祖国を貶める人々 吉田清治(3)

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 前回のブログでは、吉田清治氏が、過去の慰安婦狩りに贖罪と懺悔を繰り返すことによって、戦後の正しい日本人の象徴に生まれ変わったとする経緯を概観しました。そして、自己犠牲に満ちた精神の持ち主として振舞い、さらに朝鮮の人々の前で土下座することによって、朝日新聞、旧社会党、挺隊協(韓国挺身隊問題対策協議会)、北朝鮮の組織などから英雄視されるに至ったことを検討しました。

 しかし、吉田氏の慰安婦狩りは、事実に基づかない虚偽の作り話でした。なぜ吉田氏は、虚偽の話まで作って、世に出ようとしたのでしょうか。

 今回のブログでは、この問題について検討したいと思います。

 

最初の著作

 昭和52年に吉田清治氏は、『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』1)という最初の著作を出版します。このなかで吉田氏は、自らが朝鮮人狩りや慰安婦狩りを行った経緯を自伝的に記しています。この時点では「韓国済州島での慰安婦狩り」の話しは出てきませんので、前回のブログで取り上げた「慰安婦狩り」の阿鼻叫喚のストーリーは、この本を出発点とし、次第に内容がエスカレートして誕生したのではないかと推察されます。

 それはさておき、吉田氏はこの時点で、朝鮮人男性を労働力として、朝鮮人女性を慰安婦として狩りたてていたというフィクションを創造し、それらに関わった自らの罪を告白して懺悔するというストーリーを創り上げていました。

 

非人間的な心と行為

 さて、この「自伝」のあとがきの冒頭で、吉田氏は次のように述べます。

 

 朝鮮民族に、私の非人間的な心と行為を恥じて、慎んで謝罪いたします」(『朝鮮人慰安婦と日本人』198頁)

 

 まずこのように記すことで吉田氏は、非人間的な心で非人間的な行為を行ったのは過去の自分であり、それらを恥じて謝罪する今の自分は、過去の非人間的な自分とは別の人間に生まれ変わったと宣言します。

 ところで、吉田氏は朝鮮人狩りをしていないのですから、非人間的な心と行為を持っているわけではありません。では、非人間的な心と行為を有しているのは誰なのでしょうか。

 それは、吉田氏以外の日本人です。

 

 「第二次大戦で外国人(中略)を一千万人も殺した戦前の私たちと同じように、現在の日本人も排他的な国益の概念を愛国心だと妄信して、人類共存の理念に反する諸法令をつくり、弱肉強食の獣性に堕ちている」(『朝鮮人慰安婦と日本人』198頁)

 

 胸のレントゲンに白い影が映ったため軍の徴用を免除された吉田氏は、戦争で外国人を殺すことはありませんでした。ここでも吉田氏は、戦前において戦争に参加した日本人を非難します。それだけでなく、「排他的な国益の概念を愛国心だと妄信して」いるとして、戦後の日本人も非難しています。

 つまり、吉田氏が、自らの行為を反省していると語る部分には本当は関与しておらず、実際に戦争に関与した人々と、戦争を反省しない戦後の日本人を非難しているのです。

 

他民族を差別する日本人

  そして、ここからが吉田氏の真骨頂です。

 

 「現在もなお日本人は、在日外国人の大多数を占める朝鮮民族と台湾民族に対して、特に疎外感をもち、諸法令をつくって排斥し、侮蔑の心で差別して、難民生活を強いてかえりみない。日本人は現在も、民族としての徳性に欠け、人間性を見失っている。私はそれを放置してきた」(『朝鮮人慰安婦と日本人』198‐199頁)

 

 吉田氏の日本人への非難は、徐々にヒートアップして行きます。朝鮮民族と台湾民族に対して、日本人は疎外感をもち、排斥し、侮蔑の心で差別して、難民生活を強いてかえりみないと非難します。

 確かにこのように振る舞う日本人は存在するかも知れません。しかし、それはごく一部の偏った人たちであり、大多数の日本人は在日外国人を受け入れながら、当たり前に日常生活を送っているでしょう。

 吉田氏は、一部の偏った人々の行為をあたかも日本人一般の特質かのように捉え、日本人は「民族としての徳性に欠け、人間性を見失っている」と断罪します。

 ここではすでに、「道徳心をもち人間としての尊厳を有する吉田氏」と「徳性を欠き人間性を見失っている日本民族」という対立する構造が出来上がっています。

 

朝鮮民族への差別

 吉田氏の日本人への非難は、朝鮮民族への差別に収れんして行きます。

 

 「在日朝鮮民族は民団系と総連系を問わず、すべての人が教育・就職・福祉・居住・結婚・交際などの面で、日本人から差別され排斥されている。日本人の母親は、息子や娘が在日朝鮮民族と結婚することを拒否し、父親は借家やアパートを在日朝鮮民族には貸そうとしない。日本の子供たちは朝鮮高級学校などの生徒を、登下校の駅や路上で襲撃して傷害を加え、日本人としての自負心をたしかめている。日本人の少年少女たちは、このまま成人すれば、文明人としての徳性を一生もつことができないだろう」(『朝鮮人慰安婦と日本人』199頁)

