人びとがマスクをしていなくても、自身はマスクを付け続けたでしょう。

 一方で、バイデン大統領がマスクを付けていたのは、やはり科学的な判断ではないと考えられます。アメリカ本国ではマスクの着用義務が、全州で撤廃されていることからもそれは分かります。ウィズ・コロナの国の大統領が、わざわざマスクを付けたのには別の理由が存在しています。

 バイデン大統領は、天皇陛下や政治家、そして拉致被害者家族とマスクを付けて面会をしました。その姿は、大統領が日本のルールを尊重しているという印象、そして相手の健康を慮っているという印象を日本の人びとに与えたでしょう。それは、バイデン大統領に親近感を抱かせ、好感度を高めさせるための作戦だったのかも知れません。

 いずれにしてもバイデン大統領は、人と会う時はもちろん、屋外でもマスクを付けることが日本のルールになっており、このルールに従うことは、日本人に良い印象を与えることを意識して行動したのだと推察されます。

 

マスクは暗黙のルール

 日本全国に浸透し、アメリカの大統領さえ従わせてしまうルールとは、一体どのような特徴があるのでしょうか。

 まず言えることは、マスクをしなければいけないというルールは、法律のように国家が定めたものではなく、明確に文章として示されたものでもないということです。つまり、法律によって明文化され、国家権力によって強制されるようなルールではないのです。それにも拘わらず、日本国民が皆知っており、罰則もないのに黙々と従っている暗黙のルールであると言えるでしょう。

 次の特徴は、岸田首相がヨーロッパではマスクを外して外交をしたように、その効力は日本社会の中で限定して発揮されることです。日本の代表として外遊した総理大臣であっても、ひとたび日本社会から離れれば、マスクのルールからは解放され、本人の意志に従って自由に行動できるようになります。その特徴は、ルールの源泉が日本人であるかどうかではなく、日本社会に属しているかどうかに依拠しているのだと考えられます。

 

同調圧力が原因?

 日本人が皆、屋外でもマスクを付けているのは、同調圧力が原因だという指摘があります。

 同調圧力とは、集団において少数意見を持つ人に対して、周囲の多くの人と同じように考え行動するよう、 暗黙のうちに強制することを言います。

 同調圧力とはどのようなものなのか。勇気を出して、マスクを外して屋外に出てみましょう。

 すると途端に、周囲の視線が気になり出します。別に誰かに注意されるわけではありません。ちらっと送られるか送られないかの微妙な視線が、その場の空気を支配します。その空気を察知すると、自分が何か特別のことをしているかのような、もっと言えば普遍のルールを破っているかのような気持ちにさせられます。この気持ちに耐えられなくなって、再びマスクを付けてしまいます。

 これがマスクを付けなければいけないという、同調圧力であると考えられます。

 

 では、同調圧力はどうして生じるのでしょう。そして、冒頭で述べた「マスクは顔のパンツ」とはどういう感覚から生まれるのでしょうか。

 次回以降のブログで検討してみたいと思います。(続く)