前回のブログで、オウム真理教は内的自己を代表する教団であり、教義の根幹にアメリカに対する被害的な思想を有していることを検討しました。この思想は、やがて外部に対する攻撃的な行動へと結びついて行きます。
今回のブログでは、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こすまでの経過を検討したいと思います。
オウム真理教は国家権力から弾圧される
前回のブログで、江川紹子がオウムの機関誌や布教用ビデオを分析してまとめたオウム真理教の主張を、精神分析によって検討しました。
今回も、その主張の続きをみてみましょう。
「(4)真の宗教であるオウムは、アメリカ及び日本の国家権力にとって脅威である。
オウム真理教は物質的豊かさよりも、精神的豊かさを求めることに価値を置く。このオウムの教義は、煩悩を肯定し、むしろ人々の煩悩をかき立てることによって成り立っている現体制にとってはとうてい受け入れられるものではない。オウムの教えが浸透するほど、個々の人間は幸福になるものの、国としては困る。このままオウムが急速に拡大していけば、将来現体制にとって好ましくない勢力になる。危険な存在だと判断した権力側が、オウム真理教を弾圧している」(『「オウム真理教」追跡2200日』1)296−297頁)
オウム教団の反米思想は被害妄想的であることを指摘しましたが、被害妄想には重要な主張が隠されています。それは被害を受ける側の者が、特別な存在だと暗に主張していることです。
たとえば、「私はアメリカのCIAから命を狙われている」という被害妄想を訴える人がいると仮定しましょう。この人は、「CIAから盗聴され、監視され、一挙手一投足を把握されているために休むことすらできない」と苦しさを訴えるかもしれません。憔悴した彼を見れば、哀れな存在であるとさえ思えるでしょう。
しかし、この被害妄想の背後には、「私はCIAから命を狙われるほどの、特別な存在である」という隠された意味が含まれています。つまり、被害妄想を訴える人は、自分が特別に注目を受けるほどの重要な人物であることを、暗に主張しているのです。この主張が、危機に瀕した自我の基盤をかろうじて支える役割を果たします。被害妄想がなかなか消退して行かない理由の一つが、ここにあると言えるでしょう。
オウム教団の被害妄想にも、同様の意味が存在しています。オウムが国家権力から弾圧を受けるのは、オウム教団がアメリカおよび国家権力にとってそれほど脅威なのであり、それはつまり、オウム真理教が日本やアメリカから特別に注目を受けるほどの重要な教団であることを暗に主張しているのです。この主張はもはや、被害妄想から発展した誇大妄想だと言えるでしょう。
ロシアへの進出
オウム教団は反米思想を持つ一方で、ロシアに進出し、ロシアと密接な関係を築いて行きました。一橋文哉の『オウム真理教事件とは何だったのか?』2)によれば、それは1992年のエリツイン大統領時代までさかのぼるといいます。
1990年に参議院選挙に立候補して落選した麻原彰晃は、幹部たちに「今の人類はポアするしかない」と主張するなど、日本社会に対する敵意をむき出しにします。そして、都内で大量のボツリヌス菌を散布するという無差別殺人を計画しました。しかし、菌の分離に失敗したオウム教団は、その後にロシアに接近して行くことになります。
オウムがロシアに進出したのは、表向きには、共産主義が崩壊した社会的混乱の隙をついて、宗教的な勢力を伸ばそうとしたことが挙げられるでしょう。事実、ロシア最大のラジオ局を買い取って宣伝活動に利用したオウムは、瞬く間に3万5千人の信者を獲得することに成功したといいます。こうした表向きの理由のほかに、隠された重要な目的があったと一橋は指摘します。それは「オウムがロシア進出を検討した目的は信者の獲得以上に、教団の武装化であり、特にハイテク化にあった」(上掲書171頁)ということです。
オウム教団の武装化
