オウム真理教とは何だったのか(3)

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 前回のブログでは、麻原彰晃が盲学校時代の体験をもとに、絶対的な支配者となって、自分の思い通りにできるオウム教団という王国を築き上げた経緯を概観してきました。

 今回は、オウム真理教という麻原の王国が、なぜ凶悪な犯罪を次々と起こすに至ったのかを、教団が有することになった特異な側面から検討してみたいと思います。

 

自閉的共同体になったオウム真理教

 オウム真理教が凶悪な犯罪を繰り返すようになった要因の一つに、教団が自閉的な共同体になったことが挙げられます。

 この自閉的な共同体とは、元々は日本に伝統的に存在してきた、村落共同体に端を発しています。日本には古来より、和を最も重要視した生活共同体が村という単位で存在してきました。村落共同体は、生活の場であるとともに、そこで生活する人々に規範を与える場でもありました。日本社会に特定の宗教が根付かなかったのは、村落共同体に和を中心とする確固とした規範が存在したからです(その詳細については、2018年4月のブログ『日本人は無宗教なのか』をご参照ください)。

 村落共同体は、近代化以降に村が生活の場でなくなっていくと、様々に形を変えて現れました。それは軍隊であったり、会社であったり、官庁であったり、学校であったりしました。宗教団体も例外ではありません。特にオウム真理教は、出家制度を採っていたため、より自閉的な共同体になりやすい条件が揃っていたと言えるでしょう。

 

自閉的共同体の特徴

 ここで共同体、特に外部に対して自閉的になった共同体の特徴をあげてみましょう。

 岸田秀は『官僚病の起源』1)のなかで、官庁が様々な問題を起こすようになった原因を、官僚組織が自閉的な共同体になったことに求めています。そして、官僚組織の特徴を次のように指摘しています。

 

 「(一)官僚組織は、本来、国のため国民のためのものであるにもかかわらず、自己目的化し、仲間うちの面子と利益を守るための自閉的共同体となっている。

(二)しかも、その自覚がなく、国のため国民のために役立っているつもりである。

(三)共同体のメンバーでない人たち、すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である。

(四)同じことであるが、仲間に対しては配慮がゆき届き、実に心やさしく人情深い。

(五)身内の恥は外に晒さないのがモットーで、組織が失敗を犯したとき、失敗を徹底的に隠蔽し、責任者を明らかにしない。

(六)したがって、責任者は処罰されず、失敗の原因は追及されないから、同じような失敗が無限に繰り返される。」(『官僚病の起源』33頁)

 

 こうした特徴は、オウム教団についても当てはめて考えることができます。以下で、それを検討してみましょう。

 

3万人の成就者を出す

 オウム真理教では、世界全体を巻き込む戦争が起きると麻原が予言しており、それは麻原自身が教団から3万人の成就者を出せば回避できるとされていました。なんだかマッチポンプのような話しですが、信者はこれを心から信じて、成就者になるために真剣に修業に励みました。オウム真理教ではこのように、世界戦争を回避するために3万人の成就者を出すことが教団の本来の目的でした。

 これを、岸田の自閉的共同体の特徴に当てはめてみましょう。

 

(一)オウム真理教は、本来、世界戦争を回避するために3万人の成就者を出すことを目的とした教団であるにもかかわらず、自己目的化し、仲間うちの面子と利益を守るための自閉的共同体となった。
(二)しかも、その自覚がなく、世の人々のために役立っているつもりである。

 

 1999年に世界戦争や天変地異が起こって人類が滅亡するという啓示は、ノストラダムスの予言として当時の日本でも有名でした。麻原はこの予言を利用し、自らを世界戦争から人類を救う救世主として位置づけようとしたと思われます(阿含宗桐山靖雄も同様の主張をしており、麻原はこれを真似たのかもしれません)。

 オウム真理教は、その後の経緯からわかる通り、世界戦争を回避するどころか国家にテロを起こすなど戦争を起こす側にまわりました。その要因の一つとして、周囲の人々との対立や軋轢が高まるにつれて、教団の面子と利益を守るために外部に攻撃を仕掛けたことが挙げられるでしょう。それはやがて、教団の維持を妨げる人々や組織を排除することになり、最終的には地下鉄サリン事件にまで繋がって行きます。

 それにも拘らず、オウム教団では殺人すら相手のために行っているという論理を築いて行きます。これが有名な「ポア」という形の殺人です。

 ポアとは本来は、意識を高い世界に移すことをいいます。カルマを見通せる最終解脱者である麻原は、人が過去に悪行を犯したことだけでなく、現在犯している悪行や、将来犯すことになる悪行まで見切ることができるとされました。そこで麻原は、現在と未来の悪行をやめさせ、その人の魂を高い世界に転生させる目的でその人を殺すことを「ポア」と呼びました。つまり、麻原が指示した殺人は、「真の愛・真の哀れみ」をもってなされる、相手のための行為として正当化されたのです。

