キリスト教社会はなぜ戦争を繰り返すのか(3)

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 前回のブログでは、愛を説くキリストの教社会がなぜ戦争を繰り返すのかを、戦争神ヤハウェの性質と、ヤハウェに導かれた聖戦という側面から検討しました。今回のブログでは、戦争神ヤハウェが、唯一、全能の神に変貌していった過程を検討してみたいと思います。

 

隷属と虐殺を受け続けた民族の記憶

 『ヨシュア記』には、戦争神ヤハウェに導かれたイスラエルの民が、虐殺につぐ虐殺を繰り返し、兵士ばかりか女や子供までを殺害しながら、「約束の地」カナンを征服する経緯が記されています。その記述は、われわれには凄惨を極めた物語として映ります。しかも、この戦いは聖戦として記されているのです。

 なぜ聖書には戦争神としてのヤハウェが登場し、ヤハウェに導かれた大虐殺の物語が残されているのでしょうか。それは、イスラエルの民が、隷属と虐殺を強いられる歴史を歩んできたからであると考えられます。
 もともとイスラエルの民は、エジプトで使役されていた奴隷でした。モーセに導かれてエジプトを脱出した後も、40年間にもわたる荒れ野での彷徨を余儀なくされました。約束の地カナンを征服し、イスラエル王国を建国することに成功したのも束の間、ソロモン王の死後に王国は北イスラエル王国ユダ王国に分裂して弱体化し、周辺の強国に苦しめられることになりました。やがて北イスラエルアッシリアに、さらにユダは新バビロニアに征服され、住民の多くが強制的に移住させられました。特に、新バビロニアによるバビロンへの連行は、バビロン捕囚として長く後世に記憶されることになりました。
 このとき、イスラエルという民族は、地上から消え去る運命のただ中にありました。イスラエル民族は、アッシリア新バビロニア、または後に興るペルシア帝国に吸収されても何の不思議もありませんでした。

 ところが、イスラエル民族はこの逆境の中を、民族としてのアイデンティティーを失うことなく生き延びたのです。
 イスラエル民族が民族として生き延びるための方策、それが聖書の編纂であり、ユダヤ教の確立でした。聖書の編纂は捕囚期に始まり、エルサレムへの帰還が許された後に『モーセ五書』(創世記・出エジプト記レビ記民数記申命記)が完成されました。このとき初めてユダヤ教が成立し、経典の民ユダヤ人が誕生しました。イスラエル民族は、ユダヤ教によって民族のアイデンティティーを保持することに成功し、亡国の民となってもユダヤ民族として生き続けることが可能になったのです。
 つまり、イスラエル民族が存亡の危機に立たされたとき、彼らは新たな宗教を確立してこの危機を乗り越えたのでした。それが聖書の編纂であり、ユダヤ教の確立でした。ユダヤ教の成立に至るこのような歴史を鑑みれば、『ヨシュア記』の物語が聖書に存在する意味が明らかになるでしょう。
 悲愴な運命の歴史に翻弄され続けたイスラエル民族は、戦争神ヤハウェという存在を必要としたのです。たとえそれが民族に受け継がれてきた神ではなく、新たに奉じることになった継父の神であったとしても、彼らには他の途は残されていませんでした。むしろ、『ヨシュア記』に記された完全な勝利を導いてくれる神こそ、イスラエル民族のアイデンティティーを支えるために必要な存在だったのでしょう。
 この物語の中で彼らが行った虐殺と略奪は、現実の生活の中で彼ら自身が受け続けてきた行為に他なりません。つまり、隷属と虐殺を受け続けたイスラエル民族の記憶が、神の力によってまったく正反対の立場に立つという、願望を伴った物語を創り上げたのだと考えられます。しかし、この願望を伴った物語は、やがてキリスト教を奉じる人々によって、現実のものとなって行くのです。

 

モーセとその神の記憶

 さらに、この神には新たな性質が加えられました。フロイトは、ユダヤ教が成立する過程で、モーセとその神が復活を遂げたと指摘します。

 

 ユダヤ民族のなかからは、色あせて行く伝承を思い出しては蘇らせ、モーセの訓誡と要求を復活させ、失われたものがふたたび確立されるまで決して休むことのなかった男たちがつぎつぎと現れた。幾世紀にも及ぶ絶えざる努力のなかで、そして最終的にはバビロン捕囚の前後の二度の大きな宗教改革によって、民族神ヤハウェが、モーセによってユダヤ人に押しつけられた神へと変貌していく過程はとうとう完了してしまったのだ」(「モーセ一神教1)166頁)

 

 イスラエル民族(ユダヤ民族)が存亡の危機に立たされたとき、預言者たちが色あせていた伝承を蘇らせ、モーセの訓戒と要求を復活させて行きました。そして、バビロン捕囚前後の宗教改革によって、民族神ヤハウェは、かつてモーセイスラエルの民に強要した一神教の神へとその姿を変えていったのです。
 ユダヤ教の成立には、モーセとその神の記憶痕跡が重要な役割を果たしましたが、このエジプト時代の記憶痕跡の表出は、神ヤハウェの性質に大きな変化をもたらすことになりました。
 フロイトによれば、奴隷として使役されていたイスラエルの民をエジプトから脱出させたとき、モーセが戴いた神はアートン教の神でした。アートン教は、エジプト王朝史上初めて誕生した一神教でした。
 モーセの記憶が呼び覚まされるとき、アートン教の神の記憶痕跡もまた呼び起こされました。アートン教の神は、当時の最強国エジプトにおける唯一の神、つまり他に並ぶもののない最高の神でした。この神は、奴隷であったイスラエルの民には、いっそう絶対の力を備えた崇高な存在として映ったでしょう。この神の偉大さが、ユダヤ教が成立した際にヤハウェに投影されました。このことによってヤハウェは、中近東の一地方神から、全世界を支配する神へと変貌を遂げました。
 フロイトは、次のように述べています。

