日本にはなぜ祖国を貶めようとする人々がいるのか(2)

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 前回のブログでは、現在の日本に跋扈している、祖国を貶めようとする人々の出自を探る試みとして、大東亜戦争中に捕虜になった人々を取り上げました。

 捕虜のなかには、聞かれもしないうちから日本軍の機密をベラベラしゃべったり、自分から申し出てアメリカ軍の爆撃機に乗り込み、日本軍の重要な拠点を教えたりした者が少なからずいたといいます。米軍の資料には、日本人の捕虜が爆撃地点を指示している現場を撮影した写真が残っており、彼はミヤジマ・ミノルという少尉だったと記されています。

 ミヤジマ・ミノル少尉に代表される日本を裏切った捕虜たちを、「ミヤジマ・ミノル」として表記することにしましょう。「ミヤジマ・ミノル」は、日本を裏切り、日本の家族や戦友を危険に晒すような行動を採ることに、良心の呵責を感じなかったのでしょうか。

 

豊臣秀吉おしんとの違いは

 岸田秀氏は、「ミヤジマ・ミノル」の行動の源流として、「義務としてしなければならない以上のことをすることによって、友好関係を築こうとする日本人の行動様式」を指摘しています。その例として、草履取りのとき、信長の草履を懐中に入れて暖め、取り立てられるきっかけを摑んだ豊臣秀吉や、奉公先でこき使われ、苛められたにもかかわらず、主家の娘が事故に遭いそうになったときに身の危険を顧みずに助け、主家の信用を得たおしんが挙げられています(「おしん」は創作ドラマですが、歴代最高視聴率を上げたことからも、おしんの行動が日本人に支持されていることがわかります)。

 「ミヤジマ・ミノル」との違いは、「ミヤジマ・ミノル」の行動が、日本を裏切り、日本の家族や戦友を危険に晒すことに繋がるのに対して、秀吉やおしんの行動は、誰かを裏切るわけでも、家族や友人を危険に晒すわけでもないことです。秀吉やおしんは、あくまで自分が帰属する集団の中での完結した行動であり、他者や他の集団にはなんの影響も与えていませんでした。

 

帰属する集団がなかった 

 豊臣秀吉おしんには、自らが帰属する集団がありました。当初彼らは、必ずしもその集団の中で恵まれた地位にはありませんでしたが、自らの努力で、すなわち「義務としてしなければならない以上のことをすること」によって、集団の中で確固たる地位を勝ち取ってゆきました。

 それに比べて、「ミヤジマ・ミノル」には祖国に帰属する集団がなかった、または集団があっても自らが帰属しているようには感じられなかったのではないでしょうか。そのため、米軍の捕虜という「新たな帰属集団」に属することになったとき、以前の帰属集団に対して想いをはせることができなかったのでしょう。そして、自らの行為が日本軍やふるさとの人々に対して、多大な迷惑や危害を与えることになると思い至らなかったのだと思われます。

 もし、そうであったとしたら、なぜ「ミヤジマ・ミノル」は、祖国に帰属する集団を持てなかったのでしょうか。

 

近代化という社会変革

 それには日本の近代化が大きく関わっています。

 江戸時代までの日本は、和の文化を中心に据えた、均質で平等を目指した社会でした。ところが、明治維新以降の日本では、欧米諸国による植民地化を避けるため、欧米文化を取り入れ、欧米型社会への変革を遂げる必要に迫られました。

 河合隼雄氏の言葉を借りれば、それは「中空均衡構造」の社会から、「中心統合構造」の社会へと転換させる大改革でした(両構造の詳細については、2019年11月のブログ『皇室の伝統はなぜ変えてはいけないのか』(6)(7)をご参照ください)。

 河合氏は、ユダヤキリスト教のような一神教文化は、強力な中心が原理と力をもち、それによって全体が統合される構造であるとし、これを「中心統合構造」と呼びました。これに対して、日本社会は中心に「空」を有し、「空」が存在することによって対立する人物や概念が中和され、均衡を保っていく構造が認められるとして、これを「中空均衡構造」と呼びました。

 この中空均衡構造は、中心が何もないバウムクーヘンのような構造を呈しており、これをシェーマ化すると以下のようになるとわたしは考えています(図はバウムクーヘンを真ん中で切った断面図です)。

 

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                  図1

 

 図1のように、日本は中心に天皇という空をいただき、その周りを各階層が取り巻く、平等で均質な社会構造を呈していました。

 近代化によって日本が欧米型の中心統合構造社会を目指した結果、日本社会は以下のようなピラミッド構造に変革されました。

 

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                  図2

 

 図1から図2にみられるような急激な社会変革は、明治維新から始まり、大東亜戦争のときに頂点に達しました。

 

近代化の代償

 しかし、日本社会は千八百年以上にわたって、天皇を中心の空に据えた、中空均衡構造を護ってきた伝統をもっています。それを明治維新から七十年余りで、欧米式の中心統合構造社会に作り替えることには無理がありました。 

 前回のブログで、ミヤジマ・ミノル少尉の資料を紹介し岩川隆氏が、「外来語が外国人のなかでかれらが共有する意味を失って輸入され、日本人ならではの倫理と感性を育てない原因になっている」と述べているのは、欧米文化の輸入が日本に根付いていないばかりか、日本文化に基づく倫理や感性を育てない原因になっていることを意味しています。

 そして、「国家をさきに考えるような『愛国者』はけっきょくミヤジマ・ミノルと同じようなうらはらな、新しい権力集団に追従する『裏切者』を生むのではないか」と述べているのも、皇国を中心概念とするような社会構造が、伝統的な日本の愛国者を生むことには繋がらないばかりか、日本への裏切者を生む結果に繋がることを岩川氏は示唆しているのです。

 

伝統的な帰属集団が失われた

 近代化という社会の激変の中で、伝統的に受け継がれてきた古くからの帰属集団が失われる事態が生じました。

 社会の変革は、伝統的な宗教や文化の軽視として、身分制度の廃止として、家という制度の衰退として、そして村落共同体の消失といった現象として現れました。これらは古いもの、遅れたものとして認識されましたが、一方では安定した揺るぎない帰属集団を形成する機能を有していました。

 新たな時代になり、人々は変革された社会構造の中に新たな帰属集団を見つけようとしました。ところが、新たな帰属集団には、歴史や伝統に裏打ちされた安定した基盤が存在していません。そのため、新たな帰属集団に入りきれない者や、新たな帰属集団に属しても、居心地の悪さを覚える者が少なからず存在したと思われます。

 「ミヤジマ・ミノル」は、新たに創られた祖国の帰属集団のなかに、そして皇国の軍隊という組織のなかに、自らの存在意義を見つけ出すことができなかったのではないでしょうか。そのため彼らは、米軍の捕虜となったときに、日本軍の一員としての役割を捨て去り、米軍の中に新たな役割を見出そうとしたのだと考えられます。その際に彼らの意識からは、過去の帰属集団の存在は失われており、過去の帰属集団に属する人々に思いをはせることができなくなっていたのでしょう。

  「ミヤジマ・ミノル」という特異な存在が生まれた背景には、確固とした帰属集団が失われたという日本社会の構造的な問題があったのです。

 

 さて、次回のブログでは、「ミヤジマ・ミノル」の特徴について、さらに掘り下げて検討してみたいと思います。(続く)

 

 

参考文献

・岸田 秀:幻想の未来.河出書房新社,東京,1985.