 こうした驚くべき正当化は、自閉的な共同体の中で、外部からの批判を全く受けない状況でしか成立しえないでしょう。

 

居場所としての教団

 自閉的な共同体として特徴を続けましょう。

 

(三)共同体のメンバーでない人たち、すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である。
(四)同じことであるが、仲間に対しては配慮がゆき届き、実に心やさしく人情深い。

 

 オウム教団が近隣住民とトラブルを起こし、オウム真理教被害者の会が結成され、オウムバッシングが巻き起こったのは、外部の者の反応に対して無関心であり、対立する者に対して冷酷無情な態度をとっていたからでしょう。

 長年に渡って、オウム真理教の闇を追及し続けてきたジャーナリストの江川紹子は、次のように述べています。

 

 「自分たちの利益だけが、彼らにとっては唯一の関心事で、他者の利益や権利や命は二の次三の次。というより、頭からまったく消えてしまうといってもいいかもしれない。自分たちを聖者だと称する彼らは、自分たち以外は『凡夫』『外道』を決めつけ、普通の、でもそれぞれに家庭を持ち、一生懸命生きている人たちの生命を平気で奪った。高邁な思想や宗教観に基づいているわけではなく、大義名分もなく、単に自分たちの組織を守るための思いつきだけで。それだからこそ、犠牲者の無念を思うと、たまらない気持ちになるのだ」(『「オウム真理教」追跡2200日』2)17頁)

 

 オウム教団は、教団外部の他者の利益や権利や命の尊さは、頭からまったく消えていました。そして、単に自分たちの組織を守るための思いつきだけで、人々の命を平気で奪いました。この冷酷無情な態度は、彼らの意識が、自閉的な教団内部にしか向けられていないために導かれたのだと言えるでしょう。

 一方で、外部とのトラブルが絶えないにも拘らず、オウム真理教の信者たちがなかなか脱会せず、それどころか信者が増えていったことに違和感を感じた人も多かったのではないでしょうか。自称ですが、オウム真理教の信者は最盛期には1万人にものぼったと言います。

 その理由は、教団に入ってしまえば、そこは居心地がよく心休まる場所だったからです。外部の人間に冷酷な分、内部の人間同士は連帯し、互いに配慮が行き届いて人情深くなります。つまりオウム教団は、信者にとって安定した居場所としての意味を持っていたのです。家庭や地域社会、または職場に居場所を作れなかった若者がオウム真理教に出家し、そこからなかなか離れられなかったのは、そこに新たな居場所を見つけたからに他なりません。

 

殺人を無限に繰り返す

 自閉的な共同体は、同じ失敗を無限に繰り返すという特徴があります。

 

(五)身内の恥は外に晒さないのがモットーで、組織が失敗を犯したとき、失敗を徹底的に隠蔽し、責任者を明らかにしない。
(六)したがって、責任者は処罰されず、失敗の原因は追及されないから、同じような失敗が無限に繰り返される。

 

  オウム真理教にとっては、この失敗に当たるものが殺人でした。

 1988年9月下旬に総本部の道場で、興奮した男性信者に対して、麻原の命令で水をかけたり浴槽に頭をつけているうちにこの信者が死亡しました。これは事故だったのですが、「教団の組織拡大の妨げになる」と判断した麻原は、警察には届けず、遺体を教団の「護摩壇」で焼却して湖に捨てさせました。この事件を公にしなかったことが、教団のその後の殺人の出発点になりました。

 信者の殺人は教団によって徹底的に隠蔽され、責任者が明らかされらないどころか、殺害されたことによって「高い世界に転生された」というとんでもない欺瞞によって、殺人自体が正当化されました。この後から教団では、麻原に命令された殺人は「聖なる行為」として位置づけられ、推奨され、繰り返されてゆきます。

 信者の死亡を目撃した他の信者が脱会を申し入れた際に、脱会の意思を翻さなかったために、この信者は麻原の命令で殺害されました。殺人は教団外部の者にも向けられ、「オウム真理教被害対策弁護団」を結成した坂本堤弁護士一家は、わずか1歳2ヵ月の子供も含めて殺害されました。創価学会池田大作名誉会長も殺害の対象とされました。元信者だった落田耕太郎が、オウム真理教で治療を受けていた女性を親族と共に救出しようとして失敗し、リンチによって殺害されました。自分の親族を脱会させようとした人も殺害の対象になりました。被害者の会の永岡弘行会長はVXガスで襲撃を受け(殺人未遂)、妹を脱会させようとした目黒公証役場の仮谷清志事務長は、拉致、監禁されたうえで殺害されました。

 殺害の対象はついに無差別になり、松本サリン事件、そして1995年の3月に引き起こされた地下鉄サリン事件へと拡大して行きました。正当化され、聖なる行為となった殺人は、こうして無限に繰り返されることになったのです。(続く)

 

 

文献

1)岸田 秀:官僚病の起源.親書館,東京,1997.

2)江川紹子:「オウム真理教」追跡2200日.文藝春秋,東京,1995.