 

 「エジプトのモーセが、民族の一部の人びとに、元来のヤハウェ神とは別の、より高度に精神化された神の観念を与えたということ、唯一の、全世界を包括する神性、全能の力を有するだけでなく万物を愛で包む神性、一切の儀式や魔術を嫌悪して人間に真理と正義に生きることを至高の目標として定め示した神性の理念を与えた」(「モーセ一神教」75頁)

 

 こうしてユダヤ教の神ヤハウェは、かつての単なる戦争神から、愛と真理と正義をも包括した唯一、全能の神になったのです。

 

 

ユダヤ民族の苦難

 しかし、ユダヤ民族に対する苛酷な歴史は、その後にも延々と繰り返されました。イスラエル民族は、セレウコス朝シリアやローマ帝国による支配を受け続けました。シリア王アンティオコス四世エピファネスは、ユダヤ教禁止令を出し、これに従わないユダヤ人を皆殺しにしようとしました。また、ローマ帝国との間で起こったユダヤ戦争によって、エルサレムの神殿は破壊され、宝物庫の財宝は略奪されました(このときの破壊で残された神殿の壁が、ユダヤ教の聖地として知られる「嘆きの壁」です)。ローマ兵によってユダヤ人は兵士だけでなく、老若男女の区別なく虐殺されました。そして、エルサレムの都は徹底的に破壊し尽くされ、ユダヤ人は亡国の民となって世界を放浪する運命に貶められることになったのです。
 度重なる民族の苦難の歴史は、ヤハウェをさらなる全能の神へと変貌させて行きました。そもそも神の全能性は、その神を戴く人びとの万能感が投影されて形成されています。現実生活における苦難と屈辱は、人々の万能感を著しく傷つけました。ユダヤ民族は、万能感を投影する対象を現実世界の中に探し出すことができず、彼らの万能感は専ら神に集中して投影されました。その結果、人々の万能感を一身に集めたユダヤ教の神は、さらなる全能性を身にまとうようになりました。

 

究極の全能の神
 そして、遂にユダヤ教の神ヤハウェは、天地を創造した神と考えられるようになったのです。

 神が天地を創造した物語は、『創世記』に記されています。山本七平の『旧約聖書物語』2)によれば、本来『創世記』には神が天地を構築した過程が記述されているに過ぎず、神が万物を創造したと記されているわけではなかったようです。この記述が後になって、神が「太初(はじめ)における無からの創造」を行ったこととして解釈されるようになったというのです。
 「天地を構築した過程が記されている」ことと「天地を無から創造した」ことは、一見大した違いがないように思えます。しかし、この違いは途方もなく大きいと言えます。「天地を構築した過程が記されている」だけなら、字義通り神は天地を構築しただけであって、構築する材料のすべてを創造したわけではありません。これに対して、「太初(はじめ)における無からの創造」、つまり神が最初に何もないところから世界のすべてを創り上げたとすれば、神は世界だけでなく、いわば全宇宙のすべてをも創造したことになり、その全能性は究極まで高められることになります。
 山本は、『創世記』が明確に無からの創造として読まれているのは、マカバイ王朝時代においてであると述べています。というのは、『マカバイ記』には、セレウコス朝リア王によるユダヤ人への弾圧と虐殺が記されており、この物語の中に神の無からの創造を現す言葉がはっきりと記されているからです。

 このように、ユダヤ民族が苦難の歴史を重ねるうちに、ヤハウェは無からの創造を行った全能の神として理解されるようになり、その結果として究極の全能神が誕生したのでした。

 

神に選ばれた民族
 ユダヤ民族は、この究極の全能神ヤハウェによって選ばれた民族として自らを位置づけるようになりました。フロイトは、「ユダヤ一神教は多くの点でエジプトの一神教よりも遙かに峻厳である」と指摘していますが、それは、ユダヤ人がさらなる全能神を必要としたからです。
 彼らが現実の世界でどのような苦難と屈辱を受けようとも、やがて全能神ヤハウェが彼らを救済してくれます。なぜなら、ユダヤ民族はヤハウェに選ばれた民に他ならないからです。そして、ユダヤ民族を救済してくれる神ヤハウェは、この世界を無から創り上げた究極の全能神でした。

 こう考えることによってユダヤ民族は、いかなる迫害にも耐え、ますます神への恭順の態度を示すようになりました。こうしてユダヤ民族には、全能神ヤハウェに選ばれ、民族として救済を受けるとされる「選民思想」が形成されました。民族消滅の危機に絶望し、民族のアイデンティティーを失いかけていたユダヤ民族は、まさにこの選民思想によって救済されたと言えるでしょう。
 迫害を受け続けた亡国の民であるユダヤ民族に、虐殺を厭わない全能、絶対の神が誕生しました。そしてこの神は、一神教文化を受け継いだ社会に、影響を与え続けることになったのです。

 こうして戦争神から唯一全能の神へ、さらには宇宙を無から創造した究極の全能神となったヤハウェは、キリスト教社会の戦争に大きな影響を与えることになります。次回のブログでは、その経緯を検討してみたいと思います。(続く)

 

 

文献

1)フロイト,S.(渡辺哲夫 訳):新訳モーセ一神教日本エディタースクール出版部,東京,1998.
2)山本七平山本七平旧約聖書物語〈上〉.ビジネス社,東京,2005.