皇室の伝統はなぜ変えてはいけないのか(12)

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 前回のブログでは、大東亜戦争の敗戦後にもたらされた天皇の役割の変化によって、日本人の精神にどのような変化がもたらされたかを検討しました。

 今回のブログでは、そのことが日本人の狂気にどのような影響を与えたのかを検討したいと思います。

 

統合失調症の妄想

 大東亜戦争時の天皇、そして占領時代のマッカーサーという近代の日本社会に現れた唯一、絶対の支配者が、相次いで支配者としての立場を失ったという事実は、日本人の精神世界にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。この影響が特徴的に現れているのが、統合失調症精神分裂病)の病的体験です。
 昭和30年の精神神経学雑誌に、「精神分裂病者における被害的態度に及ぼす病前性格の滲透性についてー  一典型例による解析」1)という論文が載せられています。そこに挙げられている症例には、以下のような病的体験が記されています。

 

 「(前略)声は次第に明確に他人の声になっていった。それは言葉であって教養をもっている。しかもその教養は、私の過去、幼児以来の体験や学習の詳細に至るまで知っていて、それを超えて果てしなく私を指導する程のものであった。声の主はー これを私はXと名付けたがー 私の過去の、人にも話さなかった細かい部分まで知っていて、それを持出しては私にはなしかけ、私を驚かせたり、怒らせたりした。母親の品行を云々して誹謗し、忿りに私はとび上る思いであった。声の主Xは誰だろうか。どこにいるのか。どんな技術をもっているのか。何故公開されないのだろう。ー 私は考え続けた。独りで、他の人々との交渉を絶って。(中略)
 Xは何者であろうか。それは殆んど私のすべてを支配して、気狂いにも死者にもしかねない。神か。いやそうではない。それほどXは人工的で、近代の複雑微妙な技術性をもった現象を生んでゆく。私はその後Xがオールマイティであることを、一層詳らかにしたのである。自分の意志を眼にみえないものが支配し、自分の心の秘密をあばいて脅迫し、自分はそのもののために、いつどうされるのかわからない。何という人格毀損であろう。
 つねに尾行されている。外を歩いていると、銀座通りの人波の中で、いつの間にか大勢の私服によって、表面は何げなく、しかし明らかにあのXなるシステムの者達にとりまかれている。私の一挙手一投足は見張られ、身動きもできなくされる。就職運動をしてもXから邪魔が入る。つまり政治的な暗躍だ。私はいわばマークされた人間で、かくれようとしても安息の地はない。はっきりとは把めないが、ともかく強大なシステムで、Xは国民一人一人の意志、感情、行動を左右し、技術、科学、哲学、倫理学等あらゆる部門の機能をあげて人々を批判し、行動を限定する。しかもそのX自身、決して正体をあらわさない。秘密なのだ。(後略)」

 

 以上は、妄想型統合失調症にみられた典型的な被害妄想です。

 

誰が社会を動かしているのか

 この症例に認められる、社会を支配し動かしているのが誰なのかを追求する妄想は、以降の統合失調症にも頻繁に現れるようになります。そして、この種の妄想で特徴的なのは、社会を支配し、動かしている人物が容易に特定されないことにあります。それは、戦後日本の原型がGHQによって形作られ、さらに、その後の日本社会がアメリカからの影響を受け続けているからでしょうか。

 日本社会を本当に動かしているのは誰なのか。表立って問われることのないこの命題を、統合失調症の病者は妄想の中で問い続けているのです。

 

天皇人間宣言の影響

 一方、「天皇人間宣言」は、統合失調症精神分裂病)の妄想にどのような影響を与えたでしょうか。
 昭和36年の精神神経学雑誌に載せられた「慢性精神分裂病における境遇的環境的意味
の変貌について 院内生活臨床への一つの企図 」2)という論文に挙げられている諸症例をもとに、この影響を検討してみましょう。

 

 「37才 女子 (中略)家族事情・生活経緯・入所のいきさつなど境遇に関する遠隔的背景意味の変貌は広範囲にわたって著明である。すなわち東京麹町1丁目1番地のお堀にかこまれた広大な屋敷で生まれ、そこで育った記憶がある。父は今上(イマガミ)裕仁、母を久邇良子(ナガコ)という。伯父に閑院義仁がある。6才のとき『実父母』である今上夫妻につれられて大連にわたり、川〇家(実際の両親)の養女となり、自分だけは『姫〇』の姓を名のることを日本政府から許された。

 その後終戦まで大連にいたが、その間に幾度となく帰国して学習院日本女子大を卒業した。終戦直後今上夫妻が大連まで迎えに来て帰国し、一時叔父閑院の邸宅にあずけられたが『空襲がひどくなったので』国立国府台病院に疎開し、その病院で東京女子大生として実地勉強をし、医療職員になって国立下総療養所に就職した。川〇家には義姉(実際は実姉)2人があるが、その夫はそれぞれ早大スポーツ科教授や東京都副知事の要職にある・・・などという。(後略)」

 

 この妄想では、症例は昭和天皇と皇后の実子であり、皇族の伯父がいることになっています。正確には、今上はキンジョウと読み、皇后の旧名は久邇宮良子クニノミヤナガコです。また、閑院は世襲親王家の一つであった閑院宮のことか、または昭和22年に皇籍離脱した閑院春仁氏がモデルになっていると思われます。

