前回までのブログでは、韓国が日本を非難する植民地支配、従軍慰安婦、徴用工といった問題は現実の史実ではなく、歴代の中華帝国から受けた「人類史上類例のない過酷な支配」を元に創作した、架空の物語であることを検討してきました。この架空の物語に対して、一部の日本人はこの物語を信じただけでなく、物語の創作に参加する者さえ現れました。そして、歴代の日本政府はひたすら謝罪と賠償を繰り返してきました。
なぜ日本人は、韓国に対してこのような態度をとってきたのでしょうか。
日本人の後ろめたさ
以前のブログでも指摘しましたが、この不可解な行動の背景には、明治維新から併合時代に朝鮮に対して生じた、日本人の後ろめたさの感情があると思われます。この感情について、もう一度振り返っておきましょう。
岸田秀氏は、『ものぐさ精神分析』1)の中で、日本が朝鮮人を日本人として扱おうとし、近代化を朝鮮でも再現しようとした心理的な理由を次のように説明しています。
「実際、朝鮮を植民地にする経済的、軍事的必要はあったかもしれないが、朝鮮人を日本人にしなければならなかった理由は心理的なもの以外は考えられない。ここには、A・フロイドの言う攻撃者との同一視の機制も働いていた。たとえば、幽霊が恐ろしい子どもがみずから幽霊のまねをすることによってその恐怖から逃れるのがこの防衛機制である」(『ものぐさ精神分析』17頁)
この防衛機制は、心理学的には攻撃者との同一化 identification wiht aggressor と呼ばれています。
フロイトの娘であり、児童分析の道を開拓したアンナ・フロイトは、お化けの恐怖から逃れるために自分がお化けの真似をする少女や、教師から叱られる不安に打ち勝つために、教師の表情を模倣して「しかめっ面」を繰り返す少年の例を挙げて、この心理機制を説明しています。
さらに彼女は、次のように指摘しています。
「子どもは不安を起こさせる対象のある特徴を取り入れることによって、彼の受けた不安経験を処理する。ここでは、取り入れまたは同一化の機制が、第2の重要な機制と組み合わされている。攻撃者をまねたり、属性を装ったり、攻撃性をまねたりすることにより、子どもは脅かされる側から、脅かす側へと自分を変える。(中略)この受容的役割から攻撃的な役割への変換が、幼児期における不快かつ外傷的な経験の処理に、重要な役割をなしている」(『アンナ・フロイト著作集2 自我と防衛機制』2)90頁)
アンナ・フロイトは、子どもの心理的防衛機制について述べているのですが、この指摘は、集団の心理にも応用することができます。明治維新後の日本は、「欧米諸国をまねたり、属性を装ったり、攻撃性をまねたりすることにより、脅かされる側から脅かす側へと自らを変えた」のであり、「この受容的役割から攻撃的な役割への変換が、近代日本の揺籃期における(米国から受けた)不快かつ外傷的な経験の処理に、重要な役割を果たし」たのです。
この心理機制が、朝鮮にも向けられました。
岸田氏は、次のように続けます。
「日本人は、おのれを恐ろしい攻撃者である欧米人と同一視して日本を欧米化し、朝鮮を日本化することによって、欧米と日本との関係を、日本と朝鮮との関係にずらして再現しようとした。欧米との関係で自己同一性を危うくされた日本人は、朝鮮人の自己同一性を奪うことによって、おのれの自己同一性を建て直そうとした」(『ものぐさ精神分析』17頁)
このように岸田氏は、アメリカによって無理やり開国させられ、欧米文化を取り入れざるを得なかった日本人が、アイデンティーティーの危機に瀕したことが朝鮮を併合した一因であったと指摘します。そして、自らがされたことを朝鮮で行い 、自らの心理的な危機を乗り越えようとしたのだと説明しています。
後ろめたさの正体とは
日本人が自らのアイデンティーティーを保つために行った朝鮮併合は、朝鮮の人々の心理面に大きな影響を与えました。
朝鮮は中国による柵封体制の優等生として振舞い、いわゆる長兄の立場を目指してきました。柵封体制に入ったり出たりしている日本は、朝鮮からは中華思想から外れた愚かな末弟として捉えられていました。この秩序によって、朝鮮の人々は、優れた長兄としての自尊心を保ってきました。
ところが近代化を果たした日本によって、朝鮮は併合されることになりました。朝鮮の人々にとっては、これは天地がひっくり返ったような出来事でした。優れた長兄だと自負していた朝鮮の人々は、愚かな末弟と蔑んでいた日本人に、逆に支配されることになったからです。朝鮮人の自尊心は、このことによって決定的に失われたと言ってもいいでしょう。
以上のように、日本が後ろめたさを感じる対象とは、自らのアイデンティティーを立て直すために朝鮮を併合し、そのことによって朝鮮の人々の自尊心を奪ったことなのだと考えられます。
後ろめたさがもたらした莫大な投資
この後ろめたさがあったために、日本の朝鮮併合は、欧米諸国の植民地化とはまったく様相を異にするものとなりました。
欧米諸国は搾取するために植民地化政策を行いましたが、日本は自らの近代化の正しさを証明するために朝鮮を併合しました。そして、併合した後ろめたさがあったために、植民地化とは程遠い内容の政策を行いました。
朝鮮に5千もの公立学校を作り、日本にまだ5つしかなかった帝国大学まで設立しました。鉄道網を敷いた際には、当時の日本になかった「広軌」、つまり現在の新幹線に使用されている幅の広い鉄道を使用しました。鴨緑江(おうりょくこう)に造った水豊(スプン)ダムは、日本の黒部ダムの2倍の電力量を誇る世界最大級のダムでした。さらに巨額の投資を行って、朝鮮の工業化を推進しました。
