前回のブログでは、オウム教団が殺人集団になって行く過程を、自閉的な共同体の特徴という側面から検討しました。
今回のブログでは、オウム教団が地下鉄サリン事件で、なぜ日本政府に対して攻撃を仕掛けたのかを、オウム真理教が海外進出したことも含めて検討したいと思います。
内的自己だったオウム真理教
これまでにオウム教団が殺人集団になった要因を、父親から暴力を振るわれ、母親からは「自分の子じゃない」と言われ、親から捨てられる形で盲学校の宿舎に入れられた成育歴と、オウム教団が自閉的な共同体になり、殺人が聖なる行為と認識されるようになった経緯から検討してきました。麻原の復讐欲求や攻撃欲求によって指示された殺人は、オウム教団内では聖なる行為として正当化され、無限に繰り返されました。
しかし、これらの検討だけでは、オウム真理教の闇を解き明かすために充分ではありません。それは、オウム教団がなぜ地下鉄サリン事件で国家の転覆を謀ろうとしたのか、なぜロシアに勢力を拡大しようとしたのか、最終的には何を目指していたのかを理解できないからです。
そこで、オウム真理教を理解するうえで、もう一つの重要な視点にも注目してみましょう。それはオウム教団が、内的自己の特徴を有しているということです。
「近代日本がアメリカを主とする西欧諸国に迎合し屈従する外的自己と、それに反発して誇大妄想的自尊心を維持しようとする内的自己とに分裂している国家であることはすでにあちこちで繰り返し述べている。容易にわかる通り、オウム真理教の事件は内的自己の爆発である。
かつて内的自己が大爆発を起こしたのは、真珠湾奇襲にはじまる対米戦争においてであったが、この戦争に惨敗したたため、内的自己は戦後深く抑圧された。内的自己に発していた軍国主義、反米思想、自尊心などはいっさい否定され、外的自己にもとづく対米追随の平和主義が絶対正しいとされた」(『二十世紀を精神分析する』1)101頁)
このように岸田は、オウム真理教が起こした事件を、内的自己の爆発として捉えています。そして、次のように続けます。
「個人の神経症者の場合、無意識へと抑圧されたものは個人の自我に敵対する神経症的症状として不可避的に意識に回帰するが、集団の場合も同じであって、敗戦後、否定され抑圧された内的自己は六〇年反安保闘争、三島由紀夫の割腹自殺、連合赤軍事件などにときおり噴出した。
今度のオウム事件もその延長線上にある事件と考えることができるが、注目すべき点は、症状としてだんだん悪質になっていることである」(『二十世紀を精神分析する』
101-102頁)
こう指摘した後で岸田は、オウム真理教と戦前の日本軍との類似点を指摘していますが、その詳細は同書に譲りたいと思います。
反米としてのオウム真理教
オウム真理教が内的自己であるなら、教義の根幹には反米の思想があるはずです。しかし、宗教の教団が、このような政治的思想を持つことなどがあるのでしょうか。そして、オウム真理教は本当に反米思想を有していたのでしょうか。まずはこの点から検討してみましょう。
江川紹子は、オウムの機関誌や布教用ビデオを分析し、オウム真理教の主張を以下のようにまとめています。
「(1)日本人はマスコミを通じて日常的にマインドコントロールされている。
食べ物やスポーツ、セックスに関する低俗でかつ楽しい情報のみが与えられる。それによって日本人は無知化され、そこにさらに大量の悪いデータが叩き込まれる。そうして日本人は情報によって誘導されている。
(2)日本の滅亡の道は始まっている。
日本に氾濫しているハンバーガーなどのファーストフードやポテトチップスなどのジャンクフード、インスタント食品によって日本人は寿命を縮め、思考能力を奪われている。おまけに副作用の多い薬を大量に飲まされ、ほとんど企業利益のために毒を飲まされている状態である。
アメリカの圧力によって食料自給率は年々落ち込み、さらにやはりアメリカの言いがかりによる市場開放によってバブル崩壊後の経済復興は不可能に近くなっている。こうした状況にある日本を滅亡させるのは簡単である」(『「オウム真理教」追跡2200日』2)295‐296頁)
オウム教団は、日本人はマスコミによってマインドコントロールされ、無知化されていると言います。マインドコントロールしているのは一体どっちだと言いたくなりますが、被害的になっている者は、鏡に映っている自分の姿が往々にして攻撃してくる対象に見えるのです。
