沖縄は琉球特別自治区になってしまうのか(8)

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 前回のブログでは、沖縄の米軍基地問題に関する、我那覇真子さんと橋下徹氏の論争について紹介しました。そして、突如沖縄について語りだした橋下氏の狙いについても検討しました。

 今回のブログでは、沖縄と日本を守るために奮闘を続ける我那覇さんの最近の活動を紹介し、さらに若干の提言を行いたいと思います。

 

国防を語らない自民党を糺(ただ)す

 沖縄の自民党は、選挙では国防については語らず、産業の振興のみを訴えてきました。さらに辺野古埋め立ての賛否を問う県民選挙では、移設賛成を積極的に訴えることなく、選挙への不参加を呼びかけました。

 こうした自民県連の姿勢に対し、我那覇さんたちは、「琉球独立と沖縄革命を目論む反日オール沖縄に味方し、沖縄の武装解除に協力するようなものだ」と批判します。そして、「東アジアの情勢を受けて防衛力を強化し、沖縄県民が自衛のために立ち上がるべきだ」と訴え、自民党と決別し、真正保守として政治団体を立ち上げることを発表しました。来る県会議員選挙では、候補者を立ててこうした主張を県民に問うということです。

 

日本の伝統を守る

 我那覇さんたちの主張は、国防、安全保障にとどまりません。日本の伝統を壊そうとする左翼思想家たちの活動にも及びます。

 我那覇さんは、彼らが人権や平等という概念を持ち出して、伝統的な男女の役割や家族制度を崩壊させようとしていると指摘します。その例として、児童虐待の問題を強調して、親の子供に対する懲戒権(ちょうかいけん)をなくす法律を作ろうとする動きを指摘しています。 親の懲戒権とは、子供のしつけのために、叱ったり、叩いたりすることが許される権利のことです。もちろん、しつけと称して子供を虐待することは論外ですが、子供が虐待死した例を挙げて、法律によって親から懲戒権を取り上げることも極端な意見であり、問題の本質を見えにくくする対応であると言えます。

 また、我那覇さんは、男女平等や女性の権利を主張するあまり、家庭を守る母親の役割りがないがしろにされていると批判します。お金を生み出す仕事に携わっていないと価値がないように見なしたり、社会で仕事をしていないと自立していないかのように認識することが、伝統的な家庭を壊すことに繋がるのだと指摘します。そして、封建的な家庭にはこころの拠り所が存在しており、そうした家庭で育つことによってこころの強い人間が育てられるのだと主張しています。

 

 これまでに紹介した我那覇さんの言動からは、元気のない日本を蘇らせる可能性を感じさせます。その意見は概ね賛成できるものであり、今後もぜひ頑張って活動を続けてほしいと願っています。

 ただ、次の点については若干の違和感を感じましたので、わたしなりの提言を行ってみたいと思います。

 

母性の賛歌

 我那覇さんは大阪での講演で母性の重要性を語り、最後に以下の詩を紹介しています。長い詩ですが、全文を引用します。

 

母性に捧ぐ

桜沢如一

すべての偉大なる人物は母から生れ

母の手にそだてられる !

ゲーテよりもゲーテの母!

野口英世よりも英世の母 !

乃木希典よりも希典の母 !

近江聖人よりも藤太郎の母 !

孟子よりも孟母 !

エヂソンの母 !

すべての偉大なる人々より

かれらのかくれた母を私は尊敬する

すべて偉大なる人々の母は

その伝記はおろか、一日の生活のはしくれさへ

完全には知られていない!

すべて偉大なる人の母は全くかくれている

歴史も歴史家も、偉大なる人々については

ことこまやかにおしゃべりをするけれど

ああ、その母については何も知らぬ

偉大なる母は

偉大な人々を生み、かつ育て

着せ、かつ養い、教え、

しかもその苦労と悲しみを何人にも語らない

ましてその子について誇るところはみじんもない

ただ涙をたたえて

ただ鼻をつまらせて

大きくなった我が子の

振舞を見つめているばかりだ

その振舞の偉大、勇敢、忍耐、

その壮烈なる自爆決死的精神を知らぬではないが
それよりも

寒い夜抱いてねたわが子

暑い日背にくくりつけて遠い道を歩いたわが子

いといけなき日の我が子

赤ン坊時代のわが子

初めて身に宿った日のわが子の思い出が

眼の底に焼きつけられているので

成人したわが子の勇敢無双な姿や

不抜の忍耐力を目のあたりに見ても夢を見る様で

ただ涙で眼がくもり、鼻がつまり

その涙の中には、幼い日のわが子の姿が

まぼろし二重写しになって何も云へなくなるのだ

偉大なる人物は

より偉大なる母の傑作だ !

