日本にはなぜ祖国を貶めようとする人々がいるのか(3)

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 大東亜戦争中に捕虜になった人々のなかには、聞かれもしないうちから日本軍の機密をベラベラしゃべったり、自分から申し出てアメリカ軍の爆撃機に乗り込み、日本軍の重要な拠点を教えたりした者が少なからずいたといいます。米軍の資料に残っているミヤジマ・ミノル少尉に代表される、日本を裏切った捕虜たちを「ミヤジマ・ミノル」として表記することとします。

 「ミヤジマ・ミノル」が誕生した背景には、近代化によって日本社会の構造が劇的に変化し、個々人が帰属できる集団が失われたことがありました。「ミヤジマ・ミノル」は、新たに創られた祖国の帰属集団のなかに、そして皇国の軍隊という組織のなかに、自らの存在意義を見つけ出すことができなかったのだと考えられます。そのため米軍の捕虜になったときに、日本軍の一員としての役割を捨て去り、米軍の中に新たな役割を見出そうとしました。その際に彼らの意識からは、過去の帰属集団の存在は失われており、過去の帰属集団に属する人々に思いをはせることができなくなっていたのです。

 今回のブログでは、「ミヤジマ・ミノル」の特徴について、さらに掘り下げて検討してみたいと思います。

 

卑屈な行為
 岸田秀氏は『幻想の未来』1)のなかで、「ミヤジマ・ミノル」の特徴について、卑屈さという側面から検討しています。
 岸田氏は「ミヤジマ・ミノル」について、次のように述べています。

 「このような捕虜は日本の捕虜にしか見られなかった。もちろん、拷問に屈して敵に協力した捕虜はどこの国の兵士にもいたし、たとえばイタリア兵の捕虜のように、もともとファシズムに心酔していなかったとか、インド兵の捕虜のように、宗主国イギリスの戦争に強制的に狩りだされていたに過ぎなかったとのかのため、味方も裏切った者はいた(それにしても彼らは、日本兵の捕虜ほどの『卑屈な』ことはしなかった)。(中略)
 その種の捕虜は別として、日本兵以外の捕虜たちは、ジュネーヴ協定を盾に取ったりして、捕虜として課せられる労役などの義務以上のことをするのを拒否するのが普通であった。そして、それを拒否するときの彼らの態度は堂々としていた」(『幻想の未来』65頁)


 もともとファシズムに心酔していなかったイタリア兵の捕虜や、イギリスに強制的に狩りだされたインド兵の捕虜の一部には、ファシズム大英帝国に反抗するために味方の軍隊を裏切った者がいました。彼らには、伝統的なイタリヤ文化やインド文化に基づいた帰属集団があり、彼らの裏切り行為は、祖国の集団に利するために行われました。
 このような例外的な場合を除いた一般的な捕虜は、自国の戦争に誇りを抱いており、捕虜になったとしても義務以上のことを拒否するなど、堂々と振舞いました。
 これに対して「ミヤジマ・ミノル」は、敵軍におもねるかのように、自国への裏切り行為を自ら進んで行ったのです。こうした日本兵の卑屈な態度は、他の国のどの捕虜には認められない特徴でした。
 なぜ「ミヤジマ・ミノル」は、他国の捕虜にはない「卑屈」な態度をとったのでしょうか。

 

欧米人と対神恐怖

 岸田秀氏は、卑屈さとは「場違いな忠誠」、「忠誠という共同幻想から逸脱した忠誠である」と指摘した後で、まず対神恐怖について次のように述べています。

 

 「卑屈か忠誠かは観点の問題に過ぎないから、わたしの観点から見れば、対神恐怖の欧米人(少なくとも、神への信仰が薄れる以前の)の神に対する態度はまさに卑屈そのものである。

 彼らはいつも神に認められ、気に入られるよう、神に咎められないよう汲々としており、そのためにいじましい努力を怠らない(同じ一神教徒であるイスラム教徒の神に対する態度も、とくに、一日に何回かは知らないが、一定の時間にメッカの方向へ向かってひれ伏し、地面に頭をすりつけて礼拝する姿などは、卑屈の極と見える)。

 しかしもちろん、彼ら自身にとっては、それは敬虔な信仰心の表われであって、卑屈だなんてとんでもない」(『幻想の未来』67‐68頁)

 

 このように欧米人は、神に対して恐怖心を抱き、神に対して忠誠を誓うという行動原理を有してきました。

 

日本人と対人恐怖

 神に対して恐怖心を抱いて忠誠を誓う一方で、人に対しては堂々を振舞う欧米人からみると、対人恐怖を抱き、人に対して忠誠を示す日本人の姿は、しばしば卑屈に映ったと岸田氏は指摘しています。

 

 「対人恐怖の日本人のある種の対人態度は、対人恐怖を共有していない欧米人には一般に卑屈と見えるらしい。(中略)彼らは日本人が頭を腰よりまだ下までさげて挨拶する姿に驚いている。わたしの子どもの頃にはまだ、田舎のお婆さんなんかが、ちょうど地面にぬかづくイスラム教徒のように、おたがいに長いあいだ畳に額をこすりつけて挨拶を交わす姿が見られたが、こういう姿は、欧米人には奇異に見えるのであろう。(中略)

 このような外面的な礼儀作法だけでなく、(中略)当然の権利を主張せず、義務としてしなければならない以上のことをすることによって友好関係を築こうとする日本人のやり方そのものも、権利を主張し、義務以上のことはしないことを人間関係の基本とする欧米人には、卑屈と見えるであろう」(『幻想の未来』68‐69頁)

