キリスト教社会はなぜ戦争を繰り返すのか(4)

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 前回までのブログで、ユダヤ教の神ヤハウェが、一地方の戦争神から唯一、全能の神へと成長し、さらに世界ばかりか全宇宙を無から作り出した究極の全能神になった経緯を概観してきました。

 今回のブログでは、全能になった神が、キリスト教社会の戦争にどうような影響を与えたのかを検討したいと思います。

  

旧約聖書の戦争神
 旧約聖書に記される、人々を戦いに導く神は、新約聖書では人々に愛を与える神に姿を変えました。しかし、キリスト教徒が正しい戦争であると認識して戦うとき、知らず知らずのうちに、その行動には旧約聖書の神が影響を与えることになりました。それは、旧約聖書に記された神もまたキリスト教の神に他ならないのであり、キリスト教徒は父なる神の僕であるからです。
 たとえば、以前のブログで紹介した戦争を正当化する教皇の言葉の中に、旧約聖書の神の姿をみることができます。まず、十字軍の遠征を起こす際に、教皇ウルバヌス二世が民衆に対して行った演説の中に、「あなたたちを導きあなたたちのために戦う神とともに、尽力しなければならない」という言葉がみられます。この「あなたたちのために戦う神」とは、まぎれもなく旧約聖書に記された神のことを指しています。なぜなら、新約聖書の中には神が戦う姿が記されていないのであり、旧約聖書には『出エジプト記』や『ヨシュア記』で記されたような、民族と共に戦う神が描かれているからです。
 また、大航海時代ローマ教皇ニコラウス五世が、ポルトガル国王に対して、「異教徒たちの有するすべての動産と不動産を奪い、彼らの人格を永遠の隷属の下におき、彼らを改宗させる完全に自由な権限を与える」と述べている言葉にも、旧約聖書の神の姿が窺われます。『ヨシュア記』には、神が命令した戦争において、敵の兵士だけでなく、男も女も、若者も老人も、息ある者は一人も残さず打ち殺し、ある町は焼き払い、またある町の略奪品と家畜はすべて自分たちのために奪い取ったと記されています。

 ニコラウス五世が述べた言葉は、旧約聖書の神の命令に準じて述べられたのではないでしょうか。もし、そうだとすればこの言葉は、『ヨシュア記』の記述に比べれば、充分に配慮された内容になっているとさえ言えます。そして、教皇によって正しい戦争であると認められたことによって、実際に戦闘に参加する人々もまた、旧約聖書イスラエルの民のように振る舞うことができたのです。

 

二つの顔を持つ「ヤヌスの神」

 キリスト教の神は、人々の罪を赦し愛を与える顔を持っています。しかし、キリスト教の神にはもう一つの顔がありました。それは、敵の虐殺もいとわずに戦いを導く戦争神の顔です。しかもその神は、世界ばかりか全宇宙を無から作り出した究極の全能の神です。この正反対の顔を同時に持っているのが、キリスト教の神だと言えるでしょう。その姿は、相反する二つの顔を持つ、古代ローマの門や扉の守護神であるヤヌスのようです。

 キリスト教社会は、この二つの顔に導かれて行動しました。すなわち平時には愛を説く顔に導かれ、戦時には聖戦を導く顔に導かれたのです。この両極端の行動は、ときに相手を油断させ、困惑させ、混乱させることになったでしょう。そして、全能の神に導かれて戦っているというモチベーションは、彼らを最強の戦士へと導く役割を果たしたであろうと思われます。

 ヨーロッパ社会が世界に進出したとき、この行動様式は非常に有効に機能しました。愛を説くキリスト教の布教を行いつつ、その地の先住民を虐殺し支配することを、彼らは世界各地で繰り返すことになったのです。

 

 大航海時代の虐殺と略奪

 ルネサンスが達成されると、ヨーロッパの人々は東方へのあこがれや経済的動機から、インドへの新航路を探索する試みを始めました。レコンキスタ(国土回復運動)によって、イベリア半島からイスラム教勢力を排除することに成功したスペインとポルトガルは、大西洋の向こうに新たな世界が存在することを発見しました。ここから、大航海時代が始まりました。
 スペインやポルトガル中南米大陸に進出すると、彼らがそこで行ったことは、先住民たちを虐殺して支配し、彼らを奴隷として酷使することでした。奴隷制によって採掘された多量の銀や、プランテーションで製造された砂糖などが本国へ流入し、ヨーロッパの経済は活況を呈しました。