一橋によればオウム教団は、軍事転用が可能な大型武装ヘリコプターをはじめ、戦車、潜水艦、ロケット砲をはじめとする重火器類、自動小銃のカラシニコフなどの武器を購入するための交渉を水面下で行っていました。また、地下鉄サリン事件でまかれたサリンの一部には、ロシアから密輸されたものが含まれていた可能性すらあるといいます(上掲書176‐178頁)。
さらに一橋は、オウム教団は核兵器をロシアから購入しようとしていたと指摘しています(上掲書182頁)。これは何も荒唐無稽な話ではありません。麻原は林郁夫に対して、「ワシントンに原爆を落としたらどうなるか」と質問した後、「オウムでは原爆もつくれるんだぞ」と話したと林は回想しています(『オウムと私』3)220頁)。オウムが原爆を作る能力を有していたかは定かではありませんが、少なくとも麻原は、原爆を所持しようと画策していたことは事実のようです。
戦いへの準備
1994年になると、オウムは戦いへの準備を始めます。林郁夫は次のように回想しています。
「四月の末ごろ、麻原は私を自宅に呼んで、『八月十五日に富士周辺で戦いが起きる、アメリカと自衛隊が攻めてくる、戦わなくてはならない』といって、医薬品を備蓄しろと指示を出しました。(中略)
攻撃に対して防禦するために戦わなければならない、その戦いが始まれば、いずれロシアが何らかの形でオウムを助けてくれることになっているという話も、当時サマナの間で出ていました。
麻原はアメリカの宗教団体が、FBIによって合法的に武力を使われ、殲滅させられたことを説法でたびたび言及していました。麻原はそのような計画が立てられ、実行に移されるのを察知し、それに対応しようとしているのだと思いました」(『オウムと私』228‐229頁)
この回想にも、オウムの被害妄想の構造が端的に現れています。オウムが敵対しているのはアメリカであり、自衛隊はアメリカ軍に従属しているのにすぎません。そして、アメリカと対立関係にあるロシアが、何らかの形で助けてくれるとオウムは考えていました。このようにオウム教団にとって、真の敵はアメリカだったのです。
ここに、オウム教団が内的自己であったことが現れています。内的自己は、その本質は反米でした。太平洋戦争で完膚なきまでに叩きのめされたために、戦後は表立って反米を叫ぶことができず、一部の内的自己、例えば朝日新聞は親中の立場をとりながら、親米である自民党政権を攻撃し続けました。オウム真理教は、内的自己である純度が高いからなのでしょうか。反米を表立って表明しながら、親米である政府を攻撃しようとしました。
ただ、その攻撃の仕方がより直接的だった点に、他の内的自己とは大きな違いがあると言えるでしょう。
1994年6月27日に、オウム真理教は松本サリン事件を起こします。
松本市では、支部道場の建設をめぐってオウム教団が住民と対立し、住民から訴訟が起こされていました。この訴訟で負ける可能性があると知った麻原は、裁判官たちを殺害する決意を固めます。敗訴を避けるために裁判官たちを殺害すること自体がすでに正気の沙汰ではあえませんが、そこには、生成に成功したサリンがどの程度の殺傷能力をもつかを、実践して試す意図があったと言われています。そして、ついに麻原は教団幹部に命じ、27日の深夜に裁判官官舎に向けてサリンを噴霧させました。
裁判官官舎では死者は出ませんでしたが、周辺に住んでいた住民7人が死亡し(後に河野澄子さんが亡くなり、死亡者は8人になりました)、約600人もの重軽症者を出しました。長野県警が、第一通報者だった河野義行さんの自宅を被疑者不詳のまま殺人容疑で捜索するという失態を演じ、マスコミもそれに追随したため、この事件は当初、オウム教団の犯罪とは見なされませんでした。
こうして化学兵器による無差別テロに世界で初めて成功し、しかも警察の目から逃れることができたオウムは、図に乗ってさらなる凶悪な計画を立てます。それが、地下鉄サリン事件でした。(続く)
文献
1)江川紹子:「オウム真理教」追跡2200日.文藝春秋,東京,1995.
2)一橋文哉:オウム真理教事件とは何だったのか?麻原彰晃の正体と封印された闇社会.PHP研究所,東京,2018.
3)林 郁夫:オウムと私.文芸春秋,東京,1998.