同様にファーストフード、ジャンクフード、インスタント食品によって日本人は寿命を縮められ思考能力を奪われていると言い、企業利益のために薬という毒を大量に飲まされているとオウムは主張します。しかし、オウム真理教では、「麻原の髪の毛」を煎じて飲んだり、出家信者の食事が人工物とバナナ一本になったり、麻原の血液を皮下注射したり、血液の入った液体を飲んだり、麻原の瞑想時の脳波を頭部の同じ電極位置から通電したり、イニシエーションと称して幻覚の見える薬物を投与したりするなど、およそ健康からほど遠い行いがなされていました。
そして、ここでアメリカが登場します。アメリカの圧力によって、食料自給率が下がり、市場開放によって経済復興が不可能になっているとオウムは断じています。
アメリカが日本を滅ぼそうとしている
ただし、アメリカの影響はこれだけに留まりません。
江川は続けます。
「(3)アメリカが日本を滅ぼそうとしている。
(1)(2)のような状態にしているのは、アメリカの戦略である。その裏には秘密結社フリーメーソンなどの世界制覇を狙うユダヤ人組織の存在がある。天皇もすでに彼らの傀儡となっている。情報操作によって思考は歪められ、経済も行き詰まり、食料もなくなったところで、日本を攻撃しようとしている。
在日米軍の存在で明らかなように日本はすでにアメリカの属国となっている。自衛隊も日本を守る組織ではく、完全に米軍の言いなり、むしろ米軍を守るための属国部隊に過ぎない。さらに、核弾頭搭載のICBMが日本に向けてセットされている。
何らかの方法によって日本を悪役に仕立てて戦争の口実を作り日本攻撃を開始、在日米軍は地下の要塞に潜り、ICBM、化学兵器、プラズマ兵器を利用して日本を徹底的に滅に追い込む。その後地下に隠れていた米兵が現れて日本を完全に征服する。こうして日本はアメリカに滅ぼされるのである」(『「オウム真理教」追跡2200日』296頁)
以上の、「アメリカが日本を滅ぼそうとしている」というオウム教団の主張は、完成された被害妄想であると言えるでしょう。この主張は、統合失調症の患者さんが訴えた被害妄想だと聞かされても、何の違和感も持たれないと思われます。
妄想ではなく「真実」
この妄想が、オウム教団の中では妄想とは捉えられず、「真実」として理解されたのはなぜでしょうか(「真実」として理解されたからこそ、後にアメリカに隷属する日本政府を転覆させようとして、地下鉄サリン事件が実行に移されました)。それは、オウム真理教の信者に、アメリカに対して同じような思いを抱いていたという素地があったからです。
信者の無意識の中には、アメリカが日本を攻撃し、侵略し、滅ぼそうとしているという漠然とした被害的な感覚がありました。その漠然とした感覚を拾い上げ、意識化し、言語化してまとめたのが麻原彰晃でした。この経緯は、麻原がまず荒唐無稽な妄想を作り上げ、信者がこれを妄信したわけではありません。この順序は逆であって、信者の無意識の思いを麻原が拾い上げ、言語化して物語としてまとめ上げたのです。だからこそ麻原の作った非現実的な物語は、教団の中では人々の間で共有されました。そして、誰もがその通りだと得心したために、妄想ではなく真実だと信じられたのです。
ところで、麻原が作り上げた物語は、オウム真理教という教団の中だけでしか通用しないものでしょうか。基本的にはそうだと言えるでしょう。日本の社会一般では通用しないからこそ、オウムの主張は荒唐無稽なものと見なされていました。しかし、わたしたちの無意識の中には、麻原の作り上げた物語と共通の思いは本当に存在していないのでしょうか。
実はそうとも言い切れないのです。わたしたちの無意識の中にも、麻原と同じようにアメリカに対する敵意や被害的な感覚が存在しているはずです。それこそが、日本人が抑圧している思いや感情であり、岸田秀が指摘する内的自己が秘める思いや感情に他なりません。麻原彰晃は、内的自己に共通する思いを言語化したからこそ妄想患者ではなく預言者と見なされたのであり、曲がなりにも1万人を束ねる宗教の教祖になり得たのでした。(続く)
文献
1)岸田 秀:二十世紀を精神分析する.文藝春秋,東京,1996.
2)江川紹子:「オウム真理教」追跡2200日.文藝春秋,東京,1995.