 

 ここでも吉田氏は、朝鮮民族が日本でいかに差別を受け、排斥されているかを強調します。「朝鮮高級学校などの生徒を、登下校の駅や路上で襲撃して傷害を加え」るというごく一部の子どもたちの行為を、日本人の少年少女たち一般の行為のように表現し、「このまま成人すれば、文明人としての徳性を一生もつことができないだろう」と断罪しています。

 虚偽の話を作って世に出ようとしている彼が、いったいどのような立場で日本の少年少女に道を説き、「文明人としての徳性」を示すことができるのでしょうか。

 

人類のすべての差別に反対する

 ついに吉田氏の主張は、人類の普遍的価値の領域まで達します。

 あとがきの最後を、吉田氏は次のように締めくくります。

 

 「戦前戦後を通じて、私は民族的悪徳をもって一生を送ってきたが、老境にいたって人類共存を願うようになり、人間のすべての『差別』に反対するようになった。

 日本人の青少年よ、願わくは、私のように老後になって、民族的慚愧の涙にむせぶなかれ」(『朝鮮人慰安婦と日本人』200頁)

 

 民族的悪徳、それは朝鮮人男性を労働力として、朝鮮人女性を慰安婦として狩りたてていたというフィクションでしたが、吉田氏はそれを民族による悪徳と定義し、自らはそこから脱して、ついには人類の共存を願うようになったと語ります。さらに、「人類すべての『差別』に反対する」と主張するに至ります。

 そして、この境地から青少年に、「慚愧の涙に」むせばねばならないような、悪徳をもった日本人にならないように警告を発しています。

 ここからは、悪徳をもつ日本民族と、そこから脱してすべての差別に反対し、人類の共存を願う境地に至った吉田氏という対立構造がみてとれます。そして、徳性を失った日本人にならないように青少年を導きたい、それこそが老境に至った自分の最後の願いであると主張することが、この本を出版した目的であると吉田氏は締めくくっているのです。

 

差別をなくすためなら

 それにしても、「慰安婦狩り」という虚偽のストーリーを創作し、「慚愧の涙」という名のウソの涙を流し、さらに自分以外の日本人に無実の罪をきせることに、吉田氏は良心の呵責を感じなかったのでしょうか。

 そこには吉田氏の、巧妙な自己正当化の心理が働いていると思われます。それはすべての人類への差別に反対し、人類の共存を願うこと、そして日本民族の徳性を復活させ、日本の青少年を正しい文明人の姿に導くという目的のためなら、少々の嘘(?)は許されるというものでしょう。つまり、正しい目的のためなら、どのような手段を用いても構わないという自己正当化の心理が働いたのです。

 

正反対の結果

 しかし、吉田氏の言動は、日本民族の徳性を復活させ、日本の青少年を正しい方向に導くことはできませんでした。それどころか、日本民族の品位と誇りを貶め、日本の青少年から誇りと自尊心を失わせるために大きな役割を果たすことになりました。

 なぜ、このような結果になったのでしょうか。それは吉田氏の本当の目的が、人類の差別に反対し、人類の共存を願うことにはなかったからです。彼の本当の目的は、虚偽の話をもとに自分を売り出し、高潔な姿を世に示すことによって、自分の自尊心を満たすことでした。そのためには、他の日本人が蔑まれることになっても構いませんでした。

 彼の周りには、同じような自己正当化を行い、差別への反対を掲げる人々が集まりました。朝日新聞、旧社会党、挺隊協(韓国挺身隊問題対策協議会)、北朝鮮の組織などの人々です。吉田氏は彼らに祭り上げられて一時的にはヒーローになり、そして用が済むと捨てられたのでした。

 晩年の吉田氏を訪れる人はなく、寂しい最後だったと言います。

 

今も世界で同じような運動が

 最近のアメリカでも、ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切)をスローガンとした、黒人への警察の残虐行為に反対する抗議運動が全米で繰り広げられました。

 

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 この運動に紛れて、アンティファ(Antifa)という組織が、抗議活動を乗っ取り、商店の破壊や放火、略奪などを主導しました。

 アンティファという名称はアンチ・ファシズム(反ファシズム)を意味し、ナチス・ドイツの台頭に立ち向かおうとした社会主義者らのグループに由来しますが、現在はファシズムだけでなく、人種差別、性差別、宗教的差別などに反対し、偏見のない世界を誕生させるために闘うと主張しています。彼らは偏見のない世界を実現させるためには暴力革命も辞さない構えをみせており、今回の抗議運動が広がるなかでも、ワシントン州シアトル市の中心部を武力で占拠し、アンティファ自治区を宣言しています。

 正しい目的のためにはどのような手段を用いても構わないという正当化は、時代と国境を越えて広がっているのです。(了)

 

 

文献

1)吉田清治朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記.新人物往来社,東京,1977.