韓国はなぜ繰り返し賠償を求めてくるのか(11)

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 前回のブログでは、今後さらに悪化するであろう日韓関係について、その原因と対処法について考えてきました。

 今回のブログでも、その続きを検討してみたいと思います。

 

謝罪されれば満足するのか

 前回のブログで、母親を非難し続け、自らの人生を嘆く女性の症例をたとえ話として挙げました。そして、母親を非難し続けても、娘本人は決して楽にならないことを説明しました。それは母親を非難し続けることが、自らの問題から目を逸らすための手段になっているからだと指摘しました。

 では、娘の非難に対して、母親が謝罪すれば、娘は満足して立ち直って行くのでしょうか。その場は一瞬和むかもしれませんが、残念ながら多くの場合は、それで娘が満足することはありません。そればかりか、娘はさらに執拗に母親を非難することになりかねません。

 その理由の一つは、母親が娘の非難に対して、心の底から反省して謝るのではなく、その場を繕うために仕方なく謝っているからです。母親からすれば、自分なりに懸命に子育てをしてきたのであり、娘のためと思ってしてきたことを後になって非難されていると感じるでしょう。たとえ娘から非難される内容が的を射ていたとしても、その時には他に大変なことがあって余裕がなかったなどの、母親なりの理由が存在していたかも知れません。それを一方的に謝れと言われても、心から謝罪することは、なかなか難しいものです。こうした態度は、すぐに娘に伝わってしまうでしょう。

 もう一つの重要な理由は、逆説的ですが、母親が謝罪するということは、娘の養育に失敗したことを母親自らが認めることになるからです。自分は間違った育てられ方をしたと、当事者本人から告げられることになります。さらに、自分は大切に育てられなかった、もっと言えば、望まれて生まれてこなかったとか、愛されていなかったという思いに結びつくことさえあります。こうした場合は、母親の謝罪が、娘に絶望をもたらす結果に結びつきかねません。

 

韓国が謝罪を求め続けるのは

 翻って日韓関係に話題を戻すと、韓国が日本に謝罪を求め続けるのは、この母‐娘間のような感情があると考えられます。韓国から求められる一方的な非難に対して、日本は心ならずも謝罪してきました。日本としては、自国なりの言い分があるものの、その場を収めるためにそれをぐっと堪えて、ひたすら低姿勢で謝罪を繰り返してきました。それに対して、韓国側は一瞬は満足するものの、再び日本に対する憎しみが沸き上がってきます。それは韓国側が、日本の謝罪が本心から反省したものでないことを感じ取るからです。そのために、「心からの謝罪」を何度でも繰り返し求めることになるのです。

 さらに、日本が謝罪することは、日本が韓国にひどい扱いをしたと自ら認めることにもなります。それは併合時代の歴史、韓国が優等生として近代化に向けて懸命に努力してきた歴史に意味がないと、日本自身が示すことに繋がります。そして、日本には韓国に対する好意的な感情はなかったのだと、自ら宣言していることにもなるでしょう。

 

韓国は自国の問題から目を逸らしている

 こうして韓国は日本を非難し続けてきたのですが、一方でそれは、自国の問題から目を逸らすことにもなっています。大統領の支持率が低下したら日本を非難する、経済が悪化したら日本を非難する、国内に不満が充満したら日本を非難するというこれまでの対日姿勢を続けていれば、韓国は自国の問題に目を向けることができなくなります。日本を非難してさえいれば、韓国の問題から目を逸らすことはできるかもしれませんが、それでは自国の問題はいつまでたっても解決しないでしょう。

 今回の火器管制レーダー照射事件でも、友好国であるはずの日本の哨戒機にレーダー照射を行ってしまうこと自体に、韓国海軍内部の問題や、軍と政府間の連携の問題などが存在しているのかも知れません。ところが日本を非難して謝罪を求めていては、こうした問題はいっこうに解決していかないのではないでしょうか。自らの問題に目を向けることは痛みを伴うことですが、それができない限りは、何度でも同様の問題が再発することになると思われます。

 

自国の問題と向き合った大統領

 韓国には、かつては自国の問題と向き合った大統領がいました。それが全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領です。

 全斗煥大統領は、「朝鮮半島が日本の領土となったことは、当時の大韓帝国にも責任があった」と表明しました。そして、「日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」とも述べました。さらに、歴史教科書問題によって反日感情が渦巻いていた1982年には、「異民族支配の苦痛と侮辱を再び経験しないための確実な保障は、我々を支配した国よりも暮らしやすい国、より富強な国を作り上げる道しかあり得ない」と述べ、日本の克服を目指すという意味で「克日」を主張しました。

 彼こそ、韓国自身の問題点を見つめ、韓国が自立し、発展して行くためには何が必要であるかを現実的に追求した大統領でした。こうした姿勢を続けたならば、あるいは韓国は克日を達成し、日本のことなどいちいち気にしなくて済むような、暮らしやすい、富強な社会を作り上げていたかも知れません。

 しかし、残念ながら現在の韓国は、自立と発展とは逆の方向に進んでいるようにみえます。克日が達成されることはなく、常に日本を意識しながら、今でも日本の帝国主義時代を非難し続けています。一方、全斗煥元大統領は、在任中の不正資金事件で巨額の追徴金が科されたうえ、最近のニュースでは、地方税約9億8千万ウォン(約9600万円)を滞納しているとして自宅からテレビや冷蔵庫、屏風などの家電と家具計9点を差し押さえられたと報じられました。韓国では親日派は、このような哀れな末路をたどることが多いのです。

