祖国を貶める人々 吉田清治(2)

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 前回のブログでは、従軍慰安婦問題の発端となった「済州島で韓国人女性を強制連行した」という吉田清治氏の虚偽の告発が、従軍慰安婦問題として、現在も世界中で日本人の品位と誇りを貶め続けている経緯を検討しました。

 それにしても、吉田清治氏はなぜ、祖国を貶めるような虚偽の証言をあえて行ったのでしょうか。

 今回のブログでは、この問題について検討したいと思います。

 

生々しい証言

 吉田清治氏が講演会で「慰安婦狩り」を証言する内容を、1982(昭和57)年9月2日付の朝日新聞は、次のように報道しました。

 

 「吉田さんは『体験したことだけお話しします』といって切り出した。

朝鮮人慰安婦皇軍慰問女子挺(てい)身隊という名で戦場に送り出しました。当時われわれは『徴用』といわず、『狩り出し』という言葉を使っていました』。そして十八年の初夏の一週間に済州島で二百人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』時の状況が再現された。

 朝鮮人男性の抵抗に備えるため完全武装日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地に引きずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。(中略)

 『泣き叫ぶというような生やさしいものではない。船に積み込まれる時には、全員がうつろな目をして廃人のようになっていた』

 約一時間、淡々と、ときに苦悩の色をにじませながら話す吉田さんは『かわいそうだ、という感情はなかった。徹底した忠君愛国の教育を受けていたわれわれには、当時、朝鮮民族に対する罪の意識をもっていなかった』と声をふりしぼった」(『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』1)96‐98頁)

 

 具体的な数字を挙げた、この臨場感あふれる生々しい証言を聞いて、まさがこれがすべて作り話だと思う聴衆はいなかったでしょう。

 

日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物

 こうした講演会の内容をもとに、吉田氏は翌83年に『私の戦争犯罪』を出版します。この本に不審の念を抱いた秦郁彦氏は、吉田氏に問い合わせたうえで、実際に済州島に取材に行きました。そこで「慰安婦狩り」はなかったことを確認し、さらに現地の新聞に次のような記事が載っていることを見つけます。

 

 日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく、波紋を投げている。(中略)

 島民たちは『でたらめだ』と一蹴し、この著述の信憑性に強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(85歳の女性)は『250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった』と語った。

 郷土史家の金奉玉(キムポンオク)は、『1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査をした結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる』と憤慨している」(『慰安婦と戦場の性』2)232‐233頁)

 

 済州島の人たちは、吉田氏の作り話にプライドを傷つけられ、憤慨していたというのです。

 

吉田清治は日本軍人ではなかった

 さらに、吉田清治氏の長男は次のように主張しています。

 

 「父吉田清治は日本軍人として勤務した経験もなく強制連行に加わった事実もありません。さらに労務報国会徴用隊長の職歴も虚偽であった事が判明しました」(『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』50頁)

 

 このように吉田清治氏は、そもそも軍人ではなく(胸のレントゲンに白い影が映ったため、軍の徴用を免除された)、慰安婦を強制連行するどころか、慰安婦と関わることのできる立場にすらありませんでした。

 では、なぜ吉田氏は、わざわざ虚偽の告発を行い、韓国の人々の前で土下座までして見せたのでしょうか。

 

自らの悪行を懺悔する心理

 そもそも吉田清治氏は、聴衆の前で自らの悪行を証言することに抵抗はなかったのでしょうか。もちろん、それは全くの作り話ですから、本当に残虐な行為を行った場合と比べれば、証言することに心理的は負担は少なかったでしょう。

 しかし、たとえそうであっても、若い朝鮮人女性に対して、人を人と見なさないような暴力と性的暴行、そして拉致を繰り返したことを告白すれば、自らは極悪非道な人間であると表明することになってしまいます。

 吉田氏が進んで講演を行い、自らの悪行を綴った本まで出版できたのは、そこに巧妙なトリックが隠されているからです。それは、過去と現在の自分が、まるで別の人間であるかのように振舞うことです。

 吉田氏が直接語っているわけではないためあくまで推察ですが、吉田氏は従軍慰安婦問題を告発する自らを、次のように捉えていたのではないでしょうか。

 

 確かにわたしは、戦前に朝鮮人女性に対して極悪非道な行為をした。しかしそれは、軍国主義者たちから忠君愛国の教育を受け、その考え方に盲従してしまったからである。現在のわたしはその教育の間違いに気づき、忠君愛国という洗脳から解き放たれた。そこで、過去の極悪非道な行いに対して、深い罪の意識をもとに懺悔を行いたい。そして、その行為を公にすることで、二度と日本が間違った方向に進むことがないように一石を投じたい。そのためであれば、わたしはどのような非難や叱責を受けても構わない。正しい日本の未来のために、わたしは捨て石になる覚悟である。

