皇室の伝統はなぜ変えてはいけないのか(13)

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 前回のブログでは、昭和30年代にみられた統合失調症の妄想を紹介しました。そこでは社会を支配し、動かしているのが誰なのかを追求する妄想や、皇統神話をもとにした血統妄想が認められました。そして、これらの妄想では、社会を支配し、動かしている人物が容易に特定されなかったり、皇統神話が混乱した内容になり、さらに体系化されずに断片的に語られたりしました。

 平成の時代に移ると、妄想の内容はどのように変遷していったのでしょうか。

 

血統妄想が失われた

 わたしが精神科医になったのは平成2年ですが、当時はまだ「自分は天皇家の血を引く人間だ」と主張する患者さんが少数ですが存在していました。もっともそれは、精神病院で長期に入院している患者さんたちでした。外来に通院している患者さんの妄想では、そうした血統妄想はほとんど聞かれなくなっていました。初診で血統妄想が語られることが希にありましたが、長期にわたって家に引きこもっていて、病院で治療を受けてこなかったような場合に限られていました。

 以上はあくまでもわたしの個人的な経験ですが、同僚に聞いても同じようであり、一般的な傾向であったと思われます。平成の時代に発症した統合失調症の妄想からは、皇統神話を含んだ血統妄想は姿を消していったのです。

 ちなみに、妄想に現れる世界の中心に存在する人物として、日本の首相が選ばれることは少なく、わたしの経験では日本を復興に導いた吉田茂首相くらいでした。戦後の日本において、首相は中央集権的な権力者ではなくなり、病者からは世界を動かす人物と見なされなくなったのかも知れません。

 

妄想体系とは

 妄想型の統合失調症では、妄想体系が構築されます。妄想体系とは、患者さんが自分の精神世界の中で独自に作り上げる妄想的な世界観のことです。現代の日本でみられる妄想と比較するために、ここでは精神医学で有名なシュレーバー症例を紹介しましょう。

 シュレーバーは自身の妄想を1冊の本にまとめて出版した人物で、フロイトが論文のテーマとして取り上げたことで知られるようになりました。

 その妄想体系は、以下のような内容でした。

 

 「患者の妄想体系は、自分が世界を救済し、人類に失われた幸福を、再び取り戻すべき使命を帯びていると信ずる時に絶頂に達する。
 彼の主張によれば、ちょうど預言者から教えられるように、神から直接与えられる霊感によって自分はこの使命を課せられたのであった。(中略)

 彼の救済事業の最も本質的な点は、何よりもまず、彼自身の女性への転換が行われなければならないという点である。要点は、彼が女性になりたいということでなく、むしろその転換が世界秩序に基づく<必然(ねばならぬ)>によるものであって、たとえ彼自身から見れば今の栄誉ある男性的地位にとどまった方がむしろ好ましいことだとしても、どうしてもその<必然>を脱れることはできない。しかし今や彼自身および人類全体は、ことによると数年あるいは数十年後に彼の上に起こるかもしれない神の奇蹟による女性への転換によって、初めて来世の幸福を回復することができる。
 さらに自分にとってこれは確実なことだと言うのであるが、神の奇蹟が行われる唯一の対象は、現在までに地上に生を享けた人間のうちで最も記念すべき人間、すなわち彼であり、彼は数年来毎時毎分この奇蹟を自分の身体で体験しており、彼と語り合うもろもろの声によっても証明されるように、明らかに彼はその奇蹟を体現している。

 彼は発病当初の数年間に、彼の身体の各器官の障害、すなわち他の人間がかかったらきっととっくに死んでしまっていたはずのもろもろの障害を受け、長い間、胃も、腸も、肺さえほとんどなしに、ただぶつぶつに切れた食道だけで生きてきた、膀胱もなく、肋骨はばらばらで、時には自分の喉頭さえも部分的に食べてしまうようなことがあった、等々。
 しかし神の奇蹟(『光線』)が、破壊された肉体をそのたびごとに造り直してくれた。それゆえ彼は、男性である間は不死身である。あの恐ろしい現象はとうの昔に消えたが、その代り彼の<女性的特質>が前面に現れてきた。その場合問題の発展過程は、その完成に多分数百年とはゆかなくても、数十年は要するであろうから、今生きている人々がその終末を体験するのは難しいだろう。

 すでに多量の<女性的神経>が自分の身体中に移されており、自分は神と直接に結びつくことによって受胎し、その神経から新しい人間が生まれるであろう。おそらくその時初めて自分は自然の死を死ぬことができ、またあらゆる他の人間と同じように、再び幸福を獲得するであろう。そしてその間に、太陽ばかりでなく、<過去の人間の魂の不思議な名残>のようなものであるところの木々や小鳥が人間の声をかりて彼に語りかけ、彼をめぐって至るところに奇蹟が起こるであろう」(『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1)フロイト著作集9巻 288-289頁)

 

 シュレーバーの妄想体系は、彼の精神内界の「世界」と「私」との関係を、そして「私」の存在根拠を理解し、表明するために構築されています。彼が「世界秩序に基づく<必然(ねばならぬ)>」によって、好むと好まざるとに関わらず女性に転換されるのは、自分が直接神と結びつくことによって受胎し、新たな人類を生み出すという究極の目的のためです。