 一方、北米大陸奴隷制は、中南米の先住民が奴隷化されたのと同じように、インディアンを奴隷化することから始められました。スペインが北米に侵攻することで始まったインディアンの奴隷化は、オランダが植民基地を築いたニューアムステルダムや、フランスが支配したカナダ東部とミシシッピー川流域でも進められました。そして、イギリス領植民地では、さらに広範囲にわたってインディアンの奴隷化が展開されたのです。
 新大陸への進出と原住民の奴隷化、さらには奴隷制によって生まれた富の搾取によって、ヨーロッパ社会は次第に豊かになって行きました。こうした行為を、彼らは次のような論理によって正当化しました。それは、「文明が野蛮を支配するのは正当な行為である」というものです。

 

文明が野蛮を支配するという正当化

 ヨーロッパの人々は、「文明と野蛮」という対立概念を創り上げました。ヨーロッパの文化が新大陸の文化よりも進んでいたのは、科学と産業と、そして何より軍事力でした。これらを取り上げて文明と称し、文明のない社会を野蛮と決めつけたのです。
 そこには、他の文化に対する畏敬の念や、戦いに対するルールは存在していませんでした。たとえば、スペインの新大陸征服者(コンキスタドール)たちは、メキシコの中央平原を支配していたアステカ帝国やペルーのインカ帝国を、策略を用いて文化共々殲滅させました。コンキスタドールにとって、アステカ文明もインカ文明もただの野蛮な文明としか映らなかったために、社会を破壊し富を略奪することに何の躊躇も要りませんでした。
 大航海時代には、航海者からローマ法王に、「異教徒は人間であるのか」という問い合わせが頻繁に寄せられたといいます。異教徒はキリスト教の神に必要とされる人間ではない、または人間の範疇に属さない動物である(聖書や進化論を曲解してこのように捉える者が、当時も、そしてその後も存在しました)と判断されれば、征服者たちは良心の呵責に囚われることなく、自由に殺人を犯すことができたのです。
 このように、文明社会は「非文明社会」を劣った社会と一方的に認識し、圧倒的な軍事力で何の躊躇もなく「非文明社会」を攻撃したのです(この際に、キリスト教文化に内包されてきた攻撃欲動が、遺憾なく発揮されたと考えられます)。したがって、文明社会と「非文明社会」が対峙したときの結果は、その時点ですでに決定していました。両者が戦闘を起こせば、勝利するのは常に文明社会でした。このような、まったく野蛮な方法によって、ヨーロッパ社会は新大陸を征服していったのです。

 

世界大戦という絶対戦争

 近代以降、科学技術の急速な進歩と相まって、キリスト教社会の戦争はますます激しいものになって行きました。近代兵器の出現と戦闘の大規模化によって、第一次世界大戦では2000万人もの犠牲者が出ることになりました。さらに第二次世界大戦での犠牲者は5000万人以上に上り、クラウゼヴィッツが「敵の完全な打倒を目的とする」と定義した絶対戦争の様相を呈するようになったのです。

 近代に至って、キリスト教の神は社会の表舞台から退場しました(なぜこのようなことが起こったのかは、別の機会で検討します)。一神教文化を持つ欧米社会の表舞台から神が退場したことによって、欧米社会は一時的に混沌に襲われ、無秩序状態に陥る危険性がありました。
 そのため、欧米社会は混乱を来しました。キリスト教という共通の土台を失ったヨーロッパ社会では、各国のナショナリズムが高揚し、それは第一次大戦を引き起こす要因になりました。大戦後は、啓蒙思想に先導された理想的な国際秩序の構築が目指されましたが、世界恐慌が発生すると、各国は自国の復興だけを優先するようになりました。こうした社会の混乱を収拾すべく、スターリンヒトラームッソリーニといった独裁者や、ローズヴェルトや第二次大戦中のチャーチルのような、それまでにない強大な権力を手中にした指導者が現れたのです。
 彼らは神の代替者、または代替者に近い役割を担いました。そのことが国民を安心させ、社会を安定させました。そして、彼らは独自の国家観を掲げ、独自の主義、主張を展開しました。それらは言わば、キリスト教の教義に代わる新たな一神教文化の教義でした。
 彼らの登場によって、それぞれの国家は混乱を脱しました。キリスト教という一神教文化を失った欧米社会は、各国ごとに新たな一神教文化を構築し始めたのです。この時期に、各国が排他的な経済ブロックを形成したのは、各国ごとに排他的な文化が形成されたことの現れでした。
 各国の一神教文化は、それぞれが一つの絶対的な概念によって社会を支えることになりました。例えば、ソ連共産主義であり、ドイツはアーリア人至上思想を掲げる民族主義であり、イギリスとアメリカは自由主義でした。これらの概念をもとに、それぞれの社会の価値観は統一されることになりました。
 ところで、これらの概念は、一神教文化の性格を忠実に受け継いでいました。そもそも一神教文化においては、神は唯一、絶対の存在でした。唯一、絶対が意味するものは、要するに他の存在を認めないということです。神が示す教義においても同様でした。神が示す教義だけが、絶対的に正しいのです。したがって、この性格を受け継いだ近代国家の主義や主張は、原理的には他国のそれとは相容れることができないのでした。つまり、各国が掲げる概念は、唯一、絶対でなければならないという宿命を負うために、統一された価値観を持つ各社会間の対立、それも相手を完全に否定しなければならないほどの対立を生むという新たな問題を引き起こしました。
 第二次大戦が長期化し、絶滅戦の様相を呈した背景には、こうした欧米社会の構造的な問題が横たわっていました。各国は自らの主義、主張の正当性を確立するために戦い抜き、戦いに敗れた社会は、それまでの価値観を完全に捨て去らねばなりませんでした。唯一、絶対の価値観を共有する社会は、最終的には世界中を一つにまとめ上げるまでは安定し得ないという、重大な構造的欠陥を持っていたのです。

