祖国を貶める人々 吉田清治(1)

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 前回までのブログで、日本にはなぜ祖国を貶めようとする人々が存在するのか、という疑問について検討してきました。祖国を貶めようとする人たちには、次のような特徴がありました。

 ・日本の伝統に裏づけられた、自らが帰属する集団を持っていない。そのため彼らは、新たな帰属集団に容易に移行する傾向があり、新たな集団への忠誠を果たそうとするために、それが従来への集団との対立や敵対行動につながりやすいという特徴がある。

 ・対米戦争で完膚なきまでに打ち負かされた反動で、戦争は一部の狂信的な軍国主義者が起こしたものであり、日本人は平和を愛する国民であると自らを規定する。そして、平和憲法を抱くことで永遠に平和が守られるという、現実の国際関係を無視した空想的平和主義を信奉している。

 ・開国から対米戦争の惨敗、占領から経済戦争の敗北に至る歴史から生まれたアメリカへの屈辱感と反米感情を意識できないことで、共産主義への盲目的な共感と、親米政権への執拗な敵意を示すようになった。

 以上のような特徴を踏まえたうえで、今回は実際に日本を貶めた人々のうち、まず吉田清治氏について検討したいと思います。

 

従軍慰安婦問題の端緒

 吉田清治氏が日本を貶めた最大の功績(?)は、従軍慰安婦問題を創作する端緒となったことです。まず、従軍慰安婦問題を振り返っておきましょう。

 1982年の9月2日の朝日新聞に、従軍慰安婦問題の発端となった「済州島で韓国人女性を強制連行した」という吉田清治氏の告発を取り上げた記事が掲載されました。その後吉田氏は、1983年7月に『私の戦争犯罪朝鮮人強制連行』を出版します。同年10月には朝日新聞が、「韓国の丘に謝罪の碑」という見出しで再び吉田氏を取り上げ、11月には「ひと」欄で吉田氏の謝罪活動を紹介します。

 続いて吉田氏は、1983年12月に天安市に私費で「謝罪碑」を建立し、12月15日の除幕式に出席してその碑の前で土下座しました。同年12月24日の朝日新聞は、「たった一人の謝罪」という見出しで、土下座をする吉田氏の写真とともにこの様子を掲載しました。

 

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 こうして、吉田清治氏の告発を端緒とした、朝日新聞従軍慰安婦告発の火ぶたが切って落とされたのです。

 

軍の関与をスクープ

 1992年に、慰安婦問題は新たな展開をみせます。朝日新聞は1月11日の朝刊で、「慰安所 軍関与示す資料」という見出しの記事を掲載しました。記事では、慰安所の設置や従軍慰安婦の募集について、次のように記されました。

 

 「日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛研究所図書館に所蔵されていることが十日、明らかになった」(『慰安婦と戦場の性』1)12頁)

 

 この記事は、慰安所の設置や慰安婦の募集が、民間の業者が自主的に行ったのではなく、軍によって監督、統制されていたことを示します。他の新聞も1日遅れで慰安婦問題の報道を追随し、韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道されました。

 さらに、「五十年以上前の話で、はっきりした証拠はないが、何らかの関与があったということは認めざると得ないと思う」と語った渡辺美智雄外相の発言を歪曲し、ジャパン・タイムズが「この発言は、政府の責任者が日本軍によって第二次大戦中に何十万人ものアジア人〈慰安婦〉に対する強制売春に加担したことを、初めて認めたもの」と、語ってもいない内容を加えた悪質な解説文を付けて報道しました(以上、『慰安婦と戦場の性』13頁)。

 こうして朝日新聞の報道は、従軍慰安婦を国際問題にまで拡大させることになりました。同年1月16日、つまり朝日新聞の報道から5日後に訪韓した宮沢首相は、荒れ狂う反日デモを目の当たりにし、青瓦台で行われた首脳会談で8回(!)もの謝罪と反省を繰り返し表明しました。

 

吉田清治の話はウソだった

 ところがこの騒動の発端であった吉田清治氏の話が、まったくの作り話であったことが明らかになります。

 吉田氏の著書『私の戦争犯罪』を読み返して不信の念を強めた秦郁彦氏は、本人に問い合わせたうえで実際に済州島を訪れ、現地で吉田証言に基づいた調査を行いました。その結果、島民たちが「でたらめだ」と一蹴したことをはじめ、吉田証言を裏付ける事実が何一つ見つからないことが明らかになりました。この調査結果を秦氏は、1992年4月30日の産経新聞で発表しています(以上、『慰安婦と戦場の性』229‐248頁)。

 それにもかかわらず、朝日新聞は同年の5月24日に、吉田清治氏が韓国に謝罪の旅に出かけ、「今こそ自ら謝りたい」と宣言していることを記事にしています。

 

河野談話

 翌1993年に、一連の騒動はピークを迎えます。8月5日に各新聞は、慰安婦問題に関する第二次調査結果と、それに関連した河野洋平官房長官談話を掲載しました。従軍慰安婦問題の方向を決定づけた、いわゆる河野談話です。