母は彫刻家だ

冷たい石の塊や、固い木にしがみつき、かじりつき

あけてもくれても

コツコツもくもくとして膨み、みがきあげ、

寝食を忘れ、我を忘れ

つかれ、やつれ、苦しみ

時としては、衣類や身の飾りを質札にかへ

冷い石ころや固い木ぎれに

自分の命を注ぎこみ

自分の血をかよわせ 遂にりっぱな作品に造り上げる

その出来ばえを、いかにほめちぎる人があっても

どうしてそんな言葉が耳に入ろう !

その作品に名誉の金牌がささげられても

どうしてそんなもので心がおどろう!

母の彫刻家の血と魂、生命は

もう冷い石ころ、木ぎれに移っている !

母はむくろだ

母はもう生ける屍だ

ただ、うっとり、自分の身と魂をこめた

作品をだまってながめているばかりだ!

その沈黙は謙遜でもなければ
まして満足でもない!

それはどんな言葉でも表わせない

それは、いやそれこそ無我の心境である

無我の境、いや無それ自身

我もなく、彼もない無の世界

いや宇宙全体にひろがる心

精神、神!

「女は弱し、されど母は強し!」

母は神である!

母は偉大な人生を生み

母は偉大な人々を育て

母は文明を生み

母は健康をもたらし

母は人類の幸福を生む !

しかし母ならざる母

弱き母、健康ならざる母は

悪人を生み、罪をまきちらし

不幸と病弱をもって

人類と文明を暗くする !

母は人類のかくれたる指導者である

人類の真の指導者は母である !

指導者はすべて母の心をもて !

母は勇気と忍耐と

注意と、記憶と謙遜と

愛と犠牲の源泉である

母はまづ健康であらねばならず

母はまづ健康の原理を体得せねばならない

(『新しい栄養学』より、1941年12月)

 

性神

 桜沢如一(さくらざわ ゆきかず)氏は、日本の思想家であり、マクロビオティック(食養ー玄米を主食、野菜や漬物や乾物などを副食とすることを基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法)の提唱者です。

 マクロビオティックは単なる食事療法ではなく、生活そのものを改善することを出発点とし、それを平和運動にまで発展させる思想を根底に持つとされます。上記の詩で「母はまづ健康であらねばならず 母はまづ健康の原理を体得せねばならない」とあるのは、この思想に基づく健康の原理のことを指していると思われます。

 それはさておき、上記の詩は、母性の偉大さ、母性の無謬性(むびゅうせいー誤りがなく信頼できること)、母性の無私と献身を讃え、偉大なる人物はより偉大なる母の傑作だと喝破します。そして、母性は偉大な人々を生み育むだけでなく、人類に文明と健康と幸福を生む神であると主張します。

 これは単に母性を讃える詩であることにとどまらず、母性を宗教的領域まで高めた「母性神話」でもあると言えるでしょう。

 

性神話はなぜ生まれたか

 そもそも母性神話は、いつ生まれたのでしょうか。それは意外にも、社会から母性が失われかけている時代でした。西洋近代において、宗教が社会の中心にあった時代から科学が中心になる時代へと移り変わるときに、母性は神格化されました。具体的には、聖母マリア信仰が薄れつつあった時代に、マリアの母性に代わる存在として、個々の母親に神聖な母性が求められるようになったのです。こうして、母性神話は誕生しました。

 しかし、生身の人間である母親に、聖母マリアのような母性を求めることには無理があります。ここから母性神話に対する反発が起こり、その一部はフェミニズム運動へと繋がって行きました。

 

日本伝統の母性とは

 上述の桜沢如一氏の詩は1941年12月に発表されていますが、これはまさに大東亜戦争が始まった時期と重なっています。この時期の日本は、対米戦争に向けて戦う精神、言わば父性的な精神の重要性が求められていました。桜沢氏は反戦を訴えたことでも知られていますが、だからこそこの時期に、失われつつあった母性の重要性を訴えたかったのでしょう。それが母性神話にまで高められたのは、時代が極端な父性優先の時代であったからに他なりません。

 しかし、この時期に訴えられた母性は、日本に古来から受け継がれてきた母性とは異なる性質のものだと思われます。戦争の時代に唱えられた母性神話を訴えても現代の社会には根付かないでしょうし、神聖な母性を要求された女性には、むしろ拒絶感が生じてしまうのではないでしょうか。日本に受け継がれてきた母性は、江戸時代に求めるべきだと考えますが、これはテーマを改めて次回以降のブログで紹介します。

 

 いずれにしても、わたしは沖縄が琉球特別自治区になることだけでは是非とも阻止してほしいと願っています。そのために、今後も我那覇さんたちの活動に注目し、本土からエールを送り続けたいと思います。頑張れ、我那覇真子さん!(了)