 

ヨシュア記』を踏襲した第二次世界大戦

 第二次世界大戦での戦火は、アメリカ大陸を除くすべての大陸に及びました。戦場は住民の居住地にまで及び、国土の広範な地域が荒廃しました。特に敗戦国の社会と経済は、徹底的に破壊し尽くされました。戦争による犠牲者は、兵士が1600万人以上、民間人が3400万人以上で、合わせて5000万人以上にものぼりました。第二次大戦の大きな特徴は、住民の居住地までが破壊の対象となったことと、民間人の犠牲者が非常に多かったことにあります。

 それまでの戦争は、特定の戦場で行われる、戦士同士による戦闘でした。第二次大戦に至って、すべての住民が殺害の対象になり、すべての国土が破壊の対象になったのはなぜでしょうか。それは神の代替者が指導者になり、神の代替者同士が対峙して行われる戦争だったからです。神の代替者が戦争を行うとき、知らず知らずのうちに神の行いに倣って戦闘を導くのでした。その神とは『ヨシュア記』に記された神でした。

 『ヨシュア記』の神は、敵の兵士だけでなく、男も女も、若者も老人も、息ある者は一人も残さず打ち殺し、ある町は焼き払い、またある町の略奪品と家畜はすべて自分たちのために奪い取るように命令しました。第二次大戦でも、各国の指導者はこれと同じように戦闘を導きました。

 こうして第二次大戦では、敵の完全な打倒を目的とする絶対戦争が行われることになりました。以前のブログで検討したように『ヨシュア記』は、隷属と虐殺を受け続けたイスラエル民族が、神の力によってまったく正反対の立場に立つという願望に伴って創られた物語でした。この空想の物語は、3000年の時を経て、ついに現実のものとなってしまったのです。

 

 神の委託による戦争

 最後に、キリスト教社会の指導者が、戦争を正当化する際に「神の意思」を利用している例を挙げておきましょう。

 第二次世界大戦で原爆投下を指令したトルーマン大統領は、次のように述べています。

 

 「1945年10月、海軍記念日の演説で、トルーマンは、アメリカの保有する原爆が、他の国に脅威を与えることはありえないと言い切った。そしてこう続けたのである。
 われわれがこの新しい破壊力を手にしていることを、われわれは神聖な委託によるものと考える。世界の思慮深い人々は、われわれが平和を愛しており、その信頼が決して破られることなく誠実に遂行されることを知っているはずである」(「アメリカ外交とは何か」1)126頁)

 

 トルーマンは、原爆という究極の破壊兵器を、「神聖な信託」によって与えられたと述べています。何万、何十万という人間を一瞬して死滅させ、生き残った者たちの健康を一生蝕み続ける悪魔のような兵器の使用を、「神聖な委託によるもの」であると表現すること自体が、被害者の立場からすればまったく信じられないものです。
 しかし、このようなジェノサイドが、「世界の平和のため」とか、「野蛮な枢軸国から自由と民主主義を守るため」という美辞麗句のもとに行われ、それは「神から与えられた明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」であり、「神聖な委託」であると信じられたことに注目する必要があります。

 神の意思に導かれた崇高な目的を達成するためには、どのような手段を用いても構わないという思考、行動様式がそこには存在します。神から与えられた絶対の正義を掲げるとき、人々はその使命感に酔いしれ、目の前の現実を見失い、迷うことなく自らの行為に埋没することができるのです。

 しかし、彼らの意識にある神聖な行為は、実は無意識の攻撃欲動を実現させる野蛮な行為に他ならないことを決して忘れてはならないでしょう。(了)

 

  

文献

1)西崎文子:アメリカ外交とは何か-歴史の中の自画像-.岩波新書,東京,2004.