 

皇統神話を基にした血統妄想
 このような皇統神話をテーマにした血統妄想は、すでに明治時代から認められています。明治時代に血統妄想が現れたのは、皇統神話が架空の物語だからではありません。文化とはそもそも架空の物語によって構成されており、現代の「科学神話」や「自由神話」も同様に架空の物語であることには変わりがありません。

 そうではなくて、明治の皇統神話が一神教に近似の宗教として再構成されたにも拘わらず、一神教に不可欠である唯一、絶対の神の役割を、天皇という存在が担い得ていなかったことがその主な原因であると考えられます。そのため、この神話の不完全性を無視できない状況に追い込まれた者は、皇統神話を自らの精神世界の中で再編しなければならないのです。

 

血統妄想の混乱

 唯一、絶対の神の役割を担い得ないという点においては、戦後の天皇も同様でした。それに加えて、戦後に天皇が「人間宣言」を行ったという事実は、日本人に特異的であると言われる血統妄想の内容に、以下のような混乱を与えることになりました。ちなみに、血統妄想が日本人に特異的なのは、皇統神話が日本に特有の神話であり、かつ血統に基づく神話であるからだと考えられます。

 

 「31才 女子 (中略)その家庭実状を略記すれば父は戦災死、母は健在、兄は10才で死亡、他に現存同胞として弟3名、妹2名がある。本人はこれら家庭の現状と自己の生活史を具体的に詳しく説明できるが、その主張によれば真相が別にあるという。

 すなわちこの両親はただ戸籍上の両親にすぎず、かつこの亡父は『三代目エヂソン』と称するドイツ人であって死因も終戦時の私刑のためであったと。実父として母方叔父の名、実母として父方叔母の名をあげる。しかもこの実母(実際は叔母)は『18才ころから日本に入国永住したエリザベス王朝の正当相続人』であるという。亡兄は生きのびて『養父(三代目エヂソン)』の故国ドイツで生長し、ジョンと名のり『アフリカン・リチャード』の称号を得て終戦直後日本に戻り、現在も東京の米軍司令部でマッカーサー元帥の秘書をしている。(発病前親交のあった実在の米兵ジョンに関する人物変貌)

 自分はジョンと結婚して『アフリカン・リチャード妃』になる予定だと言う。また他病棟の男患Bは発病前面識のあったある大会社社長の子息にあたり、幼時から親の定めた婚約者だと主張し、自分は『エリザベス系』の名誉ある血統で一婦二夫制を許されているから、とアフリカン・リチャード(つまりジョン)のほかにそのBとも結婚する予定でいる。(後略)」

 

 この症例の妄想は、母親が「エリザベス王朝の正当相続人」であり、「マッカーサー元帥の秘書」をしているジョンと、大会社社長の子息であるBとも結婚する予定であるという内容になっています。この妄想では症例は「エリザベス王朝」の血統を継ぐ存在であり、血統妄想であるのにも拘わらず、皇統神話が語られなくなっています。

 

血統妄想の消失

 次の症例の場合は、血統妄想ではありませんが、皇統神話が断片的な形で登場しています。

 

 「45才 女子 (中略)当初は人格もかなり保全され心境やいきさつを詳しく供述し竹工作業にも出ていたが、年ごとに荒廃し『英国皇太子エドワード中尉と恋仲だ』とか『エドワードが隣の建物にいる』などとりとめなく奇妙なことを言うようになり、(昭和)27年ころから行動限局・周囲無関心・身辺不整・日用品使用困難・慢性幻聴・対話状独語・応答断片化などの欠陥状態におちいった。

 境遇環境や入所のいきさつなどについては数年来自分を天皇の妃、現環境を漠然と宮内庁の捕虜収容所と考え、自分や周囲の人間(他患)は日米戦争が終るまで国家のためにここで保護をうけなければならないと考えている。(後略)」

 

 この症例では、「英国皇太子エドワード中尉と恋仲だ」と言ったかと思うと、「自分を天皇の妃」と考えるなど、妄想内容が変転しています。そして、妄想の中心となるべき人物が「英国皇太子」なのか、「天皇」であるのかも分からないままです。

 つまり、症例の訴えは血統妄想や誇大妄想としての体を成していないだけでなく、妄想世界の中で唯一、絶対の支配者を決定できず、その人物との関係を他者に主張することもできませんでした。そのことも一つの要因となって、症例は対話性の独語を繰り返すだけで周囲に無関心になり、やがて日常生活もままならない欠陥状態へと陥って行きました。

 


 大東亜戦争時に唯一、絶対の支配者の役割を担っていた天皇が、戦後に「人間宣言」を行ったとされたことは、統合失調症の妄想に以上のような混乱をもたらしました。

 そして、その後には、皇統神話をテーマにした血統妄想は次第に語られなくなり、やがて昭和という時代の終焉と共にほとんど姿を消していったのです。(続く)

 

 

文献

1)小尾いね子:精神分裂病者における被害的態度に及ぼす病前性格の浸透性について- 一典型例による解析.精神経誌,57;333-341,1955.
2)倉田克彦:慢性精神分裂病における境遇的環境的意味の変貌について-院内生活臨床への一つの企図-.精神経誌,63;167-192,1961.