戦後に日韓基本条約を締結した際には、一緒に米英と戦ったはずの韓国に、なぜか経済協力と称して、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドルもの資金供与及び貸付けを行いました。
これらの莫大な額の投資は、併合に対する後ろめたさがあったからこそ行われたものでした。
後ろめたさから日本を非難する人たち
さらにこの後ろめたさは、驚くべき行動を日本人にとらせました。
戦前の日本の行為を、朝鮮の人々と一緒に非難する日本人が現れました。彼らは朝鮮の人々の側に立ち、戦前の日本を一方的に非難し、さらには現実に基づかない架空の物語を一緒に創作する手伝いまでしたのです。
その代表が朝日新聞でした。「済州島で韓国人女性を強制連行した」という吉田清治のうその証言を大々的に取り上げ、さらに強制連行には軍に関与があったという誤報を広めました。この一連の報道によって、それまで韓国からは指摘すらされなかった「従軍慰安婦問題」が誕生し、当時の宮沢首相の謝罪、さらに「従軍慰安婦は本人の意に反して強制的に連行された」と発表した河野談話によって、「従軍慰安婦問題」は現実に存在したものとして世界で認識されることになりました。韓国人はこの“事実”を世界に広めるため、世界各地に従軍慰安婦像を建てています。このように、「従軍慰安婦問題」という架空の物語は、日本人と韓国人の合作で生み出されたのです。
誤報を認めるまでに30年かかった
後の調査で、吉田の証言は虚偽であったばかりか、軍の関与とは、誘拐まがいの強制連行が起こらないように警察と連携して対処していたことだと判明しました。しかし、朝日新聞がこの誤報を認めたのは、30年も経った2014年でした。
なぜ朝日新聞は、30年もの間誤報を認めなかったのでしょうか。
それは朝日新聞が、報道内容の真偽は別として、絶対に正しい行いをしていると信じていたからです。戦前の日本の過ちを取り上げ、それを韓国に謝罪することが、戦後の日本人にとっての正しい姿だと朝日新聞は確信していました。絶対的に正しい行いをするという目的のためには、報道内容の真偽を確かめることなど、些細なことに過ぎないように朝日新聞には思われました。そうでなければ、本来は報道の命であるはずの報道内容の真偽を、30年間も放置していられるはずがないでしょう。
朝日新聞が従軍慰安婦問題の追及を絶対に正しいと信じた背景には、朝鮮に対する日本人の後ろめたさの感情がありました。朝日新聞はこの日本人の後ろめたさを解決するための、正義の代表であると自らを位置づけました。正義の代表であるというポジションが、自らを陶酔させ、いっそう現実を見えなくした原因であったと考えられます。
宮沢首相と河野官房長官はなぜ謝罪したか
朝日新聞によって軍の関与が指摘された直後に訪韓した宮沢首相は、韓国政府に対して8回も謝罪しました。そして、慰安婦を軍が強制連行したという資料が見つからなかったにもかかわらす、河野官房長官は「従軍慰安婦は本人の意に反して強制的に連行された」と結論し、そのうえで元慰安婦に「心からお詫びと反省の気持ち」を表明しました。
なぜ彼らはこうも簡単に謝罪を繰り返したのでしょうか。事実を確認せずに、または事実を覆い隠してまで謝罪するという行為には、トラブルが起こったらまず謝ることから始める、という日本独特の文化の存在があるでしょう。しかし、この方法は日本人同士でなら有効ですが、日本以外の文化では自らの過ちを認めることにしかなりません。それを一国を代表する政治家が知らなかったのは、日本人にとって不幸でした。
ただ、この誤った対応を、宮沢首相と河野官房長官の政治家としての資質だけに帰することはできません。それは、当時の日本社会を覆った空気があったからです。
日本軍はとんでもないことをした
当時の日本社会には、日本軍は戦前にとんでもないことをしていた、日本人はこのことを反省し、ひどい目に遭わされた韓国の女性に謝らなければならないという意見が多数を占め、これに反論をすることなど許されないという空気が満ちていました。
当時わたしは大学生でしたが、このときの異様な空気をよく覚えています。資料に直接当たったわけではなく、今ほど確信はなかったのですが、それでも従軍慰安婦には「軍による強制的な連行はなかった」ということは聞きかじって知ってはいました。しかし、それをとても口にできる雰囲気ではありませんでした。もしそう発言しようものなら、「被害に遭った女性たちを冒涜するのか」と非難されそうな空気があったからです。
この日本社会に満ちていた空気に、宮沢首相や河野官房長官は抗することができませんでした。それは、日本が日米開戦へと突入せざるを得なかった社会の空気と同質のものでした(この詳細は、2018年5月のブログ、「日本はなぜ超大国アメリカと戦ったのか」「空気とは何で、どのようにして作られるのか」をご参照ください)。
そして、この空気を作ったのは朝日新聞の報道でしたが、この空気が熟成された背後には、日本人の朝鮮の人々に対する後ろめたさの感情があったのです。
さて、こうした後ろめたさの感情を理解したうえで、次回のブログでは韓国に対する対応について考えてみましょう。(続く)
文献
1)岸田 秀:ものぐさ精神分析.青土社,東京,1977.
2)アンナ・フロイト(黒丸正四郎,中村良平訳):アンナ・フロイト著作集2 自我と防衛機制.岩崎学術出版社,東京,1982.