 

 対人恐怖を人間関係の基本に置き、人に忠誠であろうとするあまり「義務以上のことをして友好関係を築こうとする」日本人の態度は、権利を主張する欧米人からはしばしば卑屈に映るのでした(サッカーの長友選手のゴール後のパフォーマンスのように、近年は「お辞儀」が欧米人にも日本人の特徴として受け入れられるようになっていますが)。

 

近代化がもたらした影響

 対人恐怖による人への卑屈さは、日本文化のなかで日本の規範に則って現れているうちは問題がありませんでした。それは、日本人同士が社会を円滑に運用するための潤滑油の役割を果たしており、日本人の間では卑屈さではなく忠誠心として捉えられてきたからです。

 ところが、近代化で欧米文化を取り入れることによって、日本人が示す人への卑屈さ(忠誠心)は、異なった様相を呈するようになりました。

 岸田秀氏は、以下のように述べています。

 

 「近代日本人の自我がとくに不安定、不確実なのは、このような日本の『近代化』の不可避的な結果であった。自我の支えとなる神(その他)を欠き、近代以前に自我の支えとなっていた伝統的共同体は崩壊し、あるいは形骸化し、その代わりに成立した『近代的』疑似共同体は、あくまで疑似共同体であり、たとえば企業なども、終身雇用制や年功序列制を採用して、家族共同体に似せようとはしていたものの、個人を全面的に包み込むものではなく、個人の自我の安定した支えとはなり得なかった。

 近代日本人は、形骸化したが何となく残っている伝統的共同体、社会の有機的な一環ではなくなり、社会から切り離されて縮小した家族、企業などの『近代的』疑似共同体、遠いところに観念的に存在している国家などのバラバラな集団にバラバラな仕方で所属することになった」(『幻想の未来』75‐76頁)

 

 前回のブログでも検討したように、近代化によって社会構造を劇的に変化させた日本では、伝統的な共同体は崩壊し、形骸化しました。代わりに現れた「社会から切り離されて縮小した家族、企業などの『近代的』疑似共同体、遠いところに観念的に存在している国家」は、個人の自我の安定した支えにはならなかったと岸田氏は指摘します。

 

近代日本人が示す卑屈さ

 近代化によって安定した支えを失った自我には、どのような影響が現れたのでしょうか。

 

 「同時にさまざまな集団に所属するということは、自我の支えをあちこちに求めるということであり、(中略)近代日本人は首尾一貫した忠誠の対象をもてず、その自我をあちこちに引き裂かれてしまったのである。

 首尾一貫した忠誠の対象を欠いていれば、個人は『卑屈』にならざるを得ない。(中略)個人は場当たり的に今のところたまたますぐ目の前にいる人に『忠誠』を尽くすことによって一時的にせよ自我の支えを得ようと意地汚くあせることにならざるを得ない。(中略)

 そして、『忠誠』は別の観点からすれば『卑屈さ』にほかならないから、目の前の人への一時的『忠誠』は、場面が変わればたちまち『卑屈さ』となる。日本人は伝統的に昔から対人恐怖であり、『世間』の人々の眼を恐れ、『世間』に受け容れられることを自我の支えとしてきたが、日本兵の一部に見られたような『卑屈さ』、言いかえれば、目の前の人への一時的な『忠誠』は、以上で述べてきた理由から、近代日本人においてはじまったと、わたしは考えているのである」(『幻想の未来』76‐77頁)

 

 自我の支えとなっていた伝統的な共同体が消失し、バラバラな集団にバラバラな仕方で所属することになった近代以降の日本人は、目の前の人への一時的な忠誠を示すことになりこれが日本兵の一部にみられたような卑屈さを生むことになったと岸田氏は指摘しています。

 

忠誠か卑屈か

 岸田氏は、「卑屈か忠誠かは、観点の問題に過ぎない」と述べています。忠誠心にみえるものが別の観点からみれば卑屈さとして捉えられ、卑屈さにみえるものでも別の観点からみれば忠誠心として捉えられるという意味です。

 では、以下の写真は忠誠を現わすものでしょうか。それとも卑屈さを現わしているのでしょうか。

 

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 上の2枚の写真は、ともにイスラム教徒がメッカに向かって礼拝している姿を写したものです。唯一、全能の神アッラーに対する忠誠心を示す行為ですが、この姿は異教徒、特に多神教徒からみれば、卑屈さにみえないこともないでしょう。

 次の写真は、ある日本人が行った土下座の姿です。

 

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 上の写真は、「たった一人の謝罪」との見出しで、昭和58年12月24日の朝日新聞に掲載された、「サハリン残留韓国人の遺家族を前に土下座する」吉田清治氏の写真です。「徴用と強制連行をした」という吉田氏の告白は、後に虚偽であったことが判明します。

 下の写真は、鳩山由紀夫元総理が、平成27年8月12日に韓国の西大門刑務所の跡地に訪問し、モニュメントに向かって「土下座」して謝罪した写真です。この行為は韓国では「クンジョル」と呼ばれる最上位の敬意を示す作法であり、屈辱の意を示す土下座とはまったく別物だという擁護もあります。しかし、「土下座」であろうが「クンジョル」であろうが、元総理のこの姿は、第三者からは卑屈さを全身で現わしているように映ってしまうのではないでしょうか。

 彼らはまさに、「ミヤジマ・ミノル」のエピゴーネン(模倣者、追随者)であると言えるでしょう。(続く)

 

 

文献

1)岸田 秀:幻想の未来.河出書房新社,東京,1985.