「日本を貶めようとする人々」というテーマの最後に、日本の総理を蔑んで喜ぶ人たちを取り上げてみたいと思います。
彼らの目的は、総理の間違いを指摘して日本を正しい方向に導くことにはありません。なぜなら、彼らは常に総理を攻撃し、総理のやることなすこと全てに文句をつけ、果ては総理の人格のみならず家族までも非難するからです。それは政治家の政策の是非を問うものではなく、総理を非難し、攻撃し、そして蔑まなければいられないという姿勢に終始しているようにみえます。つまり、彼らの本当の目的は、総理を非難することそれ自体にあるのでです。
彼らが総理を非難し続け、総理を蔑む発言をすること自体は、自由主義の日本では認められていることです。しかし、度を過ぎた非難や、執拗な非難が増えすぎると、それは日本にとって有害になります。現に、安倍前総理が体調を崩した原因の一つに、あまりに執拗な非難や攻撃が続いたことによるストレスがあったと思われます。その結果、安倍前総理は退任を余儀なくされ、日本にとって必要な政策のいくつかが実現できないことに繋がりました。
今回のブログでは、総理を執拗に非難し、総理を蔑むことに喜びさえ感じている人たちを取り上げ、彼らの目的の背後に潜む心理について検討したいと思います。
もう、きみには頼まない
総理を蔑んで喜ぶ人たちの心理を理解するうえで、格好のテクストがあります。適菜収氏の『もう、きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告 時代への警告』1)です。
わたしが統合失調症の精神病理を宗教・文化的な側面から研究していたころ、「神は死んだ」と宣言し、その後に自らも狂気の世界へと旅立った哲学者ニーチェを取り上げたことがあります。ニーチェの『アンチ・クリスト』を読む際に、適菜収氏の現代語訳である『キリスト教は邪教です!』に出会い、難解なニーチェの思想を読み解くための手助けになったことを覚えています。
その適菜収氏が、このような安倍批判の本を書いていることを知り、驚きと共に興味を持ちました。なぜならこの本の中には、安倍前総理に対するルサンチマン(怨恨感情)があふれているからです。
バカが総理大臣になった
適菜氏の思いは、「はじめに」に凝縮されています。その一部を拾い上げてみましょう。
「私は、政治家には必ずしも高度の能力は必要ないと思う。
政治家に必要なのは『常識』だ。
人ときちんと会話をする。
義務教育レベルの知識は押さえておく。
嘘をつかない。
行儀よく食事をする。
社会に害を及ぼすような行為は慎む。
政治家は高邁な理想を語る前に、常識人であるべきだ。
しかし、この平成の三〇年間にわたり、政治家は『改革』の名のもとに自分たちの足場を破壊することによって急速に劣化し、バカが総理大臣になり、普通ではない人たちはその周辺を固めることになった」(『もう、きみには頼まない』2‐3頁)
わたしは、政治家にとって一番大切なことは、将来にわたって一人でも多くの国民を幸せにすることだと考えています。もちろん「常識人であること」は大切なことですが、相手国が非常識な首脳であった場合は、時として常識人であることがマイナスに作用することがあります。
それはさておき、適菜氏がここで言いたいことは、「安倍晋三というバカが総理大臣になってしまった」ということです。
日本には表現の自由があるとはいえ、総理大臣をよくここまでひどい表現で非難できるものです。もし、これが共産主義国家なら、出版者と共に投獄されているでしょう。
安倍外交を糾弾
適菜氏は、その後も「安倍晋三がやったことをひとことで言えば、国家の破壊である」「シンプルな売国である」「安倍と安倍周辺の一味は一貫して嘘をつき、社会にデマをまき散らした」と安倍批判を続けますが、その特徴が際立っているのが、プーチン大統領との外交を述べている部分でしょう。
「2018年9月10日、国際会議『東方経済フォーラム』で平和条約締結や北方領土問題について『アプローチを変えなければならない』と呼びかけた安倍に対して、プーチンは、平和条約締結後に二島の引き渡しを明記した日ソ共同宣言に言及した上で、『前提条件をつけずに年内に平和条約を締結し、すべての問題の議論を続けよう』と答えた。
え!?
これは日本とロシアが積み重ねてきた交渉のすべてを反故にするものだ。
当然、日本のトップなら、毅然とした態度で『冗談ではない』と言わなければならない場面だった。
しかし、安倍はなぜか満面の笑顔をつくり、ヘラヘラと笑っていた。
外務省も慌てただろうが、後の祭り。バカに総理をやらせるからこういうことになるのである」(『もう、きみには頼まない』4‐5頁)
北方領土問題の解決を目指す安倍総理は、プーチン大統領と27回もの会談を重ねてきました。領土の返還を目指す安倍総理と、日本からの経済援助を引き出したいプーチン大統領は、ともに自国の利益を目指して妥協のない交渉を続けて来ました。タフネゴシエーターであるプーチン大統領から、日本に有利な結果を引き出すことは容易なことではないでしょう。
しかし、そのうちの1回の交渉がうまくいかなかったことを取り上げて、適菜氏は、「バカに総理をやらせるからこういうことになのである」と糾弾するのです。
プーチンは信用できる
適菜氏の安倍非難は続きます。
「この安倍の態度が大きな問題になると、安倍は『プーチン氏の平和条約締結への意欲の表れだと捉えている』と支離滅裂な説明をはじめ、さらにはNHKの番組で、プーチンに対し、『北方領土問題を解決した上で平和条約を締結するのが日本の原則』だと直接反論したと発言。
しかし、ロシアのぺスコフ大統領報道官は、それを否定。ロシア国営テレビのインタビューで、『プーチン大統領が前提条件なしの年内の日本との平和条約締結を安倍晋三首相に提案した時、安倍首相本人からは何の反応もなかった』と証言した。
要するに、ロシア政府か安倍のどちらかが、大嘘をついたということだ。
ロシア側が嘘をつく理由はない。
いつものように、安倍がその場をごまかすために嘘をついたのだ」(『もう、きみには頼まない』5‐6頁)
北方領土問題の解決を主張したとする安倍総理に対して、ロシアの報道官は、ロシア国営テレビでそうした発言はなかったと否定しました。
この発言のどちらを信じるかは、常識的な日本人なら明らかでしょう。政権批判をした女性記者が射殺されたり、対立した元スパイが毒殺されたり、最近では反体制指導者が毒殺されそうになった事件をみれば、ロシア政府は、体制を維持するためにはどのような手段も厭わないことが分かります。
しかし、適菜氏は違います。「ロシア側が嘘をつく理由はない」と即断します。そして、「安倍がその場をごまかすために嘘をついた」と断言するのです。
ロシア側が嘘をつく明確な理由はあります。それは、自国の領土を返すことなく、日本から経済援助を引き出すための交渉を有利に運ぶことです。そして、国営放送を通じて、ロシアは妥協することなしに、毅然とした態度で交渉を進めているとアピールするためです。
適菜氏は、安倍総理を徹底して信じず、プーチン大統領を無条件で信じていることが分かります。以前のブログで指摘した、信頼できる人や信頼すべき人を全く信用せず、信頼できそうもない人やどう考えても怪しい人を信用してしまう人の特徴を備えていると言えるでしょう。
罵倒は続く
適菜氏の、安倍総理への罵倒は続きます。
「弱者を叩き、強者には媚びる。国内では女性議員に対しキャンキャン吠える一方、トランプやプーチンには全力で尻尾を振る。
プーチンがわざと会談に遅刻しても、安倍は満面の笑みを浮かべ、女の子走りですり寄っていく。目の前でひっくりかえって腹を見せる。もちろん、上納金も忘れない。
もはや売国奴ですらない。
国土に熨斗をつけて献上するのだから、献国土である。
要するに、メンタリティーが犬。箸が持てず、犬食いなのもそれが理由だろう」(『もう、きみには頼まない』7頁)
安倍総理を犬に喩えて非難するこの文章は、もはや政策を非難するものではなく、安倍総理自身をいかに蔑むにかに力点が置かれています。
それでも適菜氏は、蔑み足りないのでしょう。安倍糾弾はさらにエスカレートしてゆきます。
「われわれの社会は、究極の凡人、白痴を総理の座に担ぎ上げ、六年にわたり放置してきた。
その結果が、現在の日本の惨状だ。
恥を知らない国は滅びるしかない。
では、こうした状況下において、われわれはどのように生きるべきなのか?
ひとことで言えば、手遅れである。
ここまで壊れた以上、日本に未来があるとしても、修復に数百年はかかるだろう。
それでも、目の前にあるゴミは片づけなければならない。
掃除をしたところで、再びゴミはたまるが、それでも掃除する。
人間の営みとはそういうものだと思う」(『もう、きみには頼まない』8‐9頁)
ついに適菜氏は、安倍総理を、「究極の凡人」「白痴」「目の前にあるゴミ」とまで罵倒するようになります。それはすでに、非難のための非難、罵倒のための罵倒になっています。
なぜ適菜氏は、ここまで安倍総理を非難し、罵倒する必要があるのでしょうか。そこには、日本社会に対する警鐘と言うよりも、適菜氏自身の個人的な理由があるように思います。(続く)
文献
1)適菜 収:もう、きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告 時代への警告.KKベストセラーズ,東京,2018.