 彼は、人類に失われた幸福を再び取り戻すための使命を帯びているのであり、それこそが、彼がこの世界に存在する根拠になっています。この妄想体系が完成されることによって、はじめて混沌とした彼の精神の中の「世界」は秩序を取り戻し、彼の自己存続の危機は回避され、彼は失われた幸福を獲得することが辛うじて可能になるのでした。

 

平成日本の妄想

 このような典型的な体系化された妄想と比べると、現代日本の妄想にはどのような特徴が認められるのでしょうか。

 以下は、平成の日本における典型的な妄想です。

 

 「(30代男性)1年ほど前から、会社の同僚が自分の私生活を話しているのを聞いて、おかしいと思うようになった。友人が家に来た際に『盗聴器がどこかについている』と言ったことを契機に、いろいろ思い当たることがあるのに気づいた。その頃からインターネットの検索で、『死ね』『消えろ』『お前はプシだ』という言葉があふれるようになったので怖くなった。

 半年ほど前から盗聴だけでなく、盗撮も始まるようになった。警察に相談に行ったが、相手にしてもらえなかった。盗聴や盗撮は近所の人も知っていて、嫌がらせのように大きな声を出したり、自分の行動に合わせて音を出してくる。盗聴、盗撮した内容は直ぐにインターネットで公開されて、みんなが自分の事を知っている。外出しても自分を見て笑ったり、自分の噂をしている。最近家の上空を飛行機が何度も飛ぶのも、自分に何かを知らせているのだと思う」

 

 このように現代では、インターネットに絡めた妄想を訴える患者さんが増えてきています。

 

妄想の中心人物が現れなくなった

 現代日本に現れる統合失調症の妄想について、その特徴を考えてみましょう。

 最も特徴的なことは、妄想の中に中心を成す人物が現れなくなったことです。昭和までの妄想には、自分に指図をしたり、自分を迫害する人物や、世界の中心に位置する人物が登場してきました。前回のブログで言えば、「国民一人一人の意志、感情、行動を左右し、技術、科学、哲学、倫理学等あらゆる部門の機能をあげて人々を批判し、行動を限定する謎の人物X」や「天皇陛下」「エリザベス王朝の正当相続人」「マッカーサー元帥」、そして今回のシュレーバー症例では「シュレーバーに新たな人類を生み出させる神」などがそれに該当します。これらの人物は妄想の中心に位置し、患者さんにとって世界を動かしていると確信されている存在です。

 しかし、平成の妄想の中には、こうした人物が現れにくくなりました。上述の症例でも、盗聴、盗撮をしてインターネットに情報を拡散させる人物や、近所で大声や音を出したり、上空に飛行機を飛ばすのが誰なのかかが語られていません。それだけでなく、こうした人物が誰なのかを探ろうとする姿勢が感じられず、いつまでたっても妄想世界に中心人物が現れないのです。

 

近代の妄想は中心統合構造

 妄想は一見荒唐無稽な内容に見えますが、実は妄想には妄想世界を形作る構造が存在しています。その構造は社会の構造を反映しており、社会構造を擬した疑似社会としての体を成しています。言い方を換えると、妄想は社会のネガであるとも言えます。

 このように捉えると、世界を動かす人物が中心に登場する妄想は、河合隼雄氏のいう「中心統合構造」、つまり強力な中心が原理と力をもち、それによって全体が統合される構造を擬していると考えられます。したがって、このタイプの妄想は、ユダヤキリスト教のような一神教文化や、国家神道という疑似一神教を据えた明治以降の日本において出現することになります。天皇が世界の中心に登場する血統妄想も、中心統合構造の妄想の一種であると言えるでしょう。

 

平成以降の妄想は中空均衡構造

 これに対して、平成以降にみられる妄想には、社会の中心で世界を動かす人物が現れません。これは社会の中心に空が存在している社会構造、つまり河合隼雄氏のいう「中空均衡構造」を有する社会に出現するものと考えられます。

 中空均衡構造では、社会の中心には天皇が存在しています。しかし、天皇は社会の原理を創造しているわけでも、社会を動かしているわけでもありません。天皇は社会の中心に存在してのに、社会の中心で何かを成している姿が現れません。天皇は中心に存在するものの姿が見えないのであり、天皇は社会の中心に存在する「空の象徴」なのです。

 そのため、中空均衡構造の社会に現れる妄想も同様に、妄想の中心が空であり、そもそも社会の中心には世界を動かす人物が存在していないことになります。

 

妄想内容の変化は社会構造変化

 以上で検討してきたように、統合失調症の妄想内容は、時代とともに変化してきました。妄想内容が社会構造を反映し、妄想が社会のネガであるとすれば、妄想内容の変化は社会構造の変化を暗示していることになります。つまり、明治時代には中心統合構造であった日本社会は、平成の時代には日本本来の中空均衡構造に戻りつつあると捉えることができます。 

 これをシェーマで示すと、以下のようになります。

 

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                                                                図1

 

 図1のように、日本社会は明治時代のピラミッド型の社会構造から、平成にはバウムクーヘン型の平等な社会へと戻りつつあると考えられるのです。

 次回のブログでは、こうした日本の社会構造の変遷をたどりつつ、皇室の伝統を守る重要性について検討したい思います。(続く)

 

 

文献

1)フロイト,S.(小此木啓吾 訳):自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察.フロイト著作集9,人文書院,京都,1983.