 朝日新聞河野談話の内容を、「慰安婦〈強制〉認め謝罪-総じて意に反した」という見出しで伝えました。ここから、「従軍慰安婦は本人の意に反して強制的に連行された」と日本政府が認め、この見解が真実であると日本人自身でさえ捉えるようになりました。

 ところが、慰安婦問題に関する調査では、強制性を裏付ける資料は存在しませんでした。強制性の根拠となったのは、慰安婦だった女性たちの証言であり、しかもこの証言の裏づけ調査は行われていませんでした。

 では、なぜ慰安婦だった女性たちの証言が真実だと認定されたかと言えば、それは河野官房長官の次の言葉がすべてを現わしています。

 

 「文書はなかった。けれども、本人の意思に反して集められたことを強制性と定義すれば、強制性のケースが数多くあった」(『慰安婦と戦場の性』256頁)

 

 これは、本人が強制だと言ったから強制だったという説明であり、客観性のある調査ではなく単なる聞き取り調査にすぎなかったことを示しています。

 

軍の関与とはどういう意味だったのか

 先に朝日新聞のスクープ、「慰安所 軍関与示す資料」という記事を紹介しましたが、では軍の関与とは、どのような内容を指しているのでしょうか。

 吉見義明の『従軍慰安婦資料集』2)には、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」として次のように記されています(カタカナをひらがなにし、漢字を現代のものにするなど分かりやすくしてあります)。

 

 支那事変地における慰安所設置のため、内地においてこれが従業婦等を募集するにあたり、ことさらに軍部了解等の名義を利用しために軍の威信を傷つけ、かつ一般民の誤解を招く虞(おそれ)あるもの、あるいは従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し、社会問題惹起する虞(おそれ)あるもの、あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠くために募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べを受ける者ある等注意を要する者少なからざるに就いては、将来これらの募集等に当たりては派遣軍において統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、その実施に当たりては関係地方の憲兵および警察当局との連携を密にし、もって軍の威信保持上並びに社会問題上遺漏なきよう配慮相成る度依命通牒す」(『従軍慰安婦資料集』105‐106頁)

 

 以上は、慰安婦を募集するにあたり、軍の名義を利用して軍の威信を傷つける者や、不適切な方法で募集したり、誘拐に類することをして警察に取り調べを受ける者までが出たため、今後は地方の憲兵や警察と連携して社会問題を起こさないように配慮しなさいという内容です。

 さらに、他の資料では、「性病の予防のために、適切なる指導をし、慰安所の衛生管理を遺漏なくするように」(同172頁)、「掠奪や強姦を厳重に取り締まるとともに、慰安設備を整えるように」(同210頁)など、性病の拡がりや強姦を防止するために慰安所の管理を行うように指示していたことが記されています。

 

朝日新聞の作為

 このように、日本軍が従軍慰安婦の募集を監督、統制したのは、誘拐まがいの強制連行が起こらないように、そして性病の広がりや掠奪・強姦を防止するために関与していたのです。つまり、軍が関与していたといっても、それは強制連行を指示したのではなく、慰安婦たちの身の安全を守るために関与したという意味でした。

 先の朝日新聞の記事は、軍が慰安婦の強制連行を指示したように読み取れる内容でした。朝日新聞はなぜ、正反対の印象を抱かせる記事を書いたのでしょうか。

 それは、資料を詳しく読んでいないか、読んでいてたとしてもわざと逆の内容として記事にしたかです。資料をきちんと読んでいないのは論外ですが、もし読んでいたとして虚偽の内容を記事にしたのだとすれば、朝日新聞が正義のためなら(もちろんそれは朝日新聞が主張する正義ですが)、どのような手段を用いても構わないと考えているからでしょう。

 

慰安婦問題のその後

 河野談話の後に、慰安婦問題は国連の人権委員会で取り上げられ、世界的な問題になりました。1996年のラディカ・クマラスワミ女史による報告書に基づいて、国連人権委員会従軍慰安婦問題について非難勧告を出しました。2007年にアメリカ合衆国下院121号決議では、「(慰安婦は)残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模人身売買のひとつである」と認定されました。これらは、吉田証言が虚偽であることが判明した現在でも、取り消されることなく生き続けています。

 韓国はこうした従軍慰安婦問題を、日本を非難するための格好の材料として利用しました。そのために作られたのがあの慰安婦像です。

 慰安婦像は日本軍の残虐性と非道徳性を示す象徴として、韓国各地に建てられましたが、それだけでなく日本大使館前にも堂々と設置されています。さらにはアメリカ、カナダ、オーストラリア、中国、ドイツなど海外にも次々と設置され、現在世界で50を超えるまで増えています。

 最近では、「慰安婦に土下座する安倍総理像」までが造られました。

 

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 こうして、吉田清治氏と朝日新聞がタッグを組んでねつ造した従軍慰安婦問題は、今も世界中で日本人の品位と誇りを貶め続けているのです。(続く)

 

 

文献

1)秦 郁彦:慰安婦と戦場の性.新潮選書,東京,1999.

2)吉見義明編集:従軍慰安婦資料集.大月書店,東京,1992.