 

なぜ日本は謝罪を繰り返すのか

 一方で、日本はなぜ何度も韓国に謝罪したのでしょうか。謝れば許してもらえるという日本文化の影響もあったでしょうが、それだけが理由ではありません。韓国の併合に対して、日本にも確かに後ろめたい思いがあったのです。しかし、後ろめたさの対象は、韓国が主張するような「七奪」や、いわゆる従軍慰安婦や徴用工問題ではありません。これらは後に作り出された架空の問題です。

 そうではなくて、日本が後ろめたさを感じるのは、日本人のアイデンティティーを保つために、朝鮮を利用した側面があったことです。この問題は以前のブログでも検討しましたが、ここでもう一度振り返っておきましょう。

 岸田秀は、日本が朝鮮人を日本人として扱おうとし、近代化を朝鮮でも再現しようとした心理的な理由を次のように説明しています。

 「実際、朝鮮を植民地にする経済的、軍事的必要はあったかもしれないが、朝鮮人を日本人にしなければならなかった理由は心理的なもの以外は考えられない。ここには、A・フロイドの言う攻撃者との同一視の機制も働いていた。たとえば、幽霊が恐ろしい子どもがみずから幽霊のまねをすることによってその恐怖から逃れるのがこの防衛機制である。(中略)
 日本人は、おのれを恐ろしい攻撃者である欧米人と同一視して日本を欧米化し、朝鮮を日本化することによって、欧米と日本との関係を、日本と朝鮮との関係にずらして再現しようとした。欧米との関係で自己同一性を危うくされた日本人は、朝鮮人の自己同一性を奪うことによって、おのれの自己同一性を建て直そうとした」(『ものぐさ精神分析1)17頁)

 このように岸田は、アメリカによって無理やり開国させられ、欧米文化を取り入れざるを得なかった日本人が、アイデンティーティーの危機に瀕したことが朝鮮を併合した一因であったと指摘します。そして、自らがされたことを朝鮮で行い 、自らの心理的な危機を乗り越えようとしたのだと説明しています。

 

後ろめたさの正体とは

 日本人が自らのアイデンティーティーを保つために行った朝鮮併合は、朝鮮の人々の心理面に大きな影響を与えました。

 朝鮮は中国による柵封体制の優等生として振舞い、いわゆる長兄の立場を目指してきました。柵封体制に入ったり出たりしている日本は、朝鮮からは中華思想から外れた愚かな末弟として捉えられていました。この秩序によって、朝鮮の人々は、優れた長兄としての自尊心を保ってきました。
 ところが近代化を果たした日本によって、朝鮮は併合されることになりました。朝鮮の人々にとっては、これは天地がひっくり返ったような出来事だったでしょう。優れた長兄だと自負していた朝鮮の人々は、愚かな末弟だと蔑んでいた日本人に、逆に支配されることになったからです。朝鮮人の自尊心は、このことによって決定的に失われたと言ってもいいでしょう。
 以上のように、日本が後ろめたさを感じる対象とは、自らのアイデンティティーを立て直すために朝鮮を併合し、そのことによって朝鮮の人々の自尊心を奪ったことなのだと考えられます。

 

後ろめたさがもたらしたもの

 この後ろめたさがあったために、日本の朝鮮併合は、欧米諸国の植民地化とはまったく様相を異にするものとなりました。

 欧米諸国は搾取するために植民地化政策を行ったのですが、日本は自らの近代化の正しさを証明するために朝鮮を併合しました。そして、併合した後ろめたさがあったために、植民地化とは程遠い内容の政策を行いました。朝鮮に5千もの公立学校を作り、日本にまだ5つしかなかった帝国大学まで設立しました。鉄道網を敷いた際には、当時の日本になかった「広軌」、つまり現在の新幹線に使用されている幅の広い鉄道を使用しました。鴨緑江(おうりょくこう)に造った水豊(スプン)ダムは、日本の黒部ダムの2倍の電力量を誇る世界最大級のダムでした。さらに巨額の投資を行って、朝鮮の工業化を推進しました。

 戦後に日韓基本条約を締結した際には、一緒に米英と戦ったはずの韓国に、なぜか経済協力と称して、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドル、その他を含めると11憶ドルもの資金供与及び貸付けを行いました。これは当時の韓国の国家予算の、2.3倍にも相当する額でした。

 これらの莫大な額の投資は、日本に併合に対する後ろめたさがあったからこそ行われたものでした。

 それにもかかわらず、韓国は感謝することがないばかりが、日本の「植民地化」を非難し続けています。さらに、いわゆる慰安婦問題や今回のいわゆる徴用工問題を何度も蒸し返し、謝罪と賠償を請求し続けています。

 日本はこの請求に対して、見当違いの謝罪を繰り返してきたのでした。(続く)

 

 

文献

1)岸田 秀:ものぐさ精神分析青土社,東京,1977.

参考文献

百田尚樹:今こそ、韓国に謝ろう.飛鳥新社,東京,2017.