安倍政権はなぜ歴代最長になったのか(17)

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 前回のブログで、新型コロナウィルスの対策に成功したにもかかわらず、安倍内閣の政策は全く評価されず、安倍総理の支持率が下がり続けている理由を検討しました。その中には、安倍総理を引きずり下ろすためであれば、日本に損失を与えても構わないという一部マスコミの姿勢がみられました。

 それにしても、こうした露骨な非難を受け続けて、しかも世間からは評価を受けない状況で、人は心の安定を保つことができるのでしょうか。

 今回のブログでは、「安倍政権はなぜ歴代最長になったのか」の最終回として、安倍総理の心の中に少しだけ分け入ってみたいと思います。

 

入国禁止を遅らせたのは憲法改正のため 

 台湾、マレーシア、スリランカ、フィリピン、シンガポールアメリカが次々と中国からの入国者を拒否する措置を発表するなかで、安倍内閣は2月1日に中国湖北省からの入国拒否を表明しました。その際には、なぜ中国全土からの入国を拒否しないのかという非難が湧きおこりました。安倍内閣が事実上、中国全土からの入国制限を行ったのは3月5日になってからでした。この間に日本は、中国人観光客184万人を入国させました。その結果日本は、この時期に世界で最も中国人を受け入れた国になったのです。

 中国からの入国を拒否するのが遅れたのは、どのような理由があったのでしょうか。当時は、日本の観光業界や中国政府に配慮しすぎたという批判がありました。特に、習近平主席の国賓来日を控えていた時期だったため、中国のメンツを立てるために、国民の生命を危険に晒しているという批判がなされました。

 しかし、安倍総理が本当に配慮していたのは、中国ではなく、自民党内の親中派や中国に近い公明党に対してだったのではないでしょうか。なぜ、親中の政治家たちに配慮をしなければならないのか。それは憲法改正問題を見据えて、少しでも多くの議員を改正賛成派に取り込む必要があったからです。

 

国民の生命を危険に晒してもいいのか

 それにしても、親中派の議員たちを取り込むためとはいえ、中国からの入国拒否を遅らせることによって、国民の生命を危険に晒すことになってもいいと言えるのでしょうか。

 ここが総理大臣の判断の難しいところです。なにしろ総理大臣の判断は、1億2千万人の国民の命に直結します。中国との外交、日本の経済、そして憲法改正も視野に入れながら、新型コロナウィルス感染症の対策に当たらなければなりません。総理が判断を誤れば、国民の命は危険に晒されます。そのプレッシャーたるや、われわれ一般人には想像すらできないものでしょう。また、批判するだけ批判して、何の責任を取ることもない評論家(ここには医療関係者も含まれます)には計り知れない、とてもつない重圧があったと思われます。

 このときの安倍総理の判断、すなわち中国観光客をある程度受け入れても感染の爆発は防ぐことができる、そして、新型コロナウィルスの欧米株が流入して感染が拡大した際には、世界からの入国を拒否して本格的に新型コロナウィルス感染症の対策を採るという判断は、概ね正しかったと言えるでしょう。

 新型コロナウィルスの流行は未知の出来事でしたから、この判断には過去の模範解答はありません。そのため安倍総理は、(専門家の意見を参考にしながらですが)自らのカンに頼って判断しなければなりませんでした。結果から言えば、安倍総理のカンは間違っていませんでした。新型コロナウィルスの武漢株は蔓延せず、しかもその後に流入した欧米株も、感染爆発を起こすことなく抑え込むことに成功しました。これは厳然たる事実です。

 それにもかかわらず、安倍総理の判断が正しかったことを評価しているマスコミが、保守層を含めても皆無であるのは、一体どうしたことなのでしょうか。

 

支持率に一喜一憂せず

 安倍総理は、緊急事態宣言を解除したことを大げさに喧伝したり、ことさら誇ったりしませんでした。他国の指導者のように、支持率のアップに繋げようとする戦略もとりませんでした。これは謙譲の美徳をよしとする、日本人本来の姿勢であるようにわたしには感じられました。しかし、安倍総理のこうした姿勢をいいことに、反安倍のマスコミは、徹底的に安倍内閣の政策を非難しました。

 新型コロナウィルス感染症が流行し始めたころ、マスコミはこの感染症への警鐘を鳴らす役割を果たさなかったばかりか、「桜を見る会」の批判に終始しました。新型コロナウィルス感染症が拡大した時期になると、「安倍内閣の対策が後手後手に回っている」、「PCR検査が少なすぎる、それは感染拡大を隠ぺいするためだ」といった非難を繰り返しました。昭恵夫人が芸能人らと桜の下で撮っただけの写真を、「庶民が花見を自粛しているときに花見をしている」と批判の材料に使いました。

 新型コロナウィルス感染症が終息に向かうと、マスコミは「黒川問題」を創り上げ、コロナとは別の問題で安倍内閣を非難する戦略に出ました。そして、世間の反感が高まったところで世論調査を行い、安倍内閣は国民の支持を失っているという世相を形成しようとしました。