 

 このような自己正当化を行ったとすれば、吉田氏は、戦前の間違った日本の代表者から、戦後の正しい日本人の象徴に生まれ変わることができるのです。

 

土下座するヒーロー

 戦後の正しい日本人の象徴として生まれ変わった吉田氏は、戦前の間違いに未だ気づいていない多くの日本人とは、一線を画した存在として自らを位置づけることができます。さらに、自らが懺悔して回ることによって、彼は純粋で無欲な、そして自己犠牲に満ちた精神の持ち主として振舞うことができるでしょう。

 この欺瞞に満ちた吉田氏の一連のパフォーマンスは、朝鮮の人々の前で土下座をすることによって最高潮に達します。

 土下座は、通常は屈辱的な行為です。しかし、吉田氏の土下座には屈辱はありません。彼は戦前の間違った行いを悔い、反省し、朝鮮の人々に懺悔をする日本人の代表です。彼の献身的な行為によって、日本人は朝鮮の人々から許しを請うことができます(実際は許されるどころか、非難の猛火に油を注いだだけでしたが)。

 以上のように捉えれば、吉田氏の土下座は、自らが英雄になるための行為でした。吉田氏は、いわば「土下座するヒーロー」だったと言えるでしょう。

 事実、吉田氏のこの行為を、英雄視した人たちがいました。それが、朝日新聞、旧社会党、挺隊協(韓国挺身隊問題対策協議会)、北朝鮮の組織などです(もちろん彼らが吉田氏を英雄視したのは、彼の言動を利用して日本を貶めることが目的でしたが)。

 特に朝日新聞は、吉田氏の行為を再三紙面に取り上げ、自らの主張に取り込んで行きました。

 

朝日新聞の自己正当化

 今の姿からは想像もできませんが、戦前の朝日新聞は、自らが先頭に立って戦争を煽っていました。

 『太平洋戦争と新聞』3)によれば、戦時下の新聞は戦争遂行、勝利のための一大プロパガンダ工場と化しました。朝日新聞もその例にたがいませんでした。朝日新聞社の社内向け『朝日社報』をみると、毎号トップに、勇ましく叱咤激励する村山長挙社長の訓示が以下のように述べられています。

 『新聞を武器として米英撃滅まで戦い抜け』(昭和18年1月10日号)では、

 「国民の士気を昂揚し、米英に対する敵愾心を益々興起せしめて大東亜戦争を勝ち抜くべく指導することは、本年におけるわれわれ新聞人に課せらえた最も大なる使命の一つだと信じるのであります」(『太平洋戦争と新聞』400頁)

 翌昭和19年3月号では、朝日新聞の役割を次のように総括しています。

 「大東亜戦争勃発するや、本社は直ちに『国内是戦場』『挙社応召』の決意を固め、村山社長、上野会長、各重役をはじめ全従業員決起して『新聞も兵器なり』との信念を堅持して、報道報国のために挺身、朝日新聞の国家に対する使命完遂に全力を傾倒しつつあり、新聞の決戦体制を整えるために、率先して機構の大革新を断行した。紙面は活気旺盛、真に思想戦の武器としての威力を遺憾なく発揮している」(『太平洋戦争と新聞』401頁)

 このように戦前の朝日新聞は、戦意高揚を目指し、「新聞も兵器なり」という信念に基づいて、「報道報国」のためのに身をささげていました。
 戦争が高まる民意に押されて始められたにせよ、戦争に向かう社会の空気を煽った新聞各社の、そして毎日新聞と部数を競っていた朝日新聞の責任は大きいと言えるでしょう。

 ところが、朝日新聞は戦後に態度を一変させます。軍の暴走を追認し、さらに大本営発表を垂れ流したことを反省して、戦後には反戦と反政府の態度を貫くようになりました。過去の軍国主義を徹底して非難し、二度と日本が間違った方向に進まないように、近隣諸国との融和を第一義とし、平和を希求することを目指す方針に大転換しました。

 吉田清治氏の言動は、戦後の朝日新聞の主張にぴったりと沿うものでした。そのため、朝日新聞は再三にわたり吉田氏の言動を取り上げ、彼を戦後の英雄のように扱ったのだと考えられます。(続く)

 

 

文献

1)大高未貴:父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白.産経新聞出版,東京,2017.

2)秦 郁彦:慰安婦と戦場の性.新潮選書,東京,1999.

3)前坂俊之:太平洋戦争と新聞.講談社学術文庫,東京,2007.