日本を貶めようとする人々 総理を蔑んで喜ぶ人たち(4)

 

f:id:akihiko-shibata:20200630011538j:plain

 前回のブログでは、安倍前総理を蔑む人たちの心理として、「バカが総理大臣になった」と非難することで、自らが安倍総理をバカと呼べるほど優秀であることを暗に主張しているという側面を取り上げました。そして、そこには自らが総理の上に立つ優越感と、総理を罵倒する快感が伴われていました。さらに、総理を蔑めば蔑むほど、相対的に自らの位置づけは上昇するのであり、それに伴う快感は増してゆくことになります。

 一方、安倍前総理を非難し蔑む人たちの特徴として、純粋な理想を掲げていることを指摘しました。彼らは、自らの理想に反する現実的な政策を行う総理は、国賊または天敵のように映るのでした。そのため、安倍前総理は、保守主義者からも共産主義者からも攻撃を受けることになりました。

 今回のブログでは、総理を蔑んで喜ぶ人たちの心理に、もう少し立ち入って分析してみることにしましょう。

 

菅野完氏との対談

 適菜収氏は、安倍前総理とともに元大阪府知事橋下徹氏も非難の対象にしています。その両氏を非難するために、適菜氏はジャーナリストの菅野完(すがのたもつ)氏と対談を行っています。

 菅野完氏は日本会議を批判した『日本会議の研究』や、森友学園問題で籠池泰典氏を反安倍へと導いたことで知られています。その一方で、アメリカ留学中に交際していた女性に暴行を加えて2度逮捕され、保釈中に公判に出廷しないまま日本に逃亡したり、日本でも政治運動に賛同した女性に性的暴行を加えたとして訴えられるなど、その素行に問題を指摘される人物でもあります。

 その菅野氏との対談で、適菜氏は、橋下徹氏の政治姿勢を批判するために、彼の成育歴を取り上げます。

 

 「私が橋下を観察して感じるのは、徹底したニヒリズムアナーキズムです。もちろん彼は恵まれた環境で育ったとは言い難い。暴力団の家系に生まれて父親はガス管を咥えて自殺しています。差別する意図はありませんが、事実としてそうだということです。

 橋下はメディアの報道に対してスラップ訴訟を行いましたが、橋下の父親と叔父は暴力団員であるとの報道は事実であると最高裁が認定しています。一審の大阪地裁判決は、『実父が組員だったことは(橋下の)人格形成に影響しうる事実で、公共の利害に関わる』と指摘。二審大阪高裁も一審の判決を支持しています。

 私は、日本に対する深い恨みや憎しみが、彼の行動原理になっていると思います」(『もう、きみには頼まない』1)37頁)

 

 最後の「日本に対する深い恨みや憎しみが、彼の行動原理になってる」という指摘は、日本を貶めようとする人々を分析するうえで実に興味深いものです。

 それについては後に触れることにして、橋下氏の行動原理を探るために橋下氏の成育歴を取り上げたことは、菅野氏との対談では場違いだったのではないでしょうか。なぜなら、菅野氏こそ、適菜氏の指摘が当てはまる人物だと思われるからです。

 

暴力の原因は承認欲求?

 さらに適菜氏は、サイコパス(反社会的人格者のこと、日本語訳は精神病質)のチェックリストを上げ、「橋下はサイコパスだ」と主張したいのではないと断りつつも、疑わしい人間の監視を続けなければならないと指摘します。

 この指摘に対して菅野氏は、たまらず次のように告白します。

 

 「子だくさんの家はDVが多いんです。僕自身、その傾向があって、何年もカウンセリングを受けているのでよくわかります。(中略)

 僕にも暴力癖がありました。そのため認知行動療法を受けたのですが、僕の暴力の根源は、承認欲求でした。褒めてもらえないのが気に食わないという。子供が生まれて、妻や自分の父母の注目が子供に行くと、我慢できなくなり手を出してしまうような人が結構いるんです。僕も、若い頃の自分の暴力癖を思い出すと同じパターンで、自分が一番でないと不安になってしまう。それに気付くことができたからよかったと言うと、無責任ですが、僕が橋下のことをわからないのも、似ているからかもしれない」

(『もう、きみには頼まない』45‐46頁)

 

 はからずも菅野氏が、「僕が橋下のことをわからないのも、似ているからかもしれない」と告白しているように、彼の成育歴にも同じような問題点が存在する可能性があります。

 それにしても、菅野氏が洞察するように、人は承認欲求が満たされないと他人に暴力を振るってしまうものでしょうか。

 

暴力の根源は他者への敵意

 承認欲求の強い人は、背景に自己肯定感の乏しさを抱えています。自分で自分の存在価値を認められないために、他者からの承認を常に求めているのです。

 承認欲求の強い人がその欲求を満たされないと、自己肯定感の乏しさが顕わになり、自己不全感や自己否定感を感じることになります。自己否定感を強く感じた人は、ダメな自分をいっそう意識するようになります。その結果、ダメな自分を否定したりダメな自分を攻撃しようとして、自傷行為や自殺企図が起こることがあります。日常の診療で経験する患者さんの多くは、こうしたパターンをとります。

 つまり、承認欲求の強い人が直ちに他者に暴力を振るうことは稀であり、そこには別の要因が加わっていることが考えられます。

 その別の要因とは、他者への強い敵意です。根底に他者への強い敵意があるからこそ、他者から自分を認めてもらえない不安が、認めてくれない他者への怒りや暴力へと繋がるのです。

 

根底に女性への敵意が

 菅野氏が、アメリカ留学中に交際していた女性に暴行を加えたり、日本でも政治運動に賛同した女性に性的暴行を加えたとして訴えられたことを考えると、彼には根底に女性に対する強い敵意があることが窺われます。好意を抱いた女性が、「自分を一番に考えてくれないと不安」になり、自分を認めてくれない女性に対する敵意に変わります。その敵意が、女性への暴行に繋がっているのでしょう。そこには、菅野氏の女性一般に対する「深い恨みや憎しみ」が存在していることが窺われます。

 菅野氏は対談のなかで、安倍総理昭恵夫人をコントルールできないこと(?)の要因としてミソジニー女性嫌悪、蔑視)を挙げていますが、この指摘は自分自身にこそ当てはまるものでしょう。そして、女性に対する深い恨みや憎しみが形成される背景には、彼の成育歴の問題が関与していることが推察されます。

 菅野氏は、自らの暴力癖の原因は承認欲求であるとし、「それに気付くことができたからよかったと言うと、無責任ですが」とも述べています。わたしは、菅野氏の暴力癖の原因は承認欲求ではなく、女性への「深い恨みや憎しみ」にあるのではないかと思います。したがって、自らの行為の原因を承認欲求という洞察で済ませている菅野氏の姿勢は、本当に無責任だと言えるでしょう。自身の中にある本当の問題を洞察できなければ、いずれ女性に対する暴力癖が再燃する可能性があるからです。

 

同じ病理を抱える人たち

 人が他者に攻撃的になるのは、精神分析的に言うと、次の二つの場合があると考えられます。

 一つは、他者から攻撃され、自我が傷つけられた場合です。人は傷つけられた自我を立て直そうとして、傷つけた相手(または傷つけた相手と共通点のある他者)を攻撃し、自我の正しさを確保しようとします。これが一般によく目にする、「やられたらやり返す」という攻撃の心理です。

 もう一つは、自分の中で否認している自我の一部、または抑圧している自我の一部を、他者の言動の中で発見した場合です。これは分かりにくいので、少し具体的に述べてみましょう。

 人は自我を作り上げる過程で、自分の中にあってはならない性質や、自分にとって受け入れがたい性質を見つけます。これらは、自分はこういう存在である(またはこういう存在でありたい)という自我を構築するために、邪魔な部分になります。そこで、自我の正当性を保つために、自分の中にはこんな嫌な性質はもともと存在していなかったと見なす(これを否認といいます)、または見つけた嫌な性質を見えないように無意識の中に押し込める(これを抑圧といいます)などして、自分はこれらの性質を持たない存在であると誤魔化します。こうした防衛機制を用いて、人はかろうじて自我の正統性を確保しています。

 ところが世の中には、自分が否認したり抑圧したりして見ないようにしている性質を、堂々と表に出している人物がいます。それは自分にとってはあってはならない性質なので非常に気になりますし、その性質の存在を否定しなければなりません。そのため、自分にとってあってはならない性質をことさら問題視したり、堂々と表に出している他者を攻撃することが起こります。

 つまり、他者への攻撃は、本来は自分の中で否認したり抑圧したりした性質への攻撃なのです。この攻撃は、自我の正統性を守るための攻撃ですから、しばしば理屈や損得を超えた行動に繋がります。さらに、なぜ攻撃するのかが意識できていない場合は、相手が完全に否定されるまで続く執拗な攻撃になります。

 適菜氏の橋下徹氏への攻撃は、こうした心理機制で行われているのではないかと考えられます。

 

日本に対する深い恨みや憎しみの背後には

 適菜氏は、橋下氏に対して、「日本に対する深い恨みや憎しみが、彼の行動原理になってる」と指摘します。この「日本に対する深い恨みや憎しみ」は、実は適菜氏にも認められるのではないでしょうか。

 政治家や評論家として活動する橋下氏の言動からは、「日本に対する深い恨みや憎しみ」が垣間見られるのでしょう。適菜氏が、橋下氏を非難するのは、この「日本に対する深い恨みや憎しみ」に対してです。そして、適菜氏の橋下氏への非難や攻撃が徹底して行われるのは、適菜氏自身の中にも「日本に対する深い恨みや憎しみ」が存在しているからです。適菜氏は、橋下氏を攻撃しながら、自らの中にある「橋下的なもの」を同時に攻撃しているのです。

 

日本を貶めようとする人々

 保守主義者である適菜氏に、「日本に対する深い恨みや憎しみ」などあろうはずがないという反論もあるでしょう。しかし、適菜氏の保守思想とは、「保守思想の根幹にあるのは愛であり、『人間を愛せ』ということ」「大地に根差したものを愛するのが、反イデオロギーたる保守の本質」という純粋で理想的なものです。彼の思想に合わない日本の文化や伝統はそこかしこに存在するでしょう。

 つまり、適菜氏の深い恨みや憎しみは、彼の思想に合致しない日本的なものに向けられているのだと思われます。適菜氏が常々批判している「安倍的なもの」とは、日本社会に存在する、適菜氏の思想に反する部分を指しているのでしょう。

 

日本人に対する恨みや憎しみ

 いずれにしても、日本には、「日本に対する深い恨みや憎しみ」を心に抱いている人たちが存在しています。それが共産主義者であれ自由主義者であれ、左翼であれ右翼であれ、リベラルであれ保守であれ、結果的に日本を貶めるような言動を示すようになります。

 彼らの「日本に対する深い恨みや憎しみ」は、「日本人に対する深い恨みや憎しみ」に起因します。そして、「日本人に対する深い恨みや憎しみ」の根源には、成育する過程で経験した、彼らを取り囲む人々に対する恨みや憎しみがあると考えられます。この意味でも、成育歴における子どもの対人関係の問題は、日本の将来にとって重要な意味を持っているのです。(了)

 

 

文献

1)適菜 収:もう、きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告 時代への警告.KKベストセラーズ,東京,2018.