 安倍総理が5月25日に緊急事態宣言の解除を行った記者会見において、すかさず朝日新聞の記者が、「安倍内閣の支持率が29%に急落し、不支持率が52%になったことを総理はどうとらえますか」とコロナとは関係のない質問をしました。まったく不躾なこの質問に対して安倍総理は、「支持率に一喜一憂することなく、必要な政策を今後も続けていきたいと思います」と答えました。

 「お前らまったくいい加減にせえや」と怒鳴りつけたくなるようなこの場面で、安倍総理はなぜこのような冷静な対応ができたのでしょか。

 

うつ状態」の経験が活かされている

 それは、安倍総理には過去に苦い経験があったからです。このブログの最初で取り上げたように、第一次安倍内閣では徹底した反安倍のマスコミ報道もあって、参院選挙で歴史的な大敗を喫し、安倍総理は退陣を余儀なくされました。その際には安倍総理が、持病の潰瘍性大腸炎を悪化させただけでなく、わたしにはうつ状態になっているように映りました。

 うつ状態は過去の失敗に囚われ、自分を責め続けることによって生じる病態ですが、安倍総理はこのうつ状態を克服しました。その過程で安倍総理は、昭恵夫人や後援会の人々に支えられながら、自分の失敗に向き合い、自分が何をすべきだったのかだけでなく、その後の政権の失敗からも教訓を学び取ろうとしました。

 こうした苦難の日々を経て、安倍総理には次のような変化が生じたと政治評論家の石橋文登氏は指摘します。

 

 人間性も変わりました。『プリンスメロン』と言われた父、安倍慎太郎譲りの優しさ、優柔不断さが影を潜め、祖父、岸伸介譲りの老獪(ろうかい)さ、陰険さ、しぶとさが芽生えてきました」(『安倍「一強」の秘密』1)184頁)

 

 安倍総理は失脚後の地獄のような日々を経て、失敗に向き合い、失敗の経験から多くを学び取りました。その結果として、老獪さやしぶとさを身にまとうようになったのです。この老獪さやしぶとさによって、陰険極まりないマスコミと対等に渡り合えるようになったのだと考えられます。

 

岸元総理のDNA

 もう一つの安倍総理の支えになっているのは、祖父である岸信介元総理の、在りし日の姿だったのではないでしょうか。 

 岸内閣が行った1960年の日米安全保障条約の改定は、アメリカ軍に基地を提供するためだけの条約から、日米共同防衛を義務づけたより平等な条約に改正するという、当時の日本にとって必要不可欠なものでした。それにもかかわらず、「日米安保は、日本をアメリカの戦争に巻き込む」という有り得ない主張が喧伝され、改定に反対する声は瞬く間に広がりました。国会議員だけでなく、労働者や学生、および国内左翼勢力が結集して、日本史上空前の規模の反政府、反米運動に発展しました。
 1960年5月19日の国会で与党が強行採決を行った後には、連日国会に抗議デモが押し寄せました。6月にはいると、10日に大統領訪日の日程を協議するため来日したハガチー大統領報道官がデモ隊に包囲されて動けなくなり、アメリ海兵隊のヘリコプターで救出されたハガチー事件、15日に全学連が国会突入し、機動隊と衝突して東大生樺美智子さんが圧死した事件、16日にアイゼンハワー大統領訪日中止が決定するといった出来事が続き、19日には30万人を超えるデモが行われました。

 こうした騒乱の中で岸総理は、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」と動じることはありませんでした。さらに、デモ隊が首相官邸を取り囲み、身の安全を護れないからと警察から退去を勧められた際には、「首相官邸で死ぬのなら、これは男子の本懐だ」と述べたという逸話も残っています。

 条約発効の23日に岸信介総理は辞意を表明し、翌月に内閣は総辞職しました。しかし、日米安保改定は後に評価され、岸総理は後々まで政界で影響力を残しました。そして晩年まで政界に確固たる地位を保ったことから、岸元総理は「昭和の妖怪」と呼ばれることになったのです。

 

後の世に評価される政策

 安倍総理の中には、安保改定の際に岸元総理が示した姿勢が、脈々と受け継がれれているのではないでしょうか。

 すなわち、どのような非難を受けようとも、いかなる困難が待ち受けようとも、場合によっては身の危険を感じることがあっても、日本の将来にとって必要な政策は信念をもってやり遂げようとする政治姿勢です。

 岸元総理が示したこの姿勢が、安倍総理にとって指針となり、模範となっているのではないでしょうか。そして現在も続く強烈な逆風の中でも、安倍総理の折れない心を支えているのではないでしょうか。

 新型コロナウィルスという未知の感染症に翻弄されながらも、安倍総理は念願の憲法改正を諦めていないようにみえます。それは決して平たんな道ではなく、困難極まりない道のりです。しかし、安倍総理は将来の日本のために、最後まで憲法改正の可能性を探り続けるでしょう。この姿勢こそが、安倍政権が歴代最長になったもっとも大きな要因ではないではないかと考えられます。(了)

 

 

文献
1)石橋文登:安倍「一強」の秘密.飛